岩の原葡萄園と川上善兵衛翁
昨日は小布施周辺で過ごしたのだが、
今日は長野から上越の方へと移動し、
かねてより訪ねたかった岩の原葡萄園に
足を伸ばした。
日本でワインといえば、山梨県を
思い浮かべる人が多いだろう。
確かに、山梨には勝沼という一大
生産地があり、生産者も生産量も
多いし、元々の歴史も古い。
しかし、日本ワインを語る上で
外せない人が、この上越にある
岩の原葡萄園の創業者たる、
川上善兵衛翁なのである。
善兵衛翁は、上越高田の豪農の
家系に生まれるも、幼くして父を
亡くしてしまう。
母が、甘やかして育てないようにと
心を鬼にして親戚に預けたのだが、
そこでいかに小作人たちが困窮した
生活を送っているかを知り、
篤い思いやりの心を育む結果と
なったようだ。
コメがまともに収穫できない年も
多い状況を何とかすべく、ぶどうの
栽培とワイン醸造で、農民救済を図り
ながら産業を興すという道を志した。
詳しくは省くが、善兵衛翁のチャレンジは
困難だらけ、「茨の道」などという一言で
片付けられない過酷さだった。
それでも、不屈の精神と、弛まない努力が
実り、「日本のワインぶどうの父」との
名を残した。
「貴公、名前を残すか、金を残すか?」
これは、善兵衛翁が晩年よく口癖のように
言っていた言葉だという。
彼は、豪農として家督を継いだにも
関わらず、そのほとんどを葡萄園の
チャレンジに費やし、金を残すどころか
借金を多く抱える始末。
それでも、「天の配剤」なのか、
不思議と彼を金銭面でサポートする
人が現れ、最後は偉業を成し遂げる
のである。
つまりは、名前を残したということだ。
彼の人生でのクライマックスの一つは、
サントリー創業者・鳥井信治郎氏との
邂逅にある。
どうにも借金で首が回らず、倒産必至の
状況下、正に「ホワイトナイト」の
ように現れて借金を完済してくれた
のが、当時赤玉ポートワインで絶好調
だった寿屋(現サントリー)の鳥井氏
だったのだ。
鳥井氏を動かした大きな理由、
それが善兵衛翁のひたむきさ、真摯さ、
ぶどうづくり・ワインづくりにかける
情熱の確かさにあったことは、
まず疑いなさそうである。
金を残すより、名を残す覚悟でやり抜く、
そんな真摯さが、周囲の人にも伝播して、
成功へとつながっていったに違いない、
そんな感慨を持つのである。
『川上善兵衛ものがたり』という、
彼の娘の視点から書かれたストーリーを
読む機会に恵まれたので、そのごく一部の
エッセンスに触れながら今日の話を
書かせてもらった。
この度、新潟日報の夕刊で、同内容で
連載が近日中に始まるとのことだ。
より多くの人に、善兵衛翁の生き様、
チャレンジ精神、真摯さが伝わることを
嬉しく思う。
ちなみに、岩の原葡萄園は、今も
サントリーと密接な関係がある。
そして、その醸すワインは年々評価を
高め、様々な受賞歴を誇る上に、
昨年の大阪サミット晩餐会でも
振る舞われた。
日本のワインがこれほど高い品質に
到達したと知って、善兵衛翁も
きっと天国で喜んでいるに違いない。
己に磨きをかけるための投資に回させていただき、よりよい記事を創作し続けるべく精進致します。