ぼくもにゃーも生きていて
猫を飼っている。犬を買っている人もいるだろう。鳥やハムスター、哺乳類だけじゃなく爬虫類や魚を飼っている人もいるだろう。子供の頃から色々飼っていた。ぼくも猫もこの場所を構成する一部、この小さな重力帯の中ではあまり変わらない、ほぼ同じものだ。共に時間を過ごし温もった。餌をやり多分喜んでいる。窓際の日向で太陽を浴びながらくったり寝ているのを見て落ち着く。そういう世界。ペットは家族という人もいるだろう。それは幸せだ。しかし愛を分からないぼくには家族という単位ではいまいち捉えられない。同じ空間にもいる、けど時々重なることはない重なり、位相の違う一人と一匹でもある。猫はぐーと音を出す。にゃーとも音を出す。まーんとも。そうか、ここにいるんだな。
生き物を捨てる人がいる。なぜなのか本当の理由は分からない。もう興味が亡くなったとか面倒くさいとかそういうのは分かる。しかし捨てるというのに繋がる所が分からない。だって生き物だから。自分勝手に餌付けをし要らなくなったら荒野へ解き放つ。そんなのにゃーには生きられないよ。ぴよもしゅーもわんも、ぶくぶくぱくぱくも生きられない。だから捨てられないのだ。そんな事は全く関係ない人もいることは分かる。しかし時間を共有しお互いを認識しあった個と個。ついつい意地悪をしたこともあるだろうし、獣特有の暴れ太鼓をカマしたこともあるだろう。それを捨てて忘れてそして捨てるのか。笑いはしないが、のうのうとここに寝ていたいた奴が空腹で衰弱しているかもしれない。そんな事は分からないから仕方ないのか。それはどうだろう。
ここに一つの詩がある。新スタートレック(Star Trek: The Next Generation)の登場人物であるアンドロイドのデータ少佐の詩だ。設定では彼は感情を持たず人間らしさを求め様々なものに挑戦している。詩もその一つだが、彼の飼い猫スポットへ送ったものだ。
スポットに捧げる
”フィリス・カタス”
それがお前の正式な学名
四足歩行の動物
生まれながらに肉食
おまえの視覚、嗅覚、そして聴覚は
狩猟能力と防衛に非常に役に立つ
お前たちネコの声にならないのどの振動は
コミュニケーション法として非常に興味深い
気まぐれという定説を覆すように
リズミカルに背中をなでると
振動で愛情を示す
アクロバットの才能には
そのしっぽは欠かせない
優れた平衡感覚敏捷性もしっぽゆえ
動きの一助として使われていないときには
しっぽは感情をあらわす道具として使用される
おお、スポット
お前の複雑な行動様式に
よく発達した認識システムを想う
ひとの言語を解さず
スポットよ
意思は伝わらないが
にもかかわらず、お前は
本当の
大切な友人だ
この詩を書いたように、ぼくは愛情で推し量ろうとしている。そしてぼくが思うのは生き物を捨てるなもあるが、飼うなということだ。相手は生き物だ。共存できないのなら飼うな。想像力が欠如している人間は飼うんじゃない。物を粗末に扱う人間は生き物を飼うんじゃない。ということだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?