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性と金と教育と。

‪目次 1.はじめに 2.(公)教育の起源 3.性教育先進国(らしい)北欧各国 4.経済教育先進国(らしい)米英国 5.まとめ 1.はじめに。 性と金はスキャンダルの二大巨頭と考えられる。 ‪「生殖」と「食い扶持」は自己保存の欲求からも、種族保存の欲求(?)からも、個人にとっても社会にとっても関心が高いのは当然である。‬ ‪しかし、にもかかわらずその二つが「教育」からは抜け落ちているというのは不思議と言えば不思議に感じる。‬不思議ではないと言えば不思議ではない。 2.(公

    • 表情に気をつけなさい『ピコ太の迷言集』513頁

      表情に気をつけなさい。それはあなたの姿勢に影響するから。 姿勢に気をつけなさい。それはあなたの言動や気分に影響するから。 言動に気をつけなさい。それはあなたが受け取る言葉や情報に影響するから。 受け取る言葉に気をつけなさい。それはあなたの思考の型を形づくるから。 『ピコ太の迷言集』妄想出版、513頁 〜マザーテレサ(or 出典不明)名言〜 思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつ

      • 美味いもの喰って寝るためだ

         あなたたちにとって生きるということは一体  どういう意味をもつのか。あなたたちが、い   ま私の振りあげる斧によって頭をぶちわられ  たとしても、それが一匹の蠅が殺されたこと  と価値的に相違することを明証する根拠があ  るのか、あれば百万言を費やしてでも言って  みろ。その違いは、結局存在するものの形態  が少しばかり蠅より大きというだけではない  のか。そしてまた、その血と血漿が少しばか  り多量であり、生臭く温かいというだけでは  ないのか。」(高橋和巳「悲の器」『高

        • 残されたもの『小さなものの諸形態』90-93頁

          「しかし池澤が、主題に対してむろん仮設的であるほかない態度を次のように書くとき、私はほとんど同意する。  終末が来るのを待つ間、何をしてもいい。な   んとかその到来を遅らせようと努力するのも  もちろんいいし、ホモ・サピエンスという種  そのものが失敗作だったのだからと諦めてお  となしく暮らすのもいい。騒ぎまわって享楽  に身を任せるのだって、あるいは人間的でよ  いことかもしれない。終わってしまえばすべ  ては等価である。自分たちの今までの営みに  ついて、どこで失敗

          無意味な時間潰し『されど、我らが日々ーー』

          「私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過ごした。ある時は背表紙だけを眺めながら三十分、一時間と立ち尽くした。そういう時、私は題名を読むよりは、むしろ、変色した紙や色あせた文字、手ずれやしみ、あるいはその本がもつ陰影といったもの、を見ていたのだった。  それは無意味な時間潰しであった。しかし私たちのすることで、何か暇つぶし以外のものがあるだろうか。それに私は私なりに愛書家でもあったのだ。」 柴田翔『されど、我らが日々

          無意味な時間潰し『されど、我らが日々ーー』

          世界の亀裂

          世界のひび割れ。 退屈な日常。それも不意に出会う昆虫の写真でひび割れる。思想に出会ってひび割れる。少女の生活のための売春とエイズでひび割れる。普段と違う少しの運動でもひび割れる。 ひび割れから流れ込む新鮮な空気を吸ってようやく呼吸ができる。しかし、ひび割れはすぐに塞がり、退屈な日常へと回帰していく。 世界をノックし続けること。 亀裂を入れるためにはそれしかない。亀裂はすぐに塞がる。やるのは自分のみ。誰も代わりにはならない。分業も協業もできない。道具は貸してくれる。しかし

          世界の亀裂

          哲学とデモクラシー『デモクラシーの古典的基礎』56-57頁

          「デモクラシーを言語・思考手続き・議論の方法の面から基礎づける作業は最も欠けているもののように見える。もちろん議論の公開性や論拠の明示といったことがデモクラシーに関わるということは広く認識されている。しかしそれだけであれば既に政治が備えるべき要件である。そのどのような特殊な精緻化が厳密な意味のデモクラシー概念を前提としているかということの証明の試み、また、何故そうしたことがデモクラシーを基礎づけることになるのかという論証、は見あたらない。まして、こうしたことが社会構造、社会を

          哲学とデモクラシー『デモクラシーの古典的基礎』56-57頁

          我々のための希望『ボードレール』16頁

          「私はカフカとのある会話を憶えているが」、とブロートは書いている、「その会話は、こんにちのヨーロッパを、人類の没落を、話題にすることから始まった。〈ぼくらは〉、とかれはいった、〈神の頭のなかに萌したニヒリスティックな思い、自殺の思いなのさ。〉この言葉は私に、神を悪しき創造主とし、世界を神の堕罪とみなすグノーシス派の世界像を、まず思い起こさせた。〈いや違う〉、とかれはいった、〈ぼくらの世界はたんに神の不機嫌、おもしろくない一日、といったものにすぎないのだ〉。――〈それでは私たち

          我々のための希望『ボードレール』16頁

          弱い壁『日本語は天才である』88-89頁

          「品がいいといえば、ぼくの二〇倍は品のいい友人がいます。二〇歳ほど年下で、ぼくの二〇倍は頭がよくて、ぼくの二〇倍は礼儀正しい。この友人に、罵りの名句があります。あるとき、奥方と言い合いになったそうです。舌戦は接戦にならず、奥方の圧勝。そして奥方は颯爽と外出なさった。残された友人は、部屋の壁を蹴っ飛ばしました。すると、壁にぽかっと穴があいたというのです。  友人は、自ら蹴り破った壁を叱りとばしました。   ――なんて弱い壁なんだ! なんて的確で、なんて上品で、なんて

          弱い壁『日本語は天才である』88-89頁

          ハレム『ぼくが猫語を話せるわけ』105頁

          或る本に感動すると、みんなにその本を教えその感動を伝えたいと思う衝動と、その本をこっそり自分だけのものにしておいきたいという気持ちとが、同時に生まれたりする。本との関わりあいには、どこか恋人との関わり方と似たような何かがあるらしい。  高校時代に、ノゾキ屋と呼ばれる友達の一群がいた。友達のところへ行くと、委細かまわずその書棚をノゾいてまわるタイプの連中のことで、同じノゾキ屋でも、女湯を覗く出歯亀氏とは比較にならぬほどけしからん、と蛇蝎視されたものだった。  一冊の本がもし恋人

          ハレム『ぼくが猫語を話せるわけ』105頁

          フルートとキス『ぼくの大好きな青髭』

          でも時間がたつにつれ、ぼくは事の真相を馬鹿笑いを以って総括できるようになった。つまりぼくは、たとえばこんな具合に誰か話の通じるやつにしゃべってみたくてたまらなくなってきたわけだ。すなわち、なあおまえ、フルート吹きたいと思わないか? え? 何故かって? うん、ほら、高橋っての知ってるだろ? そうあのサエないやつ。あいつがこないだ突然フルート持ってやってきて、伴奏してくれっていうんだ。それが、半年前から始めたっていうんだけどわりとうまくてね。そうそう、小学生の頃鼓笛隊に入ってった

          フルートとキス『ぼくの大好きな青髭』

          『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説』 『赤頭巾ちゃん気をつけて』新潮文庫 2012 141ー142頁

          ぼくはなんとなく『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説』なんて論文を思い出していた。これは(ぼくはあまりしゃべってはいけないと思うのだが)、例の下の兄貴の書いたもので、兄貴とそのおかしな友達たちはしょっ中ルーズリーフやなにかで変てこな本を書いて兄貴のところに置いといて、そして仲間だけで読んだりしているのだ。そしてこの『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死にしないための方法序説』というのはその中でのベストセラー、というよりひっぱりだこだったもので、たとえば横断歩道をいつ

          『馬鹿ばかしさのまっただ中で犬死しないための方法序説』 『赤頭巾ちゃん気をつけて』新潮文庫 2012 141ー142頁

          ねこふんじゃった『ぼくが猫語を話せるわけ』95-99頁

           『ネコフンジャッタ』というピアノ曲をご存知だろうか?  知らないという人は、なんていうか、この日本の社会においてちょっと「モグリ」みたいな人ではあるまいか、とぼくは思ってしまう。いや、『ネコフンジャッタ』という曲名を知らなくても、聴けば必ず心当たりがあるのではなかろうか?  ネコ、フンジャッタッ  ネコ、フンジャッタッ  ネコ、フンジャッ、フンジャッ、フンジャッタッ  ネコ、フンジャッタッ  ネコ、フンジャッタッ  ネコ、フンジャッ、フンジャッ、フンジャッタッ  ネコ

          ねこふんじゃった『ぼくが猫語を話せるわけ』95-99頁

          天才『ぼくが猫語をはなせるわけ』中公文庫 100-106頁

           或る日ぼくは、レコードの名曲全集中の一巻で、ラフマニノフにリヒャルト・シュトラウスにシェーンベルクにファリャという四人の作曲家の作品を二枚のレコードに収めた分の感想文を求められて、悪戦苦闘した。そもそも音楽について言葉で語ることはどこか空しいわけであって、そこでかえって、こういうややこしい「四題噺」をデッチあげるといったおかしな難題を持つ方が、「闘志」をかきたてる要素もあるらしいのだが、それにしてもこの四人では大変だ。  ただ、考えているうちに、いろいろなことを思い出した。

          天才『ぼくが猫語をはなせるわけ』中公文庫 100-106頁

          「ひげ」『ぼくが猫語を話せるわけ』中公文庫 9-11頁

          ぼくは時々、この地球上に四十億以上の人間がいるということを思い出して、相当猛烈なショックを受けることがある。  ぼくはもともと、そういう「数にヨワイ」ようなところがあるらしいのだ。  たとえば、朝目覚めた時、ぼくはふと、この地球上に(時差はさておき)四十億以上の、それぞれ異なった目覚めがあることを思いつく。それも、その一人一人が毎朝(そして昼寝なども考えれば、これは大変だが)ちがった目覚め方をしているということ・・・・・・。  ぼくはそれから、まあたいていはひげをそるこ

          「ひげ」『ぼくが猫語を話せるわけ』中公文庫 9-11頁

          脅迫『ぼくが猫語を話せるわけ』256-258頁

          猫語というのはまことに難しい。  ぼくの猫も既に十三歳、深沢七郎さんの説によれば化けてでる年だ。「ギネス・ブック」によると史上最長寿の猫は三十六歳まで生きたということだが、一方では猫の寿命あせいぜい十年、うちの猫は人間でいうと既に七十五歳位に相当するという説もある。心配だ。  そこでぼくは彼にいろいろなことを教えたくてたまらない。  たとえば(話が相当にとぶ感じがあって、そしてまさにそこが問題なのだが)、平田篤胤によると、極楽で暮らすためには水泳がうまくなければならない。何故

          脅迫『ぼくが猫語を話せるわけ』256-258頁