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アイノイツキ流「無個性な漫画」=アリストテレスの悲劇論インスパイア説

前回の投稿の後、改めて書棚を漁ってみたところ、見つけました。タイパク読解に使えそうなテキスト。


ホメーロスは、ほかの多くの点でも賞賛に値するが、とくにたたえられるべき点は、詩人たちのうちで彼だけが、詩人みずからがなすべきことをよく心得ていることである。すなわち詩人は、みずから語ることをできるかぎり避けなければならない。そういう仕方で詩人は再現する者となるのではないからである。
ところが、ほかの詩人たちは、詩の全体を通じて自分を表面に出すのであり、再現をするのは、ごくわずかのことがらについて、しかもごくわずかの機会においてである。これに反しホメーロスは、短い序歌を歌ってから、ただちに男または女、あるいはほかの役の人物を登場させる。しかも、彼らの一人として性格を持たない者はなく、めいめいがその性格をそなえている。

アリストテレース『詩論』 第24章
松本仁助 岡道男 訳
1997年1月 岩波文庫


ここでいう「再現」とは、詩の中に描かれている世界・ストーリーを描写することに相当します。

作者は、作品世界の「外」にいるはずの存在です。
二流の詩人は、自分自身のアピールに熱心であり、作品世界そのものの描写はおざなりだと、アリストテレースは主張しているものと考えられます。

スポーツ実況に例えるなら、プレーそのものの説明よりも自分自身の感想ばかり喋っている実況者は二流だよ、ということでしょう。

愛野さんの漫画論に照らし合わせると、作者のフィルターをなるべく介さず、漫画世界のあるがままを転写したい、ということになるのでしょうか。

『詩学』は主に悲劇について論じたものであり、漫画論にまで適用するのが適切と言えるかどうかまでは微妙なところです。
ただ、解釈の手がかりとしては。

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