遠い記憶の明かり
序
この小説は、昨年末に書いたものです。私は小説家ではありませんが、今までnoteに書いてきた小説の中で、最も大切にしている作品の1つであり、最も多くの方に読んでいただいた作品です。
今回再掲するにあたって、「遠い記憶の明かり」の続編「線香花火」も1つの作品としてまとめました。加筆訂正は必要最小限にとどめました。
遠い記憶の明かり
(前編)
(1)
金曜日、私は市川先輩のご自宅に向かった。
「ようこそ、いらっしゃいました。お越し下さり、どうもありがとうございます」
線香をあげた後、先輩の奥様から私宛の手紙を受け取った。
「ここで読んでもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いません。どうぞお読みください。主人もきっと喜びます」
私は封筒から、1枚の便箋を取り出した。綺麗な文字で綴られていた。
君がこの手紙を読む頃には、僕はきっと、この世にいないだろう。君と学生時代に、酒をよく一緒に飲みましたね。とりとめのない話ばかりだったけど、楽しかったね。
君は覚えているかなぁ。いつだったか、ふたりで飲んでるときだったかな、「ウィスキーって燃えますか?」なんていきなり君が尋ねたことがあったよね。灰皿にすこしだけウィスキーを注いで、ライターで火をつけて遊んだことがありましたね!懐かしいです。僕はこれから、わけあって旅立ちます。直接君に会って話せたら、よかったんだけどね。ごめんなさい。さようなら。お元気で。
(2)
「悠人、お父さんといっしょに理科の実験をして遊ぼうか?」
明くる日、私は一人息子の悠人に言った。
「理科の実験って、なにするの?」
私は、灰皿にウィスキーを注いだ。そして、ライターで火をつけた。
ボッ、ボッっと静かに音をたてながら、青白い炎が部屋の中を照らした。
「わぁあ、きれいだね」
悠人は私の目を見つめながら微笑んだ。先輩とこうやって、ウィスキーの炎を一緒に眺めたことがあったなぁ。あの頃はほんとうに楽しかった。感傷に浸りながら見た炎は、私の過去とこれからの私たちの未来を結ぶ明かりのように思えた。
(後編)
(1)
「お父さん、これ」
悠人が私に差し出したのは、今年の夏に買った線香花火だった。
「今からやろうよ」
悠人は無邪気に言った。
「でも、今日は大晦日だよ。こんな寒い日に花火やってる人なんて、誰もいないよ」
「いいじゃん、誰もやってなくたって」
私は子供ってこういうとき、ちょっと面倒臭いな、と思う。
「いいじゃありませんか。わたしたちだって、学生の頃、誰もいない浜辺で、線香花火やったことあるじゃありませんか」と久美子が悠人の言葉を援護した。
「仕方ないな。じゃあ、やってみるか。でも、夏の花火だから、湿気てるかもしれない。火が着かなくても、お父さんのこと、恨まないでね」
(2)
「あっ、市川先輩、こんにちは」
「おお、君か。今から海辺で線香花火しようと思うんだけど、君も来る?」
「線香花火って。先輩ひとりでやろうとしていたんですか?」
「まあね。線香花火って、なんか儚さを感じさせるだろ。だから、ひとりでやろうと思って」
ホントに市川先輩って不思議な人だ。普段はとても社交的なのに、一人でふらっとよくツーリングに行ったりもする。今日はただ散歩してるみたいだけど。
「儚さを楽しむのに、私が付き合ってもいいんでしょうか?」
「いいよ、だって君も儚い感じするもん」
「なんですか、それ」
私は思わず笑ってしまった。
「では、折角のお誘いなので、儚い僕もお供させて頂きます」
先輩と私は、海へ向かって歩き出した。
(3)
「あれ? あれってもしかして久美ちゃんじゃない?」
私は先輩の視線の先を見つめた。
「そうですね、久美子ちゃんですね」
「久美ちゃんも誘ってみようか?」市川先輩は久美子のほうへ歩み寄っていった。
「久美ちゃん、今からコイツと海で線香花火しに行くんだけど。今って暇?」
「あら、市川さんじゃないですか!私、ちょっと夕涼みに海に行こうと思っていたところなんです。」
結局、先輩の「ひとり線香花火」は、私たち3人で行うことになった。
小一時間ほど歩くと、海の香りがしてきた。私と久美子は先輩の後ろをついていった。
浜辺近くの防砂林には、獣道が1本あった。
「先輩、よくこんな道をご存知ですね」と私は驚きながら先輩に尋ねた。
「まぁ、ここには一人でよく来るんだよ」と先輩は言った。
ようやく海に辿り着いた。
「じゃあ、さっそく始めますか」と先輩は私と久美子を見つめながら言った。
ライターで火を灯そうとしたが、潮風でなかなか火が着かない。ライターの火力ではどうも着火しそうになかった。
「おれ、今からちょっとコンビニでチャッカマン買ってくるよ。その間、君と久美ちゃんとでトークしててくれ!」
突然、私と久美子は二人きりになった。
けっこう長い時間待ったが、先輩はなかなか戻ってこない。どうしたのだろう?
「ちょっと様子見てくるね」と私は久美子に言った。
「私だけおいていくつもり?そのうち戻って来るでしょ。もう少し待ちましょうよ」と久美子が言った。
「夕焼け、きれいですね」と久美子が不意に言った。
「そうですね」と私。
気がつけば、夕日がまさに沈もうとしていた。
辺りはだんだん暗くなり始めた。まだ、市川先輩は帰ってこない。
とその時、暗くなった海の一角が、真っ赤に輝きだした。
「あれ、何ですかね」
久美子が興味深かそうに言った。
「あれはもしかしたら漁り火かもしれない」と私は呟いた。
「いさりび、って何ですか?」
「えっと、魚をとるときに、船が灯す明かりのこと」
「わたし、はじめて見ました。とってもキレイですね」
「そうですね」と私が答えたとき、久美子と私の視線が合った。
久美子がそっと眼を閉じた。私は初めて、久美子と唇を重ねた。
(4)
「お父さん!早く、早く」
悠人がせがんだ。私はライターの火を近づけた。
「あれっ、着かないなあ。やっぱり湿気てるのかなぁ?」
「あなた、こういう時はライターじゃなくて、チャッカマンでしょ」
久美子がチャッカマンを私に差し出した。私はチャッカマンの火を、線香花火に近づけた。
あの日、市川先輩は、久美子と私が漁り火を一緒に見ていたとき、機転をきかして、獣道をひとりで帰ったとのことである。私と久美子が付き合うようになってしばらく経ってから、市川先輩が教えてくださった。
「わぁあ、線香花火って、やっぱりキレイだね、お父さん」
小さな明るい光が見事に輝いた。私と久美子と悠人を小さな明かりが照らした。
あの日、私と久美子と市川先輩の三人で一緒に見るはずだった線香花火が、今ようやく輝いたような気がした。
完
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