むずかしいことを「むずかしいよね」で終わらせないために
年が明けてしばしの出勤の後、初めての休日を迎えて「極寒だった頃の峠を越えて寒さが和らいだ」とか思いながらの週明け、油断するなとばかりにあの時の寒さが戻ってきた。後頭部を殴られた気分。
あの日中の暖かさはなんだったのか・・・とかブツクサ言いながらも天気の急変は日記には都合がいい。こうしてベタながらも記事に入りやすい。そしてお約束のように文字数稼ぎにもなる。
お天道様には本当に感謝しかない。
こんばんは、ぴこつです。
ここのところ、noteによる言語化を趣味としている身としてはどうしてもしなければならないと感じていることがある。
「あいまいの回避」だ。
あいまいなことをあいまいいなままに放置すれば、その問題はきっとほこりを被ったまま永遠に置き去りにされてしまうだろう。それはどうしても避けたい。
ぼくがnoteを書く目的は3つ。
思考の記録
思考整理
暇つぶし
思考の記録はそのままで、ぼくは記録力が壊滅的に不足しているので、思いついたことは常に記録しておかなくてはならない。最後のはどうでもいい。
今日は「思考整理」の中身を書いてみる。ぼくの中で思考整理というと、何かの思いつきから始まることが多い。まずはふと頭に浮かんだことをiphoneのメモアプリに書いておく。これをしないと始まらない。なにせ思いついたことは3歩で忘れてしまう。
散歩や通勤途中に思いついた言葉はその瞬間にポケットからiphoneを取り出してメモするようにしている。ここではあまり話を膨らませせないようにしないといけない。ぼくは連想をし出すと止まらなくなる。せっかく箇条書きでメモを残そうとしても、箇条書きのリストが10行を越えてしまうとそれはもはや長文だ。
そのままnoteに書けばよかったんじゃないかと思うようなこともある。なのでメモを書くときには意識的に単語程度にとどめておかなければならない。そして、その後は別のことを考えるようにする。そうやって自分の思考の連鎖を止めるのだ。
後ほど、メモアプリに書いた言葉をもとにnoteに文字起こしをしていく。その中には「ただ思いついただけの言葉」や、「まったく意味のわからない言葉」や、「答えの出ない問題」が含まれていることもある。
記事を書き出した当初はほとんんどのことが何も考えないままにスタートしているので、答えが出ている物の方が少ない。ぼくの場合は書きながら考えをまとめていく。きっとそれが思考整理なんだろうと思う。
やっかいなのは書いていても「答えの出ない問題」にぶち当たったとき。答えが出ない問題というのは、言い換えれば「むずかしい問題」。
そういうむずかしい問題を頭の中で考えていても、ポンコツのぼくの頭では解決に向かうことはない。さしずめハムスターの小屋でクルクル回る子のように、思考がグルグルグルグルと回転するだけで、一度通過した思考の過程に何回も遭遇する羽目になる。
そして終いには考えていたことすら分からなくなり、とつぜん「あ、これさっきも考えたな」とかって思い返すのだ。つくづく残念な脳ミソだな。
こうして自分の残念なところを言っていると凹みそうになるけど、これも言語化だ。自分の特性を文字に起こして「自分がこういう人間だ」と自分に気づかせてやることもぼくがぼくにできる仕事のひとつ。
それは「答えの出ない問題」に対してもおなじ。ここで言う「答えが出ない問題」というのは、意味のわからない言葉ではなくて、今すぐに答えが出ないような問題のようなこと。
最近のぼくにあったのはぼくの中学1年の娘の進路問題。まだ中学1年生なので、学校から進路についてうるさく言われることはない。
でも、ぼくには自分が中学生の時に味わった苦い経験がある。
ポンコツのぼくなので、やっぱり子供の時から勉強なんてものはからっきしできなかった。でも、勉強を全然していなくてテストの点数が低かろうが、ぼくの親は何も言わなかったから、勉強なんてそっちのけでいつもぼくはゲームばかりやっている中学生だった。
ところが、中学2年生の後半になって進路相談などが本格的に始まった頃、母親から突然、耳を疑うようなことを言い渡される。
「私立に行かせるお金はないから、公立に行けるようにしてよ」
いーま言うかそれ!!
もっと早よ言っとけ!そんなすぐに勉強なんかできるようになるかいな!!
とまぁ、文章表現が豹変するくらいにぼくは戸惑った。確かにぼくは勉強はしてこなかった。でも高校進学を考える時期になって「お金がないから勉強しろ」はあまりにも無責任でしょ。公立高校に行かせる気だったのならば、それはもっと早くに子供であるぼくに伝えるべきだよね。
それから必死に勉強してなんとか公立には入れたんだけど、そんな無責任な突然の宣告はぼくは自分の娘には絶対にしない。
ということで、娘には公立とか私立とか、そもそも高校に行くならどんなことを学びたいのか。まずは自分がどうしたいのかを考えてから先のことを決めようという話をした。
ぼくが一番娘にさせたくないのは「とりあえず公立の高校に入って、なんとなく勉強しておこう」ということ。そしてその先に「なんとなく大学に進学する」があったとしたら才能豊かな娘にとってそんな残念なことはない。
今のところ、ぼくの娘には勉強の才能はなさそうだ。だけど、パソコンを使ったイラストにハマっている。将来は絵師(イラストレーター)を目指すらしい。
それならば、全力でそこに打ち込める環境をぼくは作ってあげたい。
そう考えた時、中学卒業後の進路をどうするか?
実にむずかしい問題だ。
だけどここで「むずかしいよね」で終わってしまえば、あっという間に進路を考える時期がやってくる。ぼくの時と同じように。
そうなった時に「なし崩し的に」進路を決めるようなことは絶対に避けなければならない。
そういう「むずかしい問題」に直面したときにどうするか?
真っ白な答えが出ないにしても、とりあえずの結論を出しておくのだ。
娘の進路についても、今すぐには解答は出ない。だから娘には「そういうことを今のうちから一緒に考えていこう」と伝えた。
そして「可能な限りでいいから自分でもどう言う道があるのかを調べてみてほしい」とも。
後日、すぐに娘が一つの学校を調べてきた。それは自分がイラストレーターと言う夢に向かってフルコミットできるようになるために考えた上での答えだ。
ぼくはめちゃくちゃうれしかった。娘が出してきた学校は、娘の進路の候補になり、ぼくは資料請求をした。そして「そこにはいくらのお金がかかるよ」という話も娘と共有した。
今すぐに答えの出ないようなむずかしい問題にも、一定の答えや解釈を持つことはすぐにできる。それをぼくは言語化の一つのゴールとしている。
どうせ日記を書くのだから、なんでもいいから自分の中で納得できる何かをこれからも残していこうと思う。
なんか、いつになく日記らしい終わりになっちゃった。
あれ?いいのか。
じゃあ、またね。
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