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小説 | 紙と鉛筆③


前話はこちら(↓)


 私がブログサイト文学賞に応募をされた作品を読む楽しみは、次第に「誰がグランプリ」をとりそうか、という予想に移っていった。

 改めて審査員の顔ぶれを見ると、案の定、主催者自身がフォローしている人物ばかりであった。
 そりゃそうだよな~、普段から交流があるような人じゃなければ、審査員の依頼なんて出来るはずがない。

 仮に、私が何かブログ文学賞を立ち上げるとしても、普段から交流のある人に依頼するだろうから。間違っても、私のことをブロックしている人物に審査員を依頼するなんて考えられない


 私は完全に野次馬と成り果てた

 過去にグランプリを受賞した人について調べてみる。予想していたことではあるが、ほぼ、主催者の周辺にいる人が受賞している。当然と言えば当然のことである。

 普段から親しい間柄にある人物に審査員を依頼して、合議してグランプリを決めるのだから。
 それに賞金が懸かるとなれば、たとえほかにどんなに優れた作品があったとしても、まったく見ず知らずに持っていかれるのは腹立たしいではないか!

 私は作品を読むことを楽しみながらも、誰がグランプリをとるのか?、ということは、作品を読まなくても予想できるはずだと考えた。

 もちろん、エントリーしていない人がグランプリをとることは、さすがにないだろう。そこまであからさまなことは出来ない。
 しかし、すでに応募された作品の執筆者が、主催者および審査員がフォローしていることは、グランプリをとるための「必須条件」であることは間違いない。過去のグランプリに選ばれている人を見れば明らかだ。


 私は大胆にも、作品を読み返すことなく、主催者と審査員のフォロー・フォロワー関係を洗い出すことで、グランプリ予想を立てた。

 まず「強い」のは、主催者と「相互フォロー関係」にある者。次に強いのは、審査員と「相互フォロー関係」にある者。その次は、「片思いフォロー」「片思いフォロワー」だろう。

 すると、グランプリを受賞しそうな人物が10人ほど浮かび上がってきた。
 
 ではその10人の中から選ばれるのは誰か?

 過去の受賞者を見ると、「いいね」が突出して多い作品は選ばれていない。おそらくだが、「いいね」が多い作品は選びにくい。というのは、文学賞に参加した人たちが「な~んだ、結局文学賞って『いいね』が多いか少ないかで決まるんだぁ」と思ってしまうと、次回以降に応募数が激減することが予想されるからである。少ない「いいね」しか獲得出来なかった作品を選んだほうが
こんなに注目されていない作品も、審査員は読んでくれるんだ
という好感度アップを期待できる。


 まだ、応募期間中ではあるが、私の中ではもうすでに、誰がグランプリをとるのかということは、ほぼ確定するに至った。単なる予想に過ぎないが、誰が受賞するかなんて最初から決まっているようなものだ。

 それでも参加する人が多い理由は、
①「#○○○グランプリ」というタグをつければたくさんの人に読んでもらえるから。
②出来レースだと気がついていても、お祭りみたいなものだと知っているから。
…だろう。

 もしかしたら、初参加の人の中には「優れた作品が選ばれる」と本当に信じている人がいるかもしれない。

 しかし、それは幻想に過ぎない。


 私が誰がグランプリをとるかと考えたのかは、ここには記さない。そんなことをしても、私にはなんのメリットもないからである。審査発表が行われたあとに、一人でこっそりと、「やっぱりなぁ、予想通りだ」とほくそ笑むだけで満足だ。

 私はますます性格が悪くなるのを感じながら、「それでもいいかぁ」という気持ちになっていた。



…次回最終話

最終話はこちら(↓)



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