天才と凡人に境目は存在しない
こりもせず文字を打ち続けているしか脳がない凡人代表のぴこつです。
みなさんこんばんは。
ということで「ひたすらに文章を書きますよ」という宣言をしているだけの本日1回目の記事はこちらです。よければ…というか是非とも見てね。
タイトルでだいぶスベってるのであまりご覧いただけていませんが、内容はけっこうアツめです。よろしくお願いします!
上のような記事を書いた手前、勇んで夜も記事を上げようと書き出してみたんだけど、ワインを飲みながら特番で放送していた「必殺仕事人」を観ることに夢中になっていたら書き上げられなかったというところにぼくの凡人ぷりが現れている。
翌朝の今になって導入部移行をこうして書いているわけだけど、夜の間に仕事をこなせなかったら仕事人への道は遠い。
世の中には「天才」という人間が何人か存在する。
いや、正確には天才と「呼ばれる人間が」だね。
野球選手
サッカー選手
数学者
作家
必殺仕事人
こういった職業の中にプロが存在し、そのプロの中でも卓越した能力を持った人が「天才」とされることが多い。
こんなことは言わなくてもわかることだけど、天才と言われる人たちは見えないところでは凡人よりもずっと努力している。
だけど、自分のことを自分から「天才だ」と本気で言う天才はいない。だって自分が努力してそこに至っていることを知っているんだから。
彼ら彼女らには「天から備わった才能」があることは確かだろうけど、もしかしたら天才とは育まれていくものなんじゃない?
それを凡人であるぼくらから見ると、自分からはずっとずっと遠い領域にいるので天才だと思うというわけ。
ぼくの妻で成人マンガを書いているnikoさん(@nikonikopun17)は天才だ。
なぜなら、ぼくにはない「マンガを描く」という才能を持っていて、さらにそのマンガを描き続けて稼げているから。ぼくはその領域に到達するだけの能力を持ち合わせちゃいない。
じゃあもう少し踏み込んで、nikoさんは特別な能力を備えていて、凡人には絶対に敵わない存在なのか?というとそんなこともないと思う。
nikoさんは今、電子書籍で成人マンガの連載を執筆しているけど、パートナーであるぼくはそこに至るまでの経緯はずっとそばで見てきたのでよく知っている。
マンガ家を目指す人ってきっと無数にいると思う。そんなことはデータを取るまでもなく容易に想像できる。その中でも「マンガを描こう」って思って始めること自体がものすごく尊いことだし、実際に描き始められる人の方がきっと少ない。
さらに、自分の描いたマンガをどこかの出版社に持ち込んだり、マンガコンテストに応募したりっていう行動にまで出られた人というのはもっとわずか。
100人のマンガ家志望者がいたとして、半分の50人が実際にマンガを描き出し、その25人がプロとして活動するための何らかの行動を起こす。
実際にはもっともっと少ないよね。もしかしたら具体的な行動を起こせる人は100人中に1人くらいかもしれない。
そう見ていくと、マンガ家の世界ってノックアウト方式なのかもしれない。つまり脱落ゲーム。マンガ家だけじゃない。何かの行動を起こした人から残っていく。
逆にいうと、行動さえ起こしていけば生き残れる可能性が高いということ。
nikoさんは、そういうことをプロになるまでずっとやってきた。それはずっとぼくに「やりなよ」「やったらいいじゃん」と無責任にそそのかされ続けたことの結果かもしれないけれど。
でも、それをやってきたかやってこなかったかで人生が大きく変わる。
凡人と天才の境界線があるとするならば、そこだけかもしれない。
つまり
「やった人」はみんな天才で、「やらなかった人」が凡人。
ぼくはnikoさんのパートナーでずっと隣にいたから、どれだけ努力してきたかはよく知っている。基本的にメンタル強めのnikoさんも、いつも〆切前のプレッシャーはさすがに堪えるらしい。
それでもずっと描き続けているところを近くで見てると、やっぱりnikoさんは天才だと思うんだよね。
もちろん、プロとしてマンガを描いている以上は売れなくちゃいけない。結果が数字として現れるのがプロの厳しい世界だと思うけど、それはスポーツでも同じだよね。天才バッターだったイチロー選手は、常に打率が3割を越えていた。
でもよく考えてみてほしい。3割だよ。
10回打席に入ったら、その内の3本がヒット。
これを続けるだけで天才だと言われる。いや、それを過小評価しているんじゃない。めちゃくちゃすごいことなのは重々承知している。
だから、マンガでも10本描いてその内3本が当ったらそれはもう天才なんだ。実際には、10本描いて1本当たればいい方なのかもしれない。
そこはぼくは出版社の人間ではないからよくわからない。
だけど、ここでぼくが言いたいのは「ヒットを打てばいいんだ」ということじゃない。それよりも10回打席に立てるか?ということ。
プロである以上はヒットを打つことが求められるのは確か。だけど、まずは打席に立たなければヒットを打つチャンスすら生まれない。
これも先人の天才たちが散々言い続けてきていること。でも実際にはその言葉を受けて打席に立ち続けられて人が何人いただろう?
nikoさんがいる成人マンガの業界だって、きっと無数の新人作家が生まれては売れなかったり描く意欲を失って消えていく。やめる理由は人それぞれにあると思う。
だけどやっぱり愚直に描き続けていける人が最後は残る。というか、そういう人たちには最後なんて存在しない。だって描き続ければヒットが打てることを知っていいるから。それができる人はみんな天才!
ぼくの記事ではいつもあなたに「なんのこっちゃ」を提供しているつもりだけど、打率3割が天才の基準だとするなら、記事の10本に7本がスベっていてもいいうことになる。そう考えると、たいていの記事でスベっていてもぼくがへこたれることなんてないよね。
たとえ連日のようにスベリ倒した記事がアップされていたとしても、続けてさえいればきっとそのうち「当たり記事」に遭遇する。
あなたにも、そういう目でぼくの記事を毎日見てもらえるといいと思います。
じゃあ、またね。
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