虚脱感の正体を知りたくて
目次▼
・私が感じる感覚
・しいたけさんのnote記事との出会い
・人は弱い生き物
私は心と体のバッテリーが小さい。
気が使えるとか、色々なことを先回りしてあれこれと手を回すとか、そういうことはできないけれど「人の空気感」を感じることに対しては人一倍敏感だと思う。
人と会うと個人差はあるけど、体が重くなる感覚を度々覚えるし、酷いときには布団の上に寝転がった時に体が布団にめり込んでいくような「虚脱感」を覚える。そのせいか、私は「人との距離感」には人一倍敏感になった。正直、それが好きな相手でも月に一回会うくらいがちょうどいい。
そして私は、私と同じような感覚を持っている人を見つけた。
最近、しいたけ占いで有名なしいたけさんのnote記事を見つけて、恐縮ながら私は幾つかの共通点を見つけてとても驚いた。
しいたけさんの記事によると
・自分が感じる「肩の重さ」によって「人との距離感」を測っていること
・「肩が重くなる」ということは「相手が自分に対して大きな依存度を持っている前触れ」で起こることが多いこと
・「肩の重さ」は昔、しいたけさんが個人占いをしていた時にも度々感じていたこと(【弱さのセンサー】)
・しいたけさんは「人」だけでなく、「場所」にも「虚脱感」を感じることがあること(【少し怖い話】)
ここには、私が普段感じていたことがほとんどそのまま書かれていたので引用させて貰った。
私も占いを受けた時、すごく体が重くなったことが何度かある。一番印象に残っているのは一年前に大学の友達と行った神奈川旅行の占いの館。色んな空気が入り交じっていて、生気を吸いとられたような虚脱感に襲われた。
逆に熱海旅行に行った時に訪れた来宮神社は空気が澄んでいてめちゃくちゃ体の調子が良くなったことを今でも鮮明に覚えている。
きっと人に対しても、場所に対しても「フィーリング」というものがあって、私が覚えた「虚脱感」は私に対する「危険信号」なんじゃないか。
気づけば私の周りには人に対する執着があまり無い人ばかりだと気づいた。
重さを感じ無い人。
自分本意な人。
これはいい意味でも悪い意味でもなくて「そういう人」。
きっとその人たちを私は自分のために選んでいて、私はそれが居心地がいいのだと。そういう人たちが私にとって「体の重さ」を一番感じさせないのだと。
人は弱い生き物
人には基本的に空気感が「重いとき」、「軽いとき」があって、「重いとき」が多い人もいれば、「軽いとき」が多い人もいる。
どちらがいいとか悪いとかではなく、それはその人なりの「自分の守り方」なんじゃないかと思う。
私が「体の重さ」によって「相手との距離感」を測って一人の時間を作っていたり、友達を無意識の内に選んでいたりするように、誰にでもセンサーは無意識下で働いていて適度に距離感を掴みつつも人の温もりを求めているのだと思う。
私はそういう人の不器用さを垣間見たときに何か胸が熱くなるようなそんな感覚を覚える。
もちろん。「体の重さ」を感じさせない範囲内でだけどね。