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服のように - 最近何をしたか 6/12-6/22

服のように

近くのショッピングモールのZARAが閉店していた。近くといっても少し郊外で私の住んてる地域では広大なショッピングモールだ。ikkaも閉店している。別にそこで何かを買うわけじゃないけど、ZARAは面白いデザイン、面白い柄の服を見たり、女性服を見たり、ikkaではちょっとしたセール商品と靴下とかを買ったこともあった。ショップが閉まりまた開く、そういうのはどこにでもあること。ここには昔はGAPもあったが今はもうない。広大なスペースにはUNIQLOとGUがありそっちは繁栄しているのかな。しまむらはこういうショッピングモールには出店しないのだろうか。

いろいろ考えた。街が変わってゆくようにショッピングモールも変わってゆく。このような専門店が二百店舗以上あるような広大なショッピングモールではなおさらだろう。利用する店舗は限られているが街に出るよりも楽だ。街に出ないと買えない路地店専門のブランドもあるけど、もう今はそういう店にはあまり行かない。いつも行く貧乏チェアがある近くのショッピングモールじゃないが、ここのような大きなショッピングモールもたまにはいい。昔は散歩に毎日来ていたこともある。雨の日とかは広大な敷地は歩くのに重宝だ。だが何かしら見ながら歩くので気分転換にはいいが思わぬ出費が怖い。そういうことを思い出し、今日のような、こういう気の抜けたような時間を過ごしているとふと思う。自分は何をしてるのだろうか。何のためにここにいるのだろう。服を着替えるように、新しい服を買うように、思考も入れ替えれられればいいのに。思考を刷新できればいいのに。と、吹き抜けの見晴らしのいい椅子からゆったりした人の流れを見て思うんだ。


そこにあった

その恋の明確さは、腐った日常で皮肉まみれ。だけど一つのことを愛していて繰り返す。息を吸い吐くその輪廻。見える幻影、止まることのない鼓動、確かに存在していた信心の中心となる別世界。あったんだ。溢れんばかりの音と色踊る肉体獣たちの狂乱。そしてそこには果汁があふれていて、必ず愛すべき人がいた。そんな場所。そんなとき。


不安だらけの原因

なにかを怖がっていると理由を知りたい。自分の奥底にあるそれにたどり着いたと思っているが、実際は定かではない。思うのは精神疾患などの問題とかその部分。不安障害的なものがあるのならそうかも知れない。そこここ全てにおいて不安だから。だが個別の問題でもある。それを完全に把握することはできないが細々と掘り下げている。


安心の中のたわごと

鉄工所一つで空が赤くなるはずはない、それは分かっている。たが巨大な施設、戦争の時代、船船船、それが赤を不安に見えさせてしまう。それは一方ではその土地の続く栄光であり、当たり前として刻まれている。一方では河にまつわる人々の暮らし、それはきらめく水面のように多彩でめまぐるしい。それを人間は見つめていた。そのコントラスト、いい時代のたわごと。


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