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エッセイと小説と詩と
一年くらい前に、エッセイ、小説、詩の区別がわからなくなると書いた。
明確な線引きはできないが、過去に自分が書いたものをみると、強く意識しているわけではないが、使い分けているように思う。
エッセイも小説も詩も、自分の化身であることに変わりはないが、思ったままに書くときの心理的抵抗感が違う。
抵抗感の軽い順に並べると、
「エッセイ<小説<詩」という感じだろう?
エッセイと名付けたものは、オブラートにほとんど包まず、思ったままに、構成もあまり考えることなく「こう思うんだけどなぁ」という感じで書く。「論文」とは言えないが、そこそこ論理的に書いている。
小説と名付けたものは、「こう思うんだけど、確信とまでは言えない」ようなものを入れる入れ物。また、事実そのものではなく、若干話を盛る。論理的なものと情緒的なものが半々くらい。
詩というものは、心理的な確信はあっても、論理性はあまりない。まったくの非論理的なものではないが、論理性という平面から、少し浮いた虚空に浮かんでいる。
広義では、俳句や短歌も詩だが、心情を描写しているように見えつつも、大喜利のようなもの。言葉のパズル🧩のピースを575、 57577に落とし込むようなイメージ。
エッセイも小説も詩も、学術的な論文ではないから、多かれ少なかれ、心情がこもる。個人的な心情を言葉で正当化したい気持ちが強ければ、それはエッセイとなり、特に正当化したいという気持ちが強くなくただ心情を書きたい時には、それは詩となるのだろう。小説は、エッセイと詩の間にある。だから、間口が広いかもしれない。
うまく言えないが、(↓)のようなイメージ。
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