見出し画像

自分語り。ぴこつはかく語りき

思えば遠くへ来たもんだ

とは、その昔…ていうほど昔でもないか。当時「海援隊」だった武田鉄矢さんが作詞した歌詞の一節らしい。

調べてみるといろんな情報が出てきて、小説のタイトルだったり映画のタイトルにもなっていたりするらしい。どのみち、ぼくの歴史上どの作品にも接したことはないから、どこかで聞いた記憶だけなんだろう。

こんにちは、ぴこつです。

ぼくの記事をいつも読んでくれているあなたなら、ぼくが毎回自分よがりの独善的な文章を書いていることは既にわかりきってしまっていることと思います。

こんなぼくの文章をいつも読んでくれてありがとうございます!

日記なのだからどんなことを書いていてもいいというのは、noteを始めるきっかけとなった「書く習慣」の著者、ゆぴさんこと「いしかわゆきさん(@milkprincess17)」さんの教えなので、いつもその教えを守りただひたすらに思いつく限りをnoteに書き殴っております。

こんな文章を世に出すきっかけを作ってくれたゆぴさん、ありがとう!


書くことをためらってしまう方にも「書く習慣」は超オススメです。


noteに自分の文章をひたすらに書き続けていると、ふと

なぜぼくはこんなことを続けているんだろう?

と考えることがある。


ぼくが子供の時や学生時代の時のことを思い出してみると、そういえばぼくは作文の宿題を苦にしたことがなかったなあと。

文章がウマイ or ヘタはともかくとして、作文を書く時に手が止まって何日も放置してしまう…とかはなかった。
手をつけるまでが億劫で、なかなか手をつけられなかったことはある。でも、そこを乗り越えて書き始めることさえできれば、あとは思いつく限りの文章を書いて出していた記憶がある。

夏休みの読書感想文などは、後になればなるほど手をつけるのが面倒くさくなるから、夏休みに入る前に済ませてしまったこともある。

もっとも、ぼくは読書が苦手という致命的な欠点があるから、まえがきと冒頭の一章くらいを読んで強引に内容を膨らませていた気がする。それこそ著者の言い分などそっちのけで、独善的な読書感想文になっていたはずだ。

今思えば、それはもはや読書感想文などではなくただの「手記」だね。

(ぴこつの読書が苦手エピソードにご興味がある方はこちら)

でも、宿題での作文は強制的なもので、自分から進んで書いていたわけじゃない。ただ自分が苦にしてはいなかったというだけのことで、今のnoteを書いているルーツとするにはちょっと物足りない。

もう少し時代を先へと進めてみる。

ぼくが高校生の時だ。ぼくは工業高校に通っていた。

ちなみに当時ぼくはプログラミングに興味があって「情報技術科」に入りたかったんだけど、中学の進路相談時に担任の先生から、

「お前の頭では情報技術科は難しい。手が器用そうだから機械科にしておけ」

と言われて、言われるがままに機械科を受験した。

ふたを開けてみれば当時の情報技術科はさほど人気がなく定員割れを起こしていて、受験さえすれば入れたはずだった。その時にちゃんと情報技術科に入っていたら、もう少しちゃんとしたプログラムを書けるエンジニアになれていたかもしれない。

おかげで機械科を卒業したぼくは、自分で書いたダメなプログラムを毎日整備している。

不本意ながらの機械科とはいえ、そこは工業高校。
ちょうどパソコンが一般的に普及する時代に入っていたので、簡単なプログラミングの授業も少しは組まれていた。

その授業がぼくは楽しかったんだけど、はっきり言ってプログラミングをしていた記憶はほとんどない。

何をしていたかといえば、テキストエディタを開いては自分の生い立ちなど、小説家気取りでただひたらに自分語りをタイピングしていた。さすがに何を書いていたか内容は覚えていない。ただ、恥ずかしくてとても他人に見せられるようなものではなかっただろうということだけは言える。

それを、当時のぼくは周りのクラスメイトに見せていた記憶もある。その時はなぜか自信満々に見せていたので、いま考えると頭がおかしいナルシストに思われていたかもしれない。

その時から、ぼくは自分の頭の中を言語化するということをしていたのかもしれない。さすがにそのまま「小説家になろう」などと考えることはなかったと思うが、自分の思いを文章にする作業が心地よいと感じていたんだろう。

高校3年生の卒業前、就職試験でよくある小論文の訓練として、毎朝なにかしらの物語やコラムを読んで感想文を書くという時間があった。
それを発案したのがクラスの副担任で家庭科を教えていた女性の先生。

いつも、生徒が書いた文章にその先生が感想などを書いて返してくれていたんだけど、ある日その先生が書いてくれた感想が今でも頭に残っている。

すばらしい。あなたには文才がある。

正直、ぼくはその時間はものすごーく適当なことを書いて出していた記憶しかないんだけど、そんな先生の感想を見た時はすごくうれしかった。

noteを書いていると、そんなことをふと思い出しては自分の文章を「意外とうまく書けてんじゃん」とか言ってしまうあたり、やっぱりぼくは高校生当時と変わらず根がナルシストなのかもしれない。


そんな高校時代から20年以上が過ぎた。

思えば遠くへ来たもんだ。

高校生の時にレトロなパソコンにナルシストな自伝を打ち込んでいた頃のぼくと中身は変わっていないんだろう。
noteの日記につづるぼくの文章はいつも自分よがりの独善的でなんのこっちゃな記事ばかり。

それをあなたに見せてしまっているというのは、ちょっぴり心苦しい気もするけれど、どこか自分の発信欲を満たしている気分もある。

高校生だった自分の時とは違い、自分の文章をすぐに、しかも会ったことのない誰かに見てもらえているというのは面白いことだなと思う。


時間はかかったけど、noteが出てくるこの時代まで生きててよかったな。


じゃあ、またね。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?