意味はなくとも意図を持って生きろ
人生の意味を問うことには意味はない。
というようなことをずっと考えている。
それまではずっと生きる意味を考えていた。
でも、考えども考えども答えは出ない。
そもそも意味を見出すほどの価値を生むような生き方はしていなかったな。
何か大きな野望があって、それに向かって努力している人なら、そういうことを考える資格もあるのかもね。
ぼくのように「ただなんとなく」生きてきたような人間には、人生の意味なんて探したって見つかるはずもなかったよ。
それでも、あえて中二病よろしく反論をぶつけるのであれば
「だからこそ意味が欲しいんだよ」
と言ったところか。
自分がただなんとなく生きているような気がするから、意味を持たせたくなる。そうでないと自分がみじめに思えてきてしまうからね。
でも、意味を探したところで「見つかる」or「見つからない」はまた別の話。
少なくともぼくにはまだ見つかっていない。
だからいつもモヤモヤする。毎朝のように不安になる。
そんなぼくが出した一定の答えは、
意味を探す暇があるのなら、そんなことは忘れてとにかく踊れ。
ニーチェの言葉らしい。
意味を探すよりも、自分がやっていることに夢中になって、意味なんて考えなくていいから好奇心に身を任せて追求しろということ。
踊るように生き、そうやって夢中になっていればいつか何かにつながるかもしれない。
人生は「点」の連続だ。
一本の線などではなく、まったく関連のないようなところに点を打ちまくる。その点がたくさんになってくると、点どうしが勝手につながるようになる。
自分の意図していないことがつながることもある。むしろ人生はその偶然の繋がりを楽しむべきなんだ。
人が生きる意味を考える必要なんてない。
その代わりに、自分が生きる意図を持つことにしてみようと思う。意味はどれだけ探したって見つからない。そもそも明確な答えがないのだから。
だけど、意図ならば持つのは自由。
自分は何を目指すのか?
それを達成するために何をするのか?
目指すにあたって何を準備するのか?
そういう「冒険心」のような物を持てばいい。
意図は「夢」や「目標」と言い換えることもできる。
正直に言うと、ぼくは生まれてこのかた夢とか目標といったことには無縁の人生だった気がする。生まれてきてから、もう41年も経ってしまった。
大きな夢や目標を持つことで、生きることに意図が生まれる。
意味を問うのであれば、その夢や目標も否定しなければいけなくなるかもしれない。
でも、意図であればどんなことをしたっていい。それは自分の中にしかないものなんだし。
だから一つ目標を立てたら、その目標に突き進んでみよう。
その目標に向かって懸命に生きて、突き進むことこそが人生というものの本質だろう。たとえ、立てた目標に到達できなかったとしてもいい。
なぜならばその目標に向かっていくことこそが人生だから。
その意図は、自分の中にしかない。他の誰にも邪魔される理由はない。
もしかすると、目標に向かう過程で自分の命が尽きることもあるかもしれない。それが事故なのか、病気なのか、寿命なのかはわからない。
もちろん、死なないための努力はする。
それでも命を落とさないという保証はどこにもない。
仮に命を落とすことになったとしても、そこまでが人生のゴール。
夢や目標はゴールではなくて「人生の意図」。
自分が生きていく上で指し示した進路のようなものだ。
夢の種類によっては、到底自分の命がある内には叶わないということもあるのかもしれない。
そうであっても、そこに向かうことが自分の人生なんだろうね。
もっとも、ぼくにはそんな途方もない夢を持てるような器の大きさはないんだけれど。
今のぼくに、人生の意図を持たせるならどんなことなんだろう?
41歳で家族を持つぼくが、これから一人なにか新しく始めて成功するのはちょっと無理がある。
ましてや今の自分は家族の中で一番の稼ぎ頭。ぼくの稼ぎがなくなったら家族が生きていくことは難しくなる。
だからこそ、考えられるのは
「小さくてもいいからやれること」か、
「妻や娘のためにできること」
ということになる。
自分が今やっていることの全てを投げ出してしまうのはダメでも、何かしら少しの意図を持ったことなら始められるはず。
このnoteだって、そんな自分の人生の意図の一環だという下心もあって始めた。
意味なんてない。ただ記憶力が壊滅的でポンコツなぼくの思考の記録用だ。
それからもう一つは妻や娘のことも少しでも誰かに伝えたいという思いもある。
妻は成人漫画家のnikoさん(@nikonikopun17)だし、中学一年の娘は「絵師」(イラストレーター)を目指して日々奮闘中だ。
そんなクリエイターである彼女らの助けになることをやっていきたい。
そのために、今日も一つnoteの記事が書けた。
ぼくの人生の意図に沿った生き方だ。
ぼくの今日は、それだけで一つ、目標が達成できた。
万が一、ぼくが明日の朝になって目を覚さなかったとしても、人生は真っ当できたといえると思う。
絶対に起きたいけれど。
また一つ、人生に目標ができた。
「明日、目を覚ます」
じゃあ、またね。
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