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「書くことがない」は根本的に自分にウソをついている

お酒を飲むと何かを食べたくなり、食べているとさらにお酒が進む。
つまりグダグダと飲んだくれる以外何もしないまま昨夜の寝る時間を迎えてしまいました。

こんにちは、ぴこつです。

noteを書くことを習慣にしていると「ネタがない」と考えてしまうことがある。同じように記事を書いている人であればそういう場面が一度くらいはあるんじゃないかな?

でも、それって本当だろうか。

人間というのは、今この瞬間にも何かを思考している。「何も思いつかない」というのも思考だ。
屁理屈だと言われたらそうかもしれない。
だけど、いま目の前にある何かを見て「何も思わない」なんていうことは絶対にないはず。

たとえば目の前にコーヒーの入ったカップが置いてあるとする。それを見たあなたは、

  • カップが白い

  • 湯気が出て温かそう

  • ゆっくり飲まないと火傷しそう

  • 年季が入っている

  • 模様がある

など何かしらを無意識に考えている。「思考」とはこれのことで、つまり書こうと思えばいくらでも書けるはずなのだ。

じゃあなぜ書けないかというと、

  • 書くほどのことじゃない

  • 自分の文章に自信がない

  • 今日じゃなくてもいい

など、実は「書くことがない」とは別の理由が隠されていたりする。

ぼくの場合もそうで、たいていの場合は自分自身がなんとなく書くのがめんどくさいという時に「書くことがない」がやってくる。

「書くほどのことじゃない」とか「文章に自信がない」などは、ライターなどお仕事での執筆ならばそれは確かに意識しなくちゃいけないことだろう。

でも、ぼくがほぼ毎日書いているのは「記事」と言いつつも日記なのだ。なんなら自分で「なんのこっちゃを提供する」と公言しているではないか。
ちゃんと「ぼくの日記はくだらない」と予防線まで貼っているので、どれだけくだらない内容の記事をあなたに見せてしまったとしても、それがぼくの日記の価値ということになる。

なので、目の前にあるコーヒーカップをつぶさに観察した観察日記でもいいし、付け合わせの豆菓子が何気に美味ということを延々と語るのもアリ。
もっとも、そんな記事に付き合わされるあなたの心中はお察しするけれど、それでもぼくは問答無用で投稿してしまうだろう。

でも、安心してください。少なくとも今日は豆がしのことをこれ以上持ち出すことはありません。いつかのネタのストックとして取っておきます。


「書くことがない」を深掘りしていくと、その真意は一言で言うと「プライドを保ちたい」と言うことができる。書こうとしているネタは恥ずかしい。自分の文章では恥ずかしい。そんな思いが含まれているのかもしれないね。

思いついたネタは確かに恥ずかしいこともあるかもしれない。だけど、書き出してみるとそんなに気にならないということもある。または「開き直り」ともいう。
でもそういうもんだ。

「恥ずかしい」と込められた思いはそのまま文章に載せてしまってもいい。だってそれを含んでの思考なのだから。「恥ずかしいんだけど」と書けば書き手はそういう思考だとわかるし、9文字の文字数稼ぎにもなる。


文章力はどうか?

そもそも「文章力」なんて言うけれど、所詮は言葉あそび。
極論、文章にウマイもヘタもない。これも何度も言うけどライターの記事とか小説とか物書きを生業としている人の文章であればそれを評価する人もいるかもしれない。

だけど、日記や自分の思考整理のための文に上手な文章は必要ない。自分の思考がまとまったり、書いてスッキリしたらそれがその文章の完成形。

それに、ぼくは文章って書けば書くほどにそれなりに上達するものだと思っているので、くだらない内容でだろうが、くだらない文章だろうがとにかく書き続けることが将来の自分の文章力となっていくはずなのだ。

逆に言うと「書かなければ上達はしない」だね。

ゲームとかと一緒。ゲームだって何回も失敗をしながらも何度も繰り返しやっているうちにそのうちに上手くなる。

ぼくの妻で成人マンガを書いているnikoさん(@nikonikopun17)も、電子書籍の
連載漫画家になるまで、やっぱりひたすらに漫画を描いていた。


出版社から「ウチで漫画を描きませんか」とお声がかかった時だって、まだまだ上手に漫画を描けなかった。
それでも仕事として担当編集者に何度もネームを提出して漫画を完成させたんだよね。今も、ずっと描きながらも上達していってるはず。

ぼくはそんなnikoさんをずっと見ているから、自分がnoteで記事を書くことによって文章が上手くなっていくことを知っている。
それでたとえ誰かに評価されるような文章にならなかったとしても、自分自身で納得がいくならそれでいい。

おかげさまで少しずつでもフォロワーさんも付いてくれているので、ぼくの文章もある程度評価されているんだと勝手に思い込んでいる。


たしかにぼくの書く記事の大半は自分よがりで自分のためにしかなっていないかもしれないが、その中でも読んでいる誰かが共感してくれたり、自分の中の気づきになってくれたりしたら、それもすごくうれしいこと。

ハズレ記事を引いてしまったと思われた方には申し訳ないけれど、ぼく自身が「書くことがない」を理由に記事を書かないのがなんとなく気持ち悪いのでどうかお許しを。

ぼくの記事は思考の記録、思考整理、文章トレーニングで成り立っております。たまには有益になりそうな記事も考えて書きます。
ぼくの記事からそういうアタリ探しをゲーム感覚でやってもらえたら面白いかもしれないね。

もっとも「アタリが入っていなかった」という可能性も十分にございます。ご了承ください。


じゃあ、またね。


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