ただそこにある - 最近何をしたか 1/5-1/15
ただそこにある
人はなぜミスをしてしまうのだろう。どうして傷ついて、傷つけてしまうのか。どうして意味もなく不安になり、アルコールのようなドラッグに溺れる。上辺だけの人間はどうしてそれを許し、仮面をかぶったまま過ごせるのか。なぜ上辺だけという薄っぺらさを許容できるのだろうか。それは相対的な評価ということなのだろうか。そんなことを考えてみても一歩も始まらない時間。いや、時間は始まっている。普遍的な事実として生を受けてから一度も止まったりはしない。いや、時間なんていつでも、どれだけでも、止まるものだ。どうやってこの中を生きてゆけばいいのだろう。意味のない不安というのは理解不能の無意味さで、同一線上にあるのは人として恥ずかしく、間違いを犯し、傷つけるというもの。ドラッグに溺れれば今度は社会に手を差し伸べられる悪夢。救いはそういう人間であるという評価をされていないという事実、その救いと現実との差異により酷くわたしを傷つけるのも事実。どこを向いても行き止まり、それは甘えの構図。ただそれだけだろう。得意げに甘えの構図を説明していたのは、ただ、わたしが当事者だったということ。黒いまま。積み重ねられて重いまま。行きどまりの思考、忘れることのない事柄、すべて。
振動のない中の点
どこまでも冷えた金属の冷たさは、震えてしまうどころではない。時間が止まるような、空間が裂け、無が現れるようなそんな微動だにしない振動。絶対零度とは言わないまでも、考えしか及ばない冷たさの、中心に、少しだけ、点のような落ち着ける場所。言いかえればぬくもり。そうだ、そのとるに足らない点が一瞬の灼熱へ、金属を導くのだろう。静かな中の熱い思い。
死の淵と空
人が死ぬ。いや、人は死ぬ。生きているものは死に、-273℃から100℃以上の温度、75,000気圧でも、代謝を停止しても、宇宙空間でも生存するクマムシにも寿命はある。物だって似たような境遇や状態になるのかもしれない。それらの中で人間が特異なのは考えるということ、だから残った記憶、お墓などの証があるが、こころにあればそれだけでいい。愛すべきものそのものの、それは存在が失われても変わらない。
全方位知
じっと人を見る。見つめた先には世界があり、その先にはなにがあるのだろう。その先ではなく手前では乱反射、あなたの目から、あなたの隅々へと視線に乗った気持ちは走ってゆくのだろう。思い。どこかでそれらが出会えたなら。分かってる、あなたの視線の中にも同じこと。これはもう、近づくしかないね、もっと。