「日本」の英語呼称「Japan」マレー語移入説について考えてみた(承前の5)
☝前回の記事でも書いたように、ジョン・クローファードの編まれた2冊のマレー語辞書では、「日本」を意味する英語の「Japan」という語は、それぞれマレー語「Jâpun」「Jâpon」の音写に由来する、ということになっている。
しかし、ではどうして2種類あるのか? というのが、クローファードは何も説明しておられないのでわからない。
「華語からマレー語に入った」という説がもっともらしいかどうかを評価するためにも、そもそも当時のマレー語ではどういう音だったのかがはっきりしないと、どこの方言が伝わった可能性があるのかが絞り込めないだろう。
ということならば、殖民地時代にマレー語表記に使われていたジャウィ文字と、ラテン文字によるその音写とが載っている辞書で「Japan」に相当する語を拾ってみないことには、お話が進まない。
前回の記事は、いわばそのための予備知識として、ムラカ王国の言葉だったマレー語が交易とイスラーム伝播とによって、東南アジアのひろい範囲で「リンガフランカ」として使われるようになっていった事情を、大英帝國領→オランダ領→ポルトガル領→ムラカ王國領→それ以前、とさかのぼりつつながめてみたのだった。
なお、☟余談として引用したグジャラート商人についてのお話のところに、明治後期の写真帖に載っている、民族衣装をまとったインドの女の人(保母さん)や子どもたちの図版を追加しておいたので、もしよかったらどうぞ。
今回はジャウィ文字で書かれたマレー語と、殖民地支配者の言葉である英語やオランダ語とを対比させた古いマレー語辞書のなかから、「日本」を意味する語のところを拾い出してみたい。
十九世紀前半のマレー語辞書にある「Japan」
前回も☝オランダ殖民地時代のところで取り上げた、舟田京子の博論「インドネシア・マレーシア両国独立後の言語協力に関する史的考察」Honbun-4238_05.pdf「第二章 複合民族社会マレーシアにおけるマレー語の地位と役割」の 「第一節 20世紀初頭のマレー語の発展」p. 81 (PDF2ページ目)の下の方に、十九世紀に出されたマレー語辞書について次のように紹介しておられる。
マレー人による辞書の方は、残念ながら公開されているものがなさそうなのだが(ジャウィ文字でググってみると、満足な候補がほとんど引っかかってこないし、スニペット表示も使いモノにならないレヴェルなので、そもそもぐ〜ぐるにはこの文字のデータの持ち合わせがないものとおもわれるから、それで見つからないだけなのかもしれないが)、ウィリアム・マースデン William Marsden のは両方ともぐ〜ぐるぶっくすにあって、しかも「日本」を意味する語が項目立てされているので、これをみてみよう。クローファードの辞書が出た1850年代よりも古いから、その意味でも好都合な資料だ。
ぱらぱらめくってながめてみたところ、『A Grammar of the Malayan Language』の方は巻頭の文法書のあとに『A Dictionary of the Malayan Language』がそっくりそのまんまくっつけてある、という体裁のようだ。
辞書は前半がマレー語引き、後半が英語引きという構成だが、まずは英語の方から。せっかくだから、☝2冊それぞれから片方づつみてみよう。
綴りは2種類載っているが、音写はひとつしかない。あらら。
次に、マレー語で引っ張る方。☟ジャウィ文字順だから、慣れないと引きづらいww
「jāpūn」「japūn」自体は「日本の島々」を指し、「Negrī」「benūa」がつくと「日本國」になる。「Līmau」に添えれば、温州蜜柑など東アジア産の(実が小さくて皮の薄い)柑橘類の意味。
こちらの方がだいぶ詳しい、というか親切☆ やはり綴りが違えば音韻も異なるようだ。なお現地で「Limau」と呼ばれるのは、ライムの類いらしい。
「p」をあらわす「ڤ」はアラビア文字にはない、ジャウィ文字の追加5文字のうちのひとつ。そういえばアラビア語の「日本」は「اليابان al-yaban」らしいが、もしかするとこれもマレー語経由なのかしらん……。
☝おそらくベドウィンの野営用天幕と、おくつろぎ中のアデンの通訳官。ムスリムのお数珠がみえる。
アラビア語はおいといて、マレー語母音の「ā」「a」については、☟巻頭の「OF VOWELS.」のところにこう解説されている。
要するに、「ā」は「ا alif」の音、「a」「ă」は(フツーは省略する)「َ fat-hah」の音をあらわす、ということのようだが、☝辞書冒頭の「THE MALAYAN ALPHABET.」一覧表では「ا」の「Power (音価)」が「ā, a」となっていて、アラビア語を識らない者にはなんだかよくわからない。
そこで、「東京外国語大学言語モジュール」サイトの☟「アラビア語発音モジュール 理論編」2-1-1章「 /a/,/aː/」
をみると「ا」は /aː/ をあらわすらしいから、「ā」は長母音、「a」「ă」は短母音 /a/ を意味しているのではないかとおもわれる。
ただ、これだけいろいろと他国語の音韻の例を挙げて、響きの違いが解説されているからには、実は長母音は後舌音 /ɑː/ で短母音は前舌音 /a/ 、とかいうようなこまかい差がある/あったのかもしれない。
☝ジャワ人の貴族と果物の行商人と漁師と平民の女性とがひとつの場面におさまる、というスタジオ撮影みたいな光景が実際にあり得たのかどうか……それはともかく、誰もあんまりたのしそうじゃない表情なのが気になるww
それから「ū」の方だが、「実際はどういう音なのか」というのを説明なさるのに、さらに四苦八苦しておられるようだ。
これもその次に解説のある「u」「ŭ」が短母音 /u/ で、「ū」はそれに対応する長母音 /uː/ ということのようにおもえるのだが、「و」であらわされる音韻は英語の「oo」と同じ、というと誤解を招くかも……などと気弱なことが書いてあったりすると、読んでいる方まで不安になってきてしまうww
それはともかく、この辞書の音写に従うならば、
جاڤون jāpūn: /dʒaːpuːn/ (ジャープーン)
جڤون japūn: /dʒapuːn/ (ジャプーン)
という音なのではないかしらん。
つまりマースデンの音写は、クローファード説の「Jâpun」「Jâpon」とはまた少し母音の違う「jāpūn」「japūn」ということになる。前者の「â」と後者の「ā」とは、おそらくどちらも /aː/ を示しているのだろう。マレー語 /uː/ 音は特にイギリス人は苦手としたらしく嫌われて、それよりはいくらかマシ(?)な短い /u/ から /o/ や /a/ に変わっていったものと想像される。
なお、『Dictionnaire malai』という題名の、この辞書のオランダ語+フランス語版が1825年に出ていたようだ。
ただし、音写はオランダ語のみ。
しかし例えば、イギリス軍の助太刀をたのんで攻めてきたジャカトラの藩王を返り討ちにしてその王宮を焼き払い、跡地に故国に似せて街路樹の植わった街路と縦横に交叉した運河との間に建物が隙間なく並んだ街並みを築き、そこに連合東インド会社拠点都市バタフィアを置いた第4代総督の名☟ Jan Pieterszoon Coen を、「ヤン・ピーテルスゾーン ・クーン」と仮名音写するのが通例ということを考えると、「djāpōen」や「djapōen」をどう発音したものか悩ましい……
「さらにもうちょい長く、『ジャプゥーン』と伸ばす!」と解釈すればいいのだろうか。
十八世紀前半のマレー語辞書、そしてその100年後に出たパクり辞書にある「Japan」
☝マレー文化研究に入れ込んでおられた「シンガポールの父」、トーマス・スタンフォード・ラッフルズ卿 Sir Thomas Stamford Raffles が「発見」なさったことを記念して命名されたラフレシア
と、それから熱帯産食虫植物としてしられるウツボカズラ。
今度は十八世紀の辞書がみたいけれども何かないかな、とおもってググっていた際に見つけた、表紙がかわいい上、副題に「The Complete William Farquhar Collection : Malay Peninsula, 1803-1818」とあるので気になった、☝ William Farquhar + John Sturgus Bastin + Chong Guan Kwa のご共著『Natural History Drawings』(2010年 Editions Didier Millet)というステキな彩色博物画集の巻末解説 p. 326 に、☟こんなことが書いてあった。
英文版としては最初にして、なおかつ十八世紀唯一のマレー語辞書、ということで「おぉっ♥」とおもって探してみたところ、このトーマス・ボウレー Thomas Bowrey 『A Dictionary, English and Malayo, Malayo and English』がぐ〜ぐるぶっくすに(おそらくは本文の裏写りがひどいせいでww)カラーで載っていた。しかも、☟「Dialogues English and Malayo」という英語→マレー語対訳文例集のところに「Japan」が出てきた。
それから、「Miscellanies of English and Malayo」のところにもひとつ。
ジャウィ文字の綴りは載っていないのでわからないが、これもやはり「ジャープーン」のようだ。
じつはもう1ヶ所、「Japan」が出てくるページがある。
「cáchew」はともかく、「terra japan」はマレー語じゃないんだろう、とおもったのだが、☝『Natural History Drawings』に「ボウレー辞書の語彙集のところにジャウィ文字を添えたパクり」と不名誉ないわれようをされている、ジェームズ・ハウィソン James Howison が1801年に出したという『A Dictionary Of The Malay Tongue』で「Cacha」項を試しに引いてみたところ……
意外なことに「terra japan」にもジャウィ文字が添えてあった。ほかの例とは反対に、これは「外来語のマレー語音写」ということになるのだろう。
☝『Natural History Drawings』には、つづけてこう書かれている。
ボウレーがただの商売人で、辞書編纂のための専門教育も受けていなければ専門家の協力も得ずに独りで編んだにもかかわらず、その辞書にはみるべきものがあったが、ハウィソンの仕事はパクりとしてもしょーもないものだ、とマースデンは手きびしくダメ出しなさったようだ。
実際のところ、「terra japan」とか「cáchew」とかって何? とおもって調べてみてもさ〜っぱり要領を得なかったのだが、「ڪاجو」をマースデンの『A Dictionary of the Malayan Language』でひいてみたところ、☟このように書いてあったので、やっといとぐちがつかめたのだった。
お肌を引き締める効果のある収斂化粧水などの原料となる☟「カテキュー Catechu(阿仙薬)」のことだった。
でも、ハウィソンがジャウィ文字で「ڪاجو」と書いておいてくださらなかったら、マレー語がまったくわからない者に果たして早々に調べがつけられたかどうか。
それに、ボウレーの対訳文のマレー語にところどころ出てくる修飾文字が手書きらしくて不揃いのため、「ˊ」だか「ˉ」だか「ˆ」だか判断がつきかねていたのだが、ハウィソンの辞書はちゃんと活字で組んであったお蔭で、どれも「ˊ」であることがわかったのだった。
たしかに、ハウィソンのなさりようは道義にもとるし、マースデンの辞書の方がはるかに使い勝手がよい。しかし、☝『Natural History Drawings』でも指摘されているように、ジャウィ文字とラテン文字とを対照できるまっとうなマレー語辞書が世に出るまでには、『A Dictionary Of The Malay Tongue』刊行からさらに11年も待たねばならなかったのだ。
もし最初からボウレーがジャウィ文字もちゃんと添えておられたとしたら、ハウィソンもわざわざこんな「お仕事」はなさらなかったのではないだろうか。「必要な辞書がないなら自分でつくる」というその精神だけは、買ってやってもいーんじゃないかしらん。
十七世紀後半のマレー語辞書にある「Japan」
☝マレー半島側のムラユ人と、マレー諸島側のジャワ人のかぶり物の違い、そしてジャワ人の村の風景。
前回記事の終いのところで「最も古いマレー語辞書」とされる『Spraeck en Woord-boek inde Maleysche ende Madagaskarsche Talen met vele Arabische ende Turesche Woorden』をご覧に入れたが、それについてのご紹介がある舟田論文の第一章「 インドネシアにおける社会変容と言語綴りの変遷」第一節「インドネシア語綴りの誕生」 p. 16 から 17 (PDF 3〜4ページ目)にかけて、その後に出たオランダ東インド会社時代の辞書について、このように書いておられる。
つづく第二節「インドネシア語綴りと社会状況」第一項「綴りにおけるオランダの影響 - ファン・オップハイゼン綴り」のところで、ルミ(ローマ字)によるはじめての国内統一の綴り方が、単語集のカタチで公表されたことが紹介されている。
そのチャルレス・アドリアーン・ファン・オプハイゼン Charles Adriaan van Ophuijsen の本『Kitab logat Melajoe』というのは☟これ。
「J」のところをみてみても、残念ながら「Japan」に相当する語は載っていなかった。もっともこれは1901年のお話だから、まぁ今回のテーマの調査対象からは外れているけれども。
十七世紀の辞書については、 Casper Wiltens + Sebastianus Dancaert のインターネット公開されているものはみつけられなかったが、1674年刊行のヨハネス・ロマン Johannes Roman の『Grondt ofte Kort bericht van de Maleysche tale, vervat in twee deelen』はぐ〜ぐるぶっくすにあって、しかも「日本人」を意味する語が載っていた☆
ということで、そこをご覧いただくとしよう。
こんな風にテーマごとに例を挙げて説明する形式で、今までみてきたようなアルファベット順に語彙が並んでいるのとは、ちょっとイメージが違う「辞書」だ。ジャウィ文字はないのかとおもったら、ちゃんと載っていた。
DeepL にオランダ語の部分をほうり込んでみると、要するに……
「○○人」という言い方をしたいときには、その出身地名の前に「orang」とつける。例えば「日本人」ならば「orang Japan」、「オランダ人」ならば「orang Hollande」のように。
……といった意味だった。
そうそう、「ڠ ng」もジャウィ追加文字のひとつだ。
☝オランダ領東インドの最も重要な交易用産品コーヒーとクローヴ、そして最も危険な生き物のひとつ、ワニ。口吻の形からして、☟クロコダイル科には違いないマレーガビアル属だろうとおもう。
今回、十七〜十九世紀の殖民地支配者層によって作り上げられたマレー語辞書の「日本」を意味する語のところをながめてきて気づくのは、☟だいたいこんなところだろうか。
少なくともジャウィ文字で書きあらわされるマレー語では一貫して「جڤون japūn」が使われ、ヴァリエーションとして /a/ のところを /aː/ と延ばす「جاڤون jāpūn」もあったが、「jāpon」はどうも現地音ではなさそう
ヨーロッパ人は、それぞれの耳で聴いたその土地の音韻を、各自の感覚でラテン文字音写していたため、人によって表現がまちまち
ヨーロッパ人にはマレー語の長母音 /uː/ が苦手とされていたとみえて、時代がくだるにつれ短母音 /u/ からやがて /o/ や /a/ へと訛るように
大英帝國の海峡殖民地時代の辞書では、少なくとも「Japan」の基となったとされるマレー語の表記は、まるで伝言ゲームのように後になればなるほど本来の音からずれていってしまっている
なお、☝2回前の記事でもご紹介したとおり、現代のマレーシア語でもジャウィ文字で書けば「جڤون」らしいが、発音は /dʒepun/ (……かな? よーするに「ジェプン」)に変わっているようだ。
例えば☟この動画の、最初の十数秒のところで「Jepun」が2度ばかり出てくるので、どういう音か聴いてみていただきたい。
内容はネイティヴの女性が、自国のムスリムが日本を訪れた際にどうやってハラール食を手に入れたらよいかを説明しておられる(のだとおもう、多分)。ときどき、英語とか日本語とかちゃんぽんになっている気がするw
さて次回からは華語移入の背景として、マレー語圏に華人が移り住んだ事情について探ってみたいとおもう。