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貧乏性 - 最近何をしたか 10/16-10/26

貧乏性

私は貧乏性だ。例えば手袋が破れれば縫う。たとえそれが百円ショップで買った普段使いのものであってもとりあえず縫う。きつくはめるのが好きなのが理由かは分からないが、なぜか指先がよく破れるのだ。洋服の補修とかのサービスを利用するまでもない、というよりもこの程度のことでは利用できないだろうと思っている。新しい物を買うこともあるが、生地の他の部分が劣化していなければ縫う。シューズも同じだ。踵がすり減るととりあえず直したい。踵以外の部分はまだ新しいからだ。スニーカーだとやはり自分でやる。それはスニーカーのソールなどそれなりに直せる範疇のもので、革靴など難しいものは靴の修理屋さんに頼む。もったいないとかではないのだ。気に入った比較的安価なシューズを買ってすぐオールソールしたいとも思っていて、靴の修理屋さんに頼みたいこともある。もちろんもったいない気持ちもなくはない。貧乏性ではあるのだが、技術的な問題があるので、自分でやりたいがばかりが先に立つわけではなく、すべてにおいて安価なサービスがあれば利用したい。繕いものもスニーカーのソールも同様だ。なので現時点でしていることも実際は慣れていなくて面倒くさい。でも私以外にやる人がいないので仕方ない。技術的に不慣れでもどうにか直れば気持ちいいしね。

同じように気持ちのいいことは他にもある。衣類の場合、洗濯とかアイロンになるのだろう。アイロンは少々面倒くさいが、わざわざ袖の部分をうまくかけられるようなアイロン台を買おうとは思わない。今あるものでのらりくらりやれればいいのだ。靴の場合は散歩をしまくるのでソール付近の掃除はとても気持ちいい。汚れが落ちる感じが目に見え、いつも歩いている場所の雨上がりの時に付いた芝生や土の汚れ、そういうものを思い出しながらきれいにできる。ブラシをかけるのも拭き上げるのも楽しい。

今の不満はウール若しくはモヘヤの毛糸で編まれた手袋が千切れたままどうすることもできないことか。上に書いた通り技術がないからだ。これをどうにかしたい。面倒くさいけど貧乏性だから仕方ない。そう思ってる。ものさしはないが、実際貧乏みたいなもでもあるし。いやただの貧乏かもしれないな。


おかしくなる

眼の前はとてもまぶしくて光っているから、その衝動が止まらない。それがよいとされないことでも、走り続けなければおかしくなってしまう。若気の至り、そんな言葉で済ませるのもいい。だがこのギャップは誰にでもあるはずだ。それを表に出さない人間が集まりこの安定した社会を作っているというのだろう。それは知ってるよ。


世界の笑顔

善、偽善、ただの言葉。そのただの言葉に噛みつく犬。犬に失礼だ。と、怒号が響く。頭の中で。そんな何でもない話。世界の笑顔は、弱者には優しく手を差しのべ施しをする者を養護し、社会を変える。私は違うがそれでいい。それに彼らは偽善者ではない。やる人だ。


光のクリーチャー

蓄積されるものはすべての記憶。それを多くは知らないから、着々。記憶のプールを成すものは、泳ぐものは、0と1の遺伝子でできた光のクリーチャーか。その得体のしれない物たちにすべてを委ね、表側の太陽のまぶしさに身をまかせ謳歌する。蓄積され続ける記憶は今はあふれていないだけ。そのプールのバルブを光のクリーチャーが開けたらどうなるのだろう。



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