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置かれた境遇にそれなりの理屈を添えてみる

おだやかな晴れ空を見ながら、記事を書き始めてみている。

この冬はずっと寒くて、今年に入ってたびたび訪れる暖かい日から「いよいよ春が来るのか?」という期待が裏切られることは数知れず、「今日はだまされないぞ」と警戒心は保ったまま、パソコンの前に座っている。

ただ思ったんだけど、この予期せぬ暖かい日が来る頻度が少しずつ多くなってきていない?

突然に雪が降ることもあるけれど、その反動なのか…いや天気に反動もなにもないとは思うけど、暖かい日がポッとやってくる。

雪が降るほどの寒い日は体も固まってしまうからか、緊張感みたいなものもあって気分も塞ぎがちだけど、こういう暖かい日にはやっぱりちょっとなごむというか、気が緩む感じがしてる。


今の場所に引っ越してきてから、すでに半年ほどが過ぎた。

ぼくの感覚ではまだ引越し後間もないような気分だけど、実際にカレンダーを付き合わせてみるともう半年。
あたり前の話だけど、1学期が終わってから転校したぼくの中学1年生の娘も、あと1ヶ月ほどで2年生になる。

もともといたところはいわゆる「田舎町」で、ぼくが生まれ育った場所。

別に自虐的に「井の中の蛙」ということを言うつもりもないけれど、これほど大きく生活環境が変わったことが初めての経験だったから、ぼく自身がそれによって環境の変化に弱い人間なんだなということは発見だった。

引っ越し当初はずっと将来の生活に対しての不安に押しつぶされそうで、それが影響していたのか、耳鳴りに悩まされるようにもなった。

「コロコロ」とも「ジリジリ」とも取れるような耳鳴りが、何かの音に共鳴して起きるようになって、近くの耳鼻科にも行ってみた。

結果は耳自体も聴力も問題はなく、精神的なものじゃないかとのことで、
「うまく付き合っていきましょう」
という経過観察の状態で通院はおしまい。

それが去年の年末ごろの話で、年が明けてもその耳鳴りは消えなかったので、あまり気にせず付き合っていこうと決心して過ごしていたんだけど…

最近、その耳鳴りが消えていることに気がついた。

「あれ?そういえば鳴っていないな」

くらいに忘れていたので、やっぱり一時的に精神が乱れて起きていたことなのかもしれないね。でも、その耳鳴りが続いた2ヶ月くらいは「もう治ることはないだろうな」と思っていた。

それが消えたということは、身体的にも少しはこの生活環境にも馴染んできたということなんだろう。


ぼくが今の土地に引っ越してきたのにはいくつか理由はあるけれど、仕事上の転勤とか「何かの必要に迫られて」ということではない。

端的にいうと「環境を変えたかった」ということなんだけど、実際にはいろんな意味を持っての引っ越しだったと思っている。


みんなは、いま自分が置かれた境遇とか環境について

「なぜ今、ここでこうしているのか」

って考えることはあるかな?


ぼくは寝起きなどにふと思う。

自分がここでこうしている意味はなんなんだろう?

って。

自分がここでこうしているのには何か理由があって、それは過去に自分が何かを選択してきた結果のはずなんだよね。

そういう理由を忘れてしまっていたりする。

人は判断を下した時、その時の勢いや決意があってそうしたんだと思うんだよね。
考えに考えた末に「こうしよう!」と決めて実行する。

そういう時の思いはその時のもの。

後になって考えてみても、その時の記憶はあいまいだったり薄れていたりもする。

だから「今自分がここでこうしている理由」は過去の記憶をさかのぼってもあまり意味がない。その時の自分の熱量で決めたことは今となっては知る由もないのだ。

ぼくはすぐに忘れてしまうから、今自分の置かれた境遇に意味を持たせたくなるんだけど、それはもう現状を見て判断すればいいんだよね。

  • 通勤時間が短くなった

  • 精神を乱す人間関係から距離が置けた

  • 新しい土地を知ることができた


きっと、それでいい。


それが自分や家族の将来につながるはず。

以前に居たところでは味わえなかったであろう感覚や、なかったはずの未来が今のぼくたちにはある。
娘には新しい人間関係ができたし、成人マンガ家の妻のnikoさん(@nikonikopun17)は腰を擦えてマンガを描けている。


自分では感じにくい変化も、一緒にいる家族に置き換えて考えてみると、そこには大きな意味があるような気がした。

ぼくのやっていることはさほど変わっていないけれど、きっと家族はいい方向に向かっているんだと思うことにしよう。


暖かい今日に感謝。


じゃあ、またね。


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