「楽しい」の正体はおもしろいにあらず
自分のやっていることに対して「楽しい」と思えるのはどんな瞬間なんだろう。
そもそも「楽しい」ってなんですか?
「楽しいに理屈なんて存在しない」
「そんなことを考えたって意味はない」
まったくもってその通り。
だけど「楽しい」がどんな状態なのかわかっていなければ、もしかしたら自分が「楽しい」と思っているのに気づいていないだけかもしれないよ?
ぼくはそんなことにも果敢に挑んでいきますよ。それでこその「なんのこっちゃ日記」だから。
こんにちは、なんのこっちゃ担当のぴこつです。
何かをしていて思わず笑ってしまうようなことは間違いなく「楽しい」のだろう。
「泣きながら笑う」とか「笑うしかない」みたいな状況に遭遇する時もあるけれど、そういう時はだいたい自分の外側からやってくる「外的な要因」だよね。
それを除いて、自分の意思でやり始めた事とか自分の意思で続けていることに対して、笑ってしまうほどに面白いことなら、その時は十中八九楽しんでいる。
自分の意思で始めたこと、つまり自分の内側から発動したことは時に苦痛を伴う。
そもそも「楽しもう」と思って始めたことではないこともあるし、「楽しいだろう」と思って始めても自分の想像と違うという場合もある。
「おもてたんとちがう」というやつだ。
ぼくらはしばしば「おもてたんとちがう」にブチ当たる。
想像していたよりもむずかしかった
想像していたよりも大変だった
想像していたよりも痛かった
そういう想定外の状況では「おもてたんとちがう」となってやめてしまうこともあるよね。
ぼくは、何か新しいことを始める前に、やっているイメージを膨らます。
ビリヤード
スノーボード
ウクレレ
など、特に大人になってから始めたようなことは実践前に映像を見たり、本を読んだりしてイメージするのだ。
「やるからにはうまくなりたい」と思っているのは確かだけど、ノミの心臓の持ち主であるぼくはたぶん、知らないことをいきなりやるのが怖いんだと思う。
それともう一つ。
完璧主義のぼくはできない自分が許せない。だからできる自分を想像して挑んでいるんだと思う。どちらにしても、できない自分に出会ってしまうことに恐れているだけなんだろうな。
そうやってイメージを膨らませてから臨んだことは、意外にもうまくできてしまうことが多い。「うまく」と言っても、何の経験も知識もない人が「はい、やって」と言われてやった状態よりはうまいというだけの話。
でも、この状態にぼくは肩を撫で下ろす。
そしてちょっぴり自分に酔って「意外にできんじゃん」といったん満足する。
だけど、所詮は付け焼き刃のイメージだけ。なんとなくうまく入れただけのことで、少しレベルの高いことに挑んだ瞬間に壁に当たる。
そんなことはいくらでもあるはずなんだけど、ぼくはその瞬間に
「おもてたんとちがう」
となってしまうのだ。これを思い上がりというんだろう。
そんな状態が「楽しい」とは到底言えたもんじゃない。一瞬は楽しんでいるかもしれないけれど、ほんの一瞬。うまくいかなくなってやめてしまったようなことは、今となっては「あの時は楽しかった」というのも気が引ける。
「楽しそうだ」と思って始めたわけじゃない、このnoteはどうだろう。
書き始めた当初は、「自分の壊滅的な記憶力のなさを補うため」とか、「日々の思考を整理するため」というのが主な理由だった。
それは今も変わらない。自分が思いついた何かを忘れない内に記録したり、モヤモヤしていることをnoteに書きながら自分の中で答えを出す。
それ自体は自分にとって意味のあることだとは思うけど、「笑うほど面白い」からは程遠い。
noteの記事を書くことは始めてからの3ヶ月ほど、ほぼ毎日続いている。
「毎日書くぞ!」と意気込んで続けているわけじゃないけれど、なんとなく続いている。それはぼくにとっては何ということはない。ただの習慣なんだ。
なんで続いているんだろう?
義務としたことじゃない。何かの使命を感じているわけでもない。
そこにあるのは「なんとなく」だけ。
自分にとってこれが良いことだというのは間違いない。それは3ヶ月続けてみても変わっていない。
スノーボードを始めた時のように事前にイメージを膨らませて始めたようなことでもない。
ただ「書くこと」自体は日本の教育を受けた人であれば誰にでもできるスキルでもある。わけもわからず始めるようなことではないので、スムーズに入れたというのはあるだろう。
きっとそれがよかった。
特に「うまくやろう」を意識することなく書き始めて、自分の思いをnoteに書き連ねてきただけ。それがなんとなく続いている。
これって、もしかしてぼくにとって「楽しいこと」なんだろうか。
確信は、ない。
今のぼくには「noteを書いて楽しいですか?」と聞かれて「楽しいです!」と答えられる自信がない。
だけど、事実としてnoteの記事を書くことは続いている。
「楽しい」の字を見てみると「楽」が入っている。
「楽」とはつまり自分が楽にできることを指しているのかな。
だとしたら、ぼくが今書いているnoteは時間はかかるけど楽な気分でできていることなので、やっぱりそれは「楽しい」のかもれない。
どうせなら「学問」の漢字も「楽問」だったらよかったのに。
それだと学びがなくなっちゃうからダメか。でもそのくらいの方が学びに対してスッと入っていけそうじゃない?
だって学びって本当は楽しいことのはずなんだから。
笑ってしまうくらいに面白いことではなくても、自分が楽に続けているようなことなら他にもありそうな気がするな。
それを「当たり前」にせずに「楽しんでいるんだ」って認識するだけで、人生がもっと楽しくなってくるかもしれないね。
これを読んでいるあなたも、きっと自分だけの「楽しい」を持っているはず。
ぼくは本当に趣味が少ないけれど、楽に続けられることを増やして行ってみようかな。そして自信を持って「楽しい」と言えるまで続けてみよう。
じゃあ、またね。
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