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短編 | 耳毛がビヨ~ン

 朝起きていつも通り洗面所に行った。とても静かだ。タイルの床が冷たい。僕は鏡の前に立った。ぼんやりと自分の顔を眺めた。鏡に映る左耳に、白くて長い耳毛が一本伸びていた。太くて、まるで細い針金のようだ。

「何だこれ?」

 指でその毛を軽くつまんだ。次の瞬間、背筋に冷たいものが走った。

「まさか!噂のあれか?」

 最近、友人から聞いた奇妙な話を思い出した。ある日、突然、耳毛が異常なまでに伸びることがあるという。

「ほんとうだったのか?気持ち悪いから抜いてしまおう」

 僕はその耳毛を強く引っ張った。痛みはなかった。だが、次の瞬間、異様なことが起きた。耳毛は抜けるどころか、ゴムのようにビヨ~ンと伸び、指を離すと跳ねるように元の位置に戻った。

「何だこれ?ゴムのクズがへばりついているのか?」

 もう一度、恐る恐るつまんでみる。すると、今度は耳毛が蠢き始めた。ゆらゆらと、まるで意思を持っているかのように。僕は凍りついた。

「うそだろ?」

 次の瞬間、耳毛が僕の頬を歩き始めた。

「えっ!何なんだ。これは?」

 僕は頬を歩きつづけている耳毛をつかもうとした。

 しかし、耳毛は鼻の穴に逃げ込んだ。

「うわっ!」
 鼻の中で耳毛が蠢いている。

「やめろ!」
 僕が叫んだ。すると耳毛は急に静かになった。

「何だったんだ?!」
 息を整えながら呟くが、手の震えは止まらない。洗面所を出た後も、思い出しただけで冷や汗が滲んだ。

 その日一日、僕は自分の耳から目を離せなかった。会議中も、電車の中でも、耳たぶをそっと撫でては異常がないか確認する。鼻をほじくりながら、異常がないか確認する。

 だが、何の異常もない。

「疲れが溜まっているだけだろう。きっとそうだ」

 そう自分を納得させ、夜、ベッドに入る前にもう一度洗面所の鏡を覗いた。

「えっ?なんで?!」

 そこには、再び白い毛が見えた。昼間よりも長く、太く、そして今度は不気味なほど黒ずんだ先端を持っていた。

「まさか!まだいるのか?」

 恐る恐る指でつまんでみた。すると、またもや耳毛が動き出した。だが今回は違う。ゆっくりと、だが確実に、耳の奥へ向かって這うように沈んでいった。

「待て!お前は何者だ!」

 慌てて耳に指を突っ込むが、何も掴めない。その代わりに、耳の奥から、ザリッザリッという音が聞こえてきた。

 次の瞬間、耳毛が再び飛び出してきた。今度は一本ではない。二本、三本と、耳の穴から白い毛が次々に這い出し、空中でうねりながら絡み合った。

「うわああ!」

 叫びながら後ずさると、背中が壁にぶつかった。毛たちはまるで蜘蛛の巣のように広がり、洗面所の天井に張り付いていた。そして、じりじりと僕に向かって降りてくる。

「やめろ!来るな!」

 だが叫んでも止まらない。無数の耳毛の先端から黒い液体が滴り、タイルに落ちると煙を上げて溶け始めた。

「何だ!何が起こっているんだ?!」
 
 心臓が口から出るほど、僕はパニックになった。逃げようとドアに手を伸ばす。だが、ドアノブが冷たく凍りついていて回らない。振り返ると、耳毛の群れがすぐそこまで迫っていた。

「殺される!耳毛の大群に…」

 突然、耳の奥が焼けるように熱くなった。

「うわっ!」
 膝をつく瞬間、視界が暗転した。気がつくと、僕はベッドの中にいた。時計は深夜2時を指していた。

「なんだ?夢だったのか?」
 汗で濡れた額を拭い、耳に触れる。異常はない。

 しかし安堵したのも束の間だった。枕元でかすかな音がした。ザリッザリッ。ゆっくりと顔を上げると、暗闇の中で白い耳毛が一本、ゆらゆら揺れていた。天井からロープのように、僕の顔面に向かって伸びてくる。

「ぎゃ~っ!」
 息を呑むと同時に、耳毛が急降下してきて、僕の目に突き刺さった。

「ぎゃあああ!」
 激痛と共に視界が真っ赤に染まった。そこで僕の意識が途切れた。

 翌朝、目覚めた僕は鏡の前に立った。耳には何も異常はない。だが、左目が異様に赤黒く充血していて、涙が止まらなかった。耳をよく見ると、小さな穴が一つ増えていた。そこから、また微かに音が聞こえる。

ザリッ…ザリッ…

 耳毛はいまだに、僕の中に潜んでいる。そして、それは確実に増えている。夜が来るたび、耳の奥で何かが蠢き、新しい毛が這い出してくるのだ。僕は鏡を見つめながら呟いた。

「もう…逃げられないのか?」

 その声にかぶせるように、耳の奥から低く不気味な笑い声が響いた。

「耳毛ちゃん、ダヨ~ン。今日も仲良く遊びましょ!」


…おわり


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします