屈託がなく図太い行動力 - 最近何をしたか 12/2-12/7
屈託がなく図太い行動力
友達と年に一度の温泉旅行に出かけた。旅行というが一泊で大したものでもない。しかし自分たちにとっては年周期のそこそこ大切なルーチンであり、見るべきものを見、共有すべきを共有し、おいしいものを食べ、限られた時間を相互に費やす。車で行くので近場ということになるが、基本的に数百キロ以内、それでも運転者は疲れるだろうし普段の生活とは違い負担にもなるだろう。それに友とはいえ、いつも決まった三人で運転者も決まっているから。
これには原動力がある。それは、その中の一人に幹事的な人間がいて、行きたい場所など含めてスケジュールを立ててくれる。私を含む他の二人はそれに対してあまり意見をいうこともなく、ゆだねるのがいつも。幹事的な彼の行きたい場所に行って見たり体験したりする。立ち止まって考えてみれば、大学時代のバイト先で知り合った友とこんなにも長く続いているのは、その幹事的な人間の人柄や力が大きい。いい悪いは別として、彼の仕事が終わったら毎週のように飲みに誘ってくれた時期もあった。釣りに行くのなら誘ってくれ、お花見や忘年会などの企画も常に彼からの誘いだった。他の二人だけではそうはならない。もちろん彼も少しずつ変わってゆき、最近はそんなに頻繁でもない。が、それでも切れないのはそういう個人的な力があるからだ。ふと思い、あらためて回りを見まわしてみると疎遠になった人間も多い。元々友達は多くないが、それでもそう思う。その力はちょっとした屈託のなさと、ちょっとした図太さ、そして地に足のついた行動力、それだ。そういう友をもち、私ももう一人の友達もありがたい。極端なところもあるし、この毎年ルーチンの旅など好奇心が旺盛すぎてタイトなスケジュールになり、それでもそれを完遂しようと突っ走る所もある。しかし自分たちにはない資質だ。いつもそう話している。そして感謝している。面と向かってなんていえないね。でも伝わっているはずさ。ありがとう。
とか言ってるけど一方では結構タチ悪い奴だよ。笑い飛ばせる程度にね。それに何もしない私だって旅では病気以上に疲れてしまうが、そういうのは心地よい疲れだとしても、そうでない人には負担となりタチの悪いものだしね。
灯を
電気が走り、灯り、心が動き出し体も動きだしたよ。記憶に降り注ぐ光の粒は電気から反射したものかもしれないね。それらを感じて歩きはじめることもできた。まだまだ心に重いものはあるんだけど。いや、時には苦しくて苦しくて苦しいときもある。できるのなら泣き出して走り出したい。でも、それは、そういうのは誰にでもあることだよね。自分だけってわけじゃない。だから少しでも心に灯をともして生きてゆきたい。できるかどうかは分からないけど、そう思っている。
笑顔の成分
クリスマスは特に何かあるということはないのだけれど、音楽を聞くのが好きなので、そういう部分で子供の頃から楽しめていると思う。いつも書いている事でもあるが、音楽があるから生きてゆける。息をするように必要なんだ。そうじゃない人もいるだろう。でも音楽はクリスマスだけじゃない、様々なものを様々なように彩ってくれる。そしてそういう中で特別な時間を過ごしたい。人の笑顔が見たい。そして、そういう時間があれば嬉しいんだけどね。