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[企画参加] 私の書くルール

 「文章の書き方」や「noteの書き方」については、何度も書いています。だから、繰り返して言うほどのことはありません。
 けれども、たまに振り返ってみることは意義のあることですし、過去に私が書いたことを読んでいない人もいらっしゃるでしょうし、自分自身ですら忘れてしまっていることもあります、きっと。

 今回、ももまろさんヤスさんの記事を拝読して、改めて「私の書くルール」というお題で、まとめておくことにしました。
 「ルール」といっても、なにがなんでも守るという金科玉条ではなく、「なんとなくのルール」です。

 ですから、時とともにファイン・チューニングしながら少しずつ変わっていくルールですし、ましてや、私以外の人に守ってもらいたいという希望もありません。
 以後の文章では、いちいち書きませんが「私は私、あなたはあなた」というスタンスで書きます。

 過去記事を読んでいただいている方には、重複が多いとお思いになる方も多いだろうと思いますがご寛恕ください。



#ももまろさん


#ヤスさん


(1) 思ったことをそのまま書く


 ももまろさんもおっしゃっているように「思ったことをそのまま書く」というのが大原則かな、と考えています。
 もちろん「思ったことをそのまま書く」と言っても、「感情の赴くままに書く」というわけではありません(そういう場合も「なきにしもあらず」ですが)。
 
 基本的に自分自身のために書いていますが、たまに「この記事って私のことですか?」と思われる方もいらっしゃいます。だから、多少表現をやわらかくしたり、言葉を選ぶことはあります。けれども、自分の思ってもいないことを書くことがないようにしています。「しています」というより、そう「なります」。

 他人の目を意識し過ぎて思ってもいないことを書くと、後々つじつまが合わなくなってきます。
 器用につじつまの合う「ウソ」を使いこなす人なら、思ってもいないことを整合性のある形で書きつづけられるのかもしれません。けれどもそれは私には疲れることですし、面倒くさいことです。

 経験を積むにしたがって、考え方は少しずつ変わっていきますから、自分の過去記事を読んで「それは違うよね」と自分にツッコミをいれたくなることもあります。しかし、「その時点で思ったことをそのまま書く」というルールは大切にしています。

 「感情って時間が経つと変わるから、
旬の自分を切り取ったようなものなんだなと思う
」と、ももまろさんはおっしゃっています。(たぶん)私の考えていることと似ています。

 感情って、雲のようなもの。どんな雲を見ても、雲という概念(言葉)で雲をとらえますが、刻々と変わっていくものです。常に変化を伴いますが、人それぞれの「自分の雲の形」ってあると思うのです。

 今、現時点での自分に見えた雲の形をきちんと(なるべく)正確に書いておかないと、内省したことにはなりませんから、「思ったことをそのまま書く」というルールは大切にしたいと思っています。


(2) レパートリーをもつ


 基本的には、その日その時点で思ったことを思ったままに書くことにしていますが、それなりに長い期間、毎日文章をつづっていると、いくつかのパターン(自分の型)が出来てます。

 私の場合は、noteを始めた初期の頃は、語学に関連したことを中心に書いていましたが、同じことばかり連続して書いていると飽きてくるんです。

 詩なら詩、小説なら小説、エッセイならエッセイ、写真なら写真、というように「統一感」のある投稿を毎日出来れば良いのですが、私には難しいようです。 
  
 統一感のある記事を投稿し続けるほうが、「あの人はこういう記事を投稿する人なんだ」ということを認識してもらいやすいのですが、「また同じ記事を書いている!」と飽きられてしまうことも考えられます。

 統一感のある記事を書き続けることと、雑多な記事を書き続けることには、それぞれ一長一短があります。統一感のある作品の投稿のほうが安心感がありますが、飽きられやすいということもありますね。

 統一感があり、しかも読んでいても飽きない、というのが私の理想ではありますが、現在の私には「雑多な記事を書く」ほうが合っているようです。

 だから、私の投稿は、エッセイ・小説・語学・数学・写真・イラストがランダムに並んでいます。
 1つ1つそれぞれが私のレパートリーになっていて、文章を書くことに飽きたら、写真を投稿したり、学術的なことを書いたり、ふざけた文章を書いたり… といった感じになっています。


(3) わかりやすい文章を書く


 何度も繰り返し書いていますが、私は「思ったことを思った通りに書くこと」を基本にしていますが、他の人が読むSNSに投稿する以上、他の人に理解されなければ意味がありません。そして、それは単に他人のためになるだけでなく、自分自身の「思考の整理」にも繋がることですね。

 あとになって書いた当時の記憶が薄れてきた頃に、「なんでこの時に私はこんなことを書いたのだろう?」と自分自身でも首をかしげるようにならないように、初めて私の文章を読む第三者にも理解されるような文章を目指したい。そのために私が気をつけていることを、個別具体的に、箇条書き風に、いくつか書いてみます。


①主語を省略しない


 英語とは異なり日本語では、しばしば主語が省略されます。
 お互いに顔を知っている間柄ならば、主語を省略して話すことは普通にありますが、「第三者が読んで分かるだろうか?」ということは常に意識しています。多少冗長になったとしても、なるべく誤解されないように、主語が明らかになるような工夫は考えています。

(a) ワン・センテンスの中では主語を変えないこと

 前にも書いたことがありますが、「私はアメリカで生まれて、両親がそこで私を育ててくれた」というような文ではなく、「私はアメリカで生まれ、アメリカで育てられた」という文で書くようにしています。「私は」という主語が途中で、「両親が」という主語に変わってしまうと、頭の中に入りにくくなる、と考えるからです。

(b) 主語(視点)が変わるときは、段落や章を改めること。

 エッセイの場合ならば、基本的に主語はすべて「私」だから、主語を気にすることは少ないのですが、小説を書く時には、主語(視点)が変わるときに、段落や章を改めるようにしています。

 例えば、Aさん、Bさん、Cさんという登場人物がいる小説を書くとします。
 小説の書き方としては、「全体を知る作者」の視点で物語を書く方法がありますが、登場人物に付託して書くこともありますね。
 徹頭徹尾、主人公の視点で書くという方法もありますが、Aさんの視点からBさんの視点へ、Bさんの視点からCさんの視点というように、視点を変えたほうが書きやすいということがありますね。

 一人称の「私」(僕、あたし)で書くほうが気持ちが乗りやすいのですが、途中で「私」の指す人物が変わってしまうと、読者には非常にわかりにくくなります。

 だから、例えば第2章なら第2章は「Aさん」の「私」で書いたとしても、第3章は「Bさん」の「私」にすると、読者には分かりやすいと考えています。
 作者の気まぐれで、文章の途中や段落の途中で主語が変わってしまうと、読者に無用な負担をかけることになりかねません。

 先日、「青い服の予言者」という三万字程度の小説を書いてみましたが、視点が変わる際には、章を改めて書き分けてみました。
 内容の良し悪しはともかく、分かりやすくなっていると思います。


https://note.com/piccolotakamura/n/n5e4f7142f68f


 小説の視点という問題は、プロの作家さんであっても迷う問題のようです。
 小説を書くときの視点については、秋谷りんこさんの記事がたいへん参考になりました。お読みになった方も多いと思いますが、まだ読んでいらっしゃらない方は、ぜひ読んでみてくださいね。とても勉強になります。


https://note.com/rinko214/n/nad6d87e406e6 



②接続詞と副詞について


 文章は、直線的に進むとは限りません。途中で流れが変わることがあるのが、むしろ普通でしょう。
 流れが大きく変わるときには、段落や章を変わりますが、1000字程度の比較的短い文章でも流れはありますよね。

(a) 特に「逆接の接続詞」を使うこと。

 何の予告もなく、大きく流れを変えることで読者に「えっ?!」と思わせる書き方もあるとは思いますが、流れが大きく変わる前には、「しかし」「けれども」という「逆接の接続詞」を置いておくと、読者は心の準備ができますね。接続詞があったほうが、読者の頭の中で筆者の文章が流れやすい。

(b) 「呼応の副詞」の距離を近づけること。

 細かいことですが、「まるで~のようだ」「ただ~だけだ」のような「呼応の副詞」の距離は、なるべく近づけることを意識しています。

まるでその瞬間、私は殴られたかのように感じられた」と書くよりも、
「その瞬間、私はまるで殴られたかのように感じられた」と書くことを私は好みます。

 この程度の長さの文ならば、大きな支障はないかもしれませんが、呼応する言葉が離れ過ぎていると、分かりにくいです。自分でも「まるで」という言葉を言ったことを忘れてしまうかもしれません。


③ ワン・センテンスは短めに


 センテンスの長さは、文体にも関係することなので一概には言えないのですが、一般的に短いほうが分かりやすいと考えています。

 長い文章というものは、やたらと修飾語が多くて「何が(誰が)どうした」という関係が見えにくくなります。
 英語で言えば、関係代名詞が多用されると、構文が複雑化して分かりにくくなりますよね。そういう文章も私は嫌いではないのですが、一般的には「SVC」「SVO」(主語・動詞・目的語)が分かりやすいほうがいいでしょう。

 noteに日本語で書く記事ならば、ワン・センテンスの長さは2~4行程度英語ならば、15~20 words 程度が妥当でしょうね。舌足らずにならず、かつ、一気に頭に入る長さとしては。


結び


 書くことについて、今までに何度も書いているのに、考え出すとたくさん書いておきたいことが思い浮かんできます。

 基本的に、自分が思ったことを思った通りに書けばよいことですし、他の人には他の人の書き方の基準があるでしょう。

 「私はこう思う。あなたはあなたのままでいてね」という感じなのですが、お読みいただいた方の何らかのご参考になれば幸いです。



noteに関する記事はこちら(↓)


#Note_of_Note


#語学エッセイ集


じゃあね👋またね💝

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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします