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「あってもいい」ものをお返しする
いただきものを、贈ってくれた方にお返しできる関係性ってステキだなと感じた。そんなお話。
私には、7歳の娘と3歳の息子がおり、
私の友人には、7歳の息子と3歳の娘がいる。
友人とは20年来の友達なのだが、公園や牧場・テーマパークで家族ぐるみで一緒に遊ぶことも少なくない。
住まいは少し離れてはいるのだけれど(100kmくらい)、多い時には1ヶ月に2回のペースで遊ぶこともある。
定期的に遊ぶということもあり、お互いの子ども誕生日にはちょっとしたプレゼントを用意することもある。
ちょっとしたプレゼントとは、お菓子の詰め合わせである場合もあれば、
ニット帽やリュックなどの服装品になることもある。
服に関してはパパ・ママの好みが大きく影響する部分ということもあり、安易に贈ってしまうと相手の負担になることを考慮し贈り物としては避けている方も多いことだと思う。
服は避ける・・・
そうなるとオモチャ・・・、これもむずかしい。
そうやってたどり着くのが、「とんがりニット」「リュック」など、
親自身が「絶対欲しい」とまではいかなくとも、「あってもいいかな」と思えるラインのものではないだろうか。
(マルシェで見つけた手作りのとんがりニット¥3,000円を、わが子のために即決で買う人って少ないような気がする)
そんな「あってもいいかな」ラインのものを、娘が2歳、3歳の頃に友人からいくつかいただいていた。
もちろん2〜3歳児向けのサイズなので、サイズアウトしてしまえばもう出番はない。
下の子が産まれて同性であれば、おさがりとして活用することはできる。
しかし、女の子→男の子。男の子→女の子になった場合、
色やデザインの面で引き継ぐことができないことも多いだろう。
また、イヤイヤ期絶頂の子どもたちからは「イヤ!つけたくない!」と拒否される可能性もある。
そうやって出番のなくなった「あってもいい」もの。
さて、どうするべきか。
メルカリなどで販売する方法もあるし、
古着屋さんに買取で持って行く選択肢もあるだろう。
または、別の友人にあげるという手もある。
正解があるわけではない。
しかし、いただいた「あってもいいもの」が少し質が良かったり、
デザインが良かったりした場合、安易に販売・譲りたくない気持ちが生まれる。
自分自身が気に入っているものであればあるほど、その気持ちは大きいような気がする。
・見ず知らずの人よりかは、顔見知りの方がいい。
・その価値がわかる人、フィーリングが近い人に使ってもらいたい。
そんなことを考え始めると、「あってもいいもの」がずっとそばにいる。
しかし、出番がない。
そうしていると、「循環していない」感じがしてスッキリしなかった。
友人家族と一緒に遊んだある日。
双方が、サイズアウトした服などを紙袋に詰め合わせパックのような状態で持ち寄った。
冬場のスエットやパンツは本当に助かる。
保育園に着替えをストックしておかないといけないし、
冬場は洗濯物が乾かず、「〇〇くんの寝巻きがない!」とバタバタすることも少なくないから。
そうして服の受け渡しの最後に妻から、
「娘が3歳の時に頂いたとんがりニット、可愛くて捨てるのも売るのもできないので、もしよければ娘さんに・・・」と、
わが家で出番のなかった「あってもいいもの」を渡すことができた。
もしかすると、贈り主にお返しするなんて「失礼だ!」と言う人もいるかもしれない。
けれど私は、それでいいのではないかと思う。
贈った側・贈られた側ということではなく、
不思議とモノが循環する心地よさみたいなものを感じる。
「子どもたちとモノの記憶と歴史」少し大げさだけど、循環という考え方をすれば「モノは少なくていいんじゃない?」と思う。
サスティナブル的な・・・。
出戻りしてきた「とんがりニット」をみた友人は本当に嬉しそうに、
「〇〇ちゃん、これかぶれるよー」と娘に話かけていた。
ようやく「あってもいいもの」が買主の元に戻ってきた。
そもそもは「あってもいいもの」を選んだのは友人。
そして、20年間つながりが続いている友人なのだから、
そもそものフィーリングが似ているは確かだろう。
「あっていいもの」の選択基準が近いのだから「シェア・循環」をする方が何かとうまくいきそうな気がする。