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自分が持てる責任の範囲はどこまで?

人生を振り返ってみると、子供の頃から責任感なく「いい加減」に生きて来ているなぁと感じる。

自分でそんなことを言ってたら世話がないよね。

責任感も世話もない。


そんな言葉はない。


性格がら、リーダー役のようなことをすることはなかったけれど、学校に通っていれば部活動だったり委員会だったりと何かしらのポジションを与えられる場面は多い。

中学生の時、卓球部に入っていた。

スポーツ全般が苦手なぼくだけど、卓球だけは自分に合っていたらしい。中学一年生で入部した当初から何となくセンスがあったようで、レギュラーとしてチーム戦に抜擢されていた。

ただ、アスリートのような意欲や向上心が欠けていたぼくは、ローカルな大会では何回か優勝したりなどしていたけれど、少し大きな大会に出るとデコピンでもされるかのように一回戦敗退してしまうという、「井の中の蛙」を絵に描いたような中途半端さ加減を発揮。

書いていて思ったんだけど、今の時代で「デコピン」って伝わるのかな?
そもそもデコピンの発祥も知らないけれど、今それを学校でやっていたらイジメに当たってしまうのかも!?


そんな感じで中学の3年間はのらりくらりと部活動に取り組んでいたぼくなので、ここからもわかる通り責任感のかけらもない。

当時、先生ではなく外部のコーチ(いわゆる鬼コーチ)が部活を仕切っていたので、部長など責任あるポジションはそのコーチが選んでいた。

自分で言うのもなんだけど、ぼくは卓球の実力だけで言うと同級生内ではずっとトップレベルにあったと思う。まじめに毎日部活動にも参加していたし、この記事だけだと「劣等生」っぽく見えるかもしれないが、練習だってちゃんとやっていた。

2年生の後半、3年生が引退して部長を決めるとなった時。

ぼくら同級生の中でも実力的にはNo.3くらいのポジションの子が例のコーチに抜擢された。

なんとなくこういう時、真面目で実力が一番ある人が部長になったりしそうなもんでしょ?

でも、そうじゃなかった。ぼく自身も部長はやりたくなかったから心底ホッとしたんだけど、コーチもいい決断をしたなと思う。


高校に入っても、ぼくは卓球部を続けた。

あまり記憶がないんだけど高校の卓球部は人気がなくて、3年生は5人ほどいたものの2年生部員がいなくて(もしかしたらみんな幽霊部員だった?)、1年生部員が一番多かった。

なので、3年生が卒業する時に部長が1年生の中から決めることになったんだけど、当時の3年生部長が後任に抜擢したのが、ぼく。

なんとなく実力的には一番上だったからそうしたのかもしれない。

それから中学の時は部活動は強制参加だったので、それを普通だと思っていたぼくは毎日部活に参加していて、部長にはそうとう真面目なやつに思われたらしい。

なのでさっき使った「幽霊部員」なる言葉を知ったのも高校に入ってから。

ちなみに、高校の卓球部には中学の時に部長をやっていた子と一緒に入っていた。
当然、ぼくが部長になったのでその子は部長ではない。


部長になってからというもの、責任感が出てみんなをうまくまとめ上げた・・・とはならなかった。
そもそも性格的にも「ひねくれ者」で、自分のことにしか興味がないような人間にそんな大役が務まるはずもない。

結局、後にぼくは中学時代との部活動への意識のギャップに失望して幽霊部員へと堕落してしまった。部長の座も、いつの間にか他の子に移っていたと思う。


当時から責任のあるポジションを任されたとて、平気で投げ出してしまうような隠れ問題児だったんだろう。協調生がなかったしね。


結局、「実力のある者をリーダーに据える」というのは任命する人の無責任が生むのだと思う。

単に面倒くさいからそうしているだけなのだ。

それからもう一つ。任命した理由がわかりやすいよね。

「彼が一番実力があるからだ」

と言えば、周りは納得せざるを得ない。

つまり任命した責任から逃れることができる。

誰かを信じて仕事を任せるということは、自分にも責任が降りかかかる。
それをしっかりと受け止められない人ほど、わかりやすい理由をつけがち。

ぼくの人生もやっぱり部活と同じ。

マイペースで、のらりくらり。

さすがに家族を持った今は色々な責任を感じて生きているし、フリーランスエンジニアとして任されている仕事にも責任を持ってやっている。

ただ、誰かの上に立ったりとか、リーダーになったりとかっていう他人の人生を預かるようなポジションには立ってはいけない人間だろうなと思う。

そもそもヘタレだしね。

ダメ人間を地で行っているような人生だけど、責任を持つのは自分自身と現在は中学生の娘、妻で成人マンガ家のnikoさん(nikonikopun17)の人生だけで十分だな。

逆に、自分含めた家族の3人だけの人生はなんとか守りたい。

ポンコツのぼくだけど、やれることをやっていきたいね。


そんな、41歳を迎えた年。


じゃあ、またね。

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