自己表現にnoteを選択したのは必然だった
毎朝、通勤途中にすれ違う散歩してる柴のワンコが居て、ほっこりしながら見てたんだけど、いつのまにか見なくなってしまった。
そういえば年明けから見ていなかったということを今朝になって思い出して、3週間分の寂しさに襲われています。
こんにちは、喪失のぴこつです。
ぼくはこれまでの人生で、SNSを継続できた試しがない。古くはmixiから始まり、Twitterには利用価値を見出せずに回避して、Facebookも遅ればせながらに始めてはみたものの、やっぱり長続きはしなかった。
mixiやFacebookでは時々記事を書いていた記憶はあるけれど、それでもほんの数記事。
Twitter至っては「ツイートって何?」「何のためにそんなことするの?」と思うこと数万回。
結局は時代に取り残されてここまで来てしまった。今さらサラサラながらにこのnoteの記事をシェアするくらいはしてみているけれど、やっぱりどこかぎこちない。
なによりフォロワーもほとんどいないので壁打ちのようなツイートだ。
(そんな中でもTwitterから読んでくれている人には本当に感謝しかないです!)
そんなSNS音痴のぼくが去年の月に出会ったのがnoteなんだけど、極まりない奇跡的にもここまでのところ「ほぼ毎日」更新ができている。
「”奇跡的に”なんて大袈裟な・・・」
と思われる方もいらっしゃるかもしれない。
だけど、自分の性格はよく知っている。とにかくズボラ極まりのがぼくで、人類史上稀に見る天性の飽き性がぼくなので、そんなぼくがnoteをここまで続けられているといことは奇跡としか言いようがないのである。
常日頃から「noteを毎日更新することを義務にはしていない」と言い続けているのは、ぼくの記事を読んでくれている方ならご存知のことだとは思うけど、初めてご覧いただいているあなたにもお伝えしておきたい。
毎日更新を義務としてしまった瞬間に、サボり根性しかないぼくは「やーめた」と投げ出してしまうだろう。
夏休みの宿題で毎日更新を課せられた「一言日記」はハナから反発して「そんなもんやってられっか!」と小学生の時から高校生まで中二病を発症し続けていた。
いい大人で、いいおっさん(良いおっさんではない)になった今でも毎日更新を自分自身の義務としたら、自分の奥底に封印された中二病が発症するのは間違いない。
なのでいつも日記にこのことを書く時には保険を変けて「ほぼ毎日」と綴るようにしている。
ネタのようだけど、義務となった途端にやる気を失ってしまうことってあるよね?
本来、自分が続けていることって少なからず楽しいとか、気分がいいとかって言う理由で続けられているんだと思うんだよね。
ぼくもこのnoteをなんとなく続けているように見えて、やっぱりnoteに日記を書くことで自分の心が救われている部分があるからなんだと思う。
そういうことに気がつくのも、ある程度の期間を続けてみてようやく実感する物。何かに気がつくまでには時間がかかる。それもnoteを書いて初めて続けられたからこそわかったこと。
そして、ぼくのnoteはプロフィールにもあるとおり「なんのこっちゃ日記」でお送りしているんだけど、これ自体がぼく自身の自己表現なんじゃないかと思えてきた。
これまでどんなSNSも長続きすることはなく、やってみてもその実態が掴めないまま、発信することに虚無感しか生まれなかった。念の為に言っておくとこれは本当にぼく個人の感覚です。純粋にこれまでのぼくには合っていなかったなと。
何を発信していいのかわからない
どう発信していいのかわからない
誰に向けて発信していいのかわからない
と言うのがnote以外で発信をしてみてぼくが感じたこと。
noteで書く日記は、日記なので発信する対象はぼく自身だ。最近は読んでくれている人も増えているので、せっかくなら少しでも自分の思いが伝わったらいいなと意識して書くことも増えてきた。
みんないつもありがとう。
だけど、noteを始めた当初は自分の頭の中や心の中を整理するためだけだった。
スタートからして、誰かに強制されることもなければ、誰かを意識する必要もない。
これがぼくにとってはよかった。
それに、良くも悪くもダラダラと書き続けられる。
ぼくは昔から文章を書くのが好き。と言っても小説とかじゃない。
まさに今、この記事と同じように「書き殴る」のが好き。
Twitterのように短文にまとめる能力がないだけなんだけど、noteにひたすら文字を書いているのがやっぱり好きなんだ。
そこは誰に何と言われても「それがぼくなんだよ」というしかない。
Twitterだって諦めたわけじゃない。
ぼくも天才ツイッタラーのように誰かに共感されるような短文を書いてはみたい!
でも、今はnoteを続けて書いていることによって、ぼくがこの世に存在していることをアピールすることができていると感じてる。
「誰に」とかじゃなくて、自分自身が「ぼくは生きているぞ」と自分の外側に向かって発信できていることが大切だと思う。
ぼく自身は内向的な人間で、なんでもかんでもずっと内に内に秘めてしまう。
そんなぼくが外に向けて何かを発信するという事実が尊いと思う。自分で言うようなセリフじゃないけれど。
もしも、もしもあなたが自己表現をする場所がないと思うなら、noteでやってみませんか?
誰に見られようが、見られなかろうが関係ない。自分に向けて書いてみる。
それが不思議とnoteなら誰かの目に留まって「スキ」を押してもらえちゃったりするから面白い。
調子に乗って毎日続けてしまっているのがぼくですけどね。
今日はこんなところで切り上げて、twitterにも上げよう。
じゃあ、またね。
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