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いつも同じ顔ぶれのコメント欄

 私は自分のコメント欄はチェックするが、他の人のコメント欄はあまり見ない。記事を読んでコメントしようかな、と思った時以外は、基本的に記事本体だけしか読まない。しかし、コメント数くらいは見る。見ると言うか、自然に目に入ってくる。

 ぜんぶとは言わないが、コメントの数が多い記事ほど、大した中身がない。

 たまにコメント数の多いコメント欄を見ると、集まる人が同じで、中身が薄い。ところ構わず井戸端会議をやってる街中のオバさん連中とほぼ同じだ。

 何か難しいそうな話をしていそうな時も、互いに自分の知ってることを、知ったかぶり丸出しで語っているだけ。会話として成立していない空疎な語り合い。

 お互いに知識をひけらかし合うのはまだいいほうで、くだらないゴシップばかり。そんなのLINEなり他の場所でやってくれ!的なくだらない話ばかりだ。
 コメント欄はLINEではない。記事と同じように、他人の目に触れる部分だという意識が欠如しているのではないか?

 話の噛み合わない話をしていても、本人同士が楽しいそうにしているだけならいい。
 しかし、コメント欄のそういうゴシップ話を元にして、「交流こそ、noteの醍醐味だ」とか「私のnote論」だの「noteは気楽に好きな時にだけやればいい!」と、お互いに臭気を漂わせながら語っているのをみると、「この人たちは終わっているな」と思う。

 毎日投稿するかどうかはともかく、毎日書こうとすれば書けるのに何も書かないで「気楽にnoteしたい」というのは、(向上心が足りないという前に)モノを書くことがスキではないんだな、と私は思う。
 書くことが好きな人は、忙しかろうが暇だろうが、毎日投稿する・しないに関わらず、いつでも書く。毎日書かないとしても、頭の中で何をどう書こうかということを常に考えているものだ。

 たまに見かける毎回同じ人しか集まらないようなコメント欄で「交流」している人は、バイアスがひどくなる一方。コメント欄で「意気投合」したつもりだろうが、日々偏狭な考えに凝りかたまっていく。

 そして、偏見に満ちた考えをお互いに肯定し合うものだから、それが「常識」だと考えるようになる。
 そういう人がたまに私のコメント欄を訪れて、「井戸端会議」的な距離感で接してくるのは非常に気持ち悪く、「あんたらだけで、勝手にやってれば?」という気持ちになる。

 私は常に1人。あんたらとは違う。


ももまろさんにこちら(↓)で
取り上げていただきました😄。
ぜひこちらもお聞きください😊。



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#井戸端会議
#距離感
#コミュニケーション
#アンチも取り込め
#noteのつづけ方

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同じ機能でも、「そういう使い方もできるのか!」という気付きをまとめていきます。また、持続的にnoteをつづけていくためのモチベーションの保ち方を考えます。

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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします