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やればできることは、やればよい。

連日のように、確定申告の期限が迫ることに対するプレッシャーに襲われている。

それもこれも、去年の間にもコツコツと帳簿付けをしてさえいれば、そんなにも苦労することはないのだろうが、個人事業主になってからというもの、この習慣が毎年恒例となっている。

帳簿付けに関してひとつ弁解させてもらえるのであれば、帳簿は1月〜12月にかけて行われた会計上の「取引」について行われる。

経費に関しても1月〜12月の間に発生したものだけが対象だ。

だけど、確定申告自体は翌年の3月。

猶予が与えられると思えば大変にありがたいことなのではあるが、その年の最初の2ヶ月半は確定申告の準備に充てられるということになる。

実際、確定申告の作業が本格化するのは1月を過ぎてから

…というのはぼくの世迷言かな?

みんなそんなもんだと話してはいるものの、Twitterのタイムラインでは確定申告の受付開始早々に「終わったー!」っと高らかに宣言している人が続出していて、まだまだ準備段階のぼくはいつも罪悪感に苛まれているという始末。

これも、この時期の毎年恒例行事。


そんなこんなで今年も2ヶ月が過ぎた。確定申告の準備は進んでいるとはいえ、まだまだ先は長い。

成人マンガ家で妻のnikoさん(@nikonikopun17)の分もぼくが担っているため、まずは早く自分の申告を済ませてしまわねばなるまい。

そこで必要になってくるのが何かというと、

  • 作業をやり続けること

  • 作業時間を作ること

  • 根性

という、頭を使う必要がさほどないことばかり。

言い換えれば、これさえやれば確定申告は完了するのだ。

こういうのは「やればできる」というだけの話。
自分がやる気になって、やりさえすればいつかは終わる。

作業量は膨大かもしれないが、やりさえすれば終わるのだ。

じゃあ、なぜ終わらないのかと言えば答えは単純。

「やっていないから」だ。


そもそもこの単純作業というのは誰でもできる話。努力さえすればいい。頭の良さもほとんど関係がない。
その作業に時間と体力という自分のリソースをかけて、毎日やっていけばいいだけの話。

こういうことを「やればできる」というんだと思う。


この「やればできる」は使い方が間違われている場合が多い。

学校の勉強でも入試やテストに向かって「やればできる」と鼓舞することは一般的にある。
スポーツでも言われることがあるかもしれない。

だけど、これはだいたいがウソ。

なぜならやっても報われないこともたくさんあるからだ。

入試なんかは典型的だ。

だってそもそも受かる人と受からない人が存在する。
それは紛れもない事実。

だから「やっても報われない」が必ず起こる。

合格した人に「やればできる」というのはただの結果論。
受かった人、受からなかった人、それぞれに努力をした。
もしかしたらやり方がまずかったのかもしれないが、努力はしたのだ。

だから、この場面で「やればできる」という声をかけることは無責任だとぼくは思う。


さて、では現在ぼくが奮闘中の確定申告はどうだろう?

これはさっきから散々言っているように、やりさえすればいつかは終わる。

結果に差が出るとすれば、やるか、やらないか、だけ。

やれば終わるし、やらなければ終わらない。

言い換えると「やればできる」のだ。

「やれば終わる」と言ってもいい。

だから、努力さえすれば必ず達成できることこそ「やればできる」を使うべきだと思う。むしろそのための言葉だと言ってもいい。

運とか知性とかっていう自分にとって不確定要素を伴わない作業においては「やればできる」は必ず成立する。

だって、やりゃーいいだけなんだもん。

ということでぼくは日々淡々と作業を進める。たとえ少しであっても、やれば進む。後退することはないし、損することもない。

淡々粛々、日進月歩。

なんだこのありそうでなさそうな言葉。

そんなことはどうだっていい。とにかくやって、必ず期限までに終わらせる。

必要なのは決意と根性。あとは手を動かすだけ。
時には酒の力を借りたっていい。

このnoteを書いている時間がもったいないんじゃないかとも思えてくるが、それはそれ。

人間にはリズムというものもある。

できることをできる時にできる分だけやればいい。


まだ、確定申告の終わっていない方。ともに頑張りましょう。

ぼくとあなたのどちらかが勝ち、どちらかが負けるという話ではない。
一緒に勝つことができる。

ぼくとあなたに送ることば。

やればできる!


今日は以上です。


じゃあ、またね。

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