魂を乗せた嘘八百
幼い頃から小説家になることを夢見ていた。私の夢は大きかった。凡庸な一作家ではなく、後生まで語り継がれるような名作を残せるような文豪になることを願っていた。
我ながら、古今東西の文学を渉猟してきたと思う。キャノンと呼ばれるような作品はすべて網羅したという自負がある。
もちろん、文豪といえども「うまい下手」はある。しかし、いくら「下手」といっても、「それは文豪の中では」という話であって、下手と呼ばれる文豪であっても、一般人とは比較にならないほどの名文を書いている。
私の夢は、たとえ一般人からは下手と呼ばれようと、文豪の末席に名をつらねることだった。
私は心に浮かんだ着想を次々に小説という形にしていった。そして、芥川賞や直木賞の対象になりやすい文学賞に応募していった。
だが、どんな文学賞でも、棒にも箸にもかかることはなかった。
「本当に私の作品は読まれているのだろうか?」
私は疑心暗鬼になった。私の作品を選考委員に読んでもらい、直接感想を聞きたい、という思いが膨らんでいった。
そんな中、選考委員のプロフィールを調べていたら、私の家の近くに住んでいる作家がいることを知った。
本名ではなく、ペンネームしか公表されていないが顔はよく知っている。
なんのあてもなかったが、毎日最寄りの駅に行けば、いつか会えるのではないか?
それから私は駅周辺をうろつくことが多くなった。まるでストーカーのように。
そんなある日、私は文豪と出会うことができた。どこに行くのか知らないが、作家は同じ時間に現れることが多いことを知った。
それから、作家と出会うたびに、訴えられるのではないか、と思われるほど執拗に「私の作品を読んでください」と懇願した。
その甲斐あって、相手方は根負けして「わかった。君の作品を読もう。だが、私もこう見えてけっこう忙しい。1ヶ月後なら少し暇になる。それまでに一編の作品を書き下ろしてみなさい」
私は1ヶ月後、この場所で再会する約束を取り付けた。
それから、私は再び作家に出会い、読んでもらえることを信じて、新たな作品を書き上げた。70枚ほどの短編であったが、何度も推敲を重ねた。
特に、冒頭には力を入れた。一番最初に書いた小説の出だしでは、平凡すぎる。私は念には念をいれて、少しでも文豪に近づけるように何度も冒頭部分を推敲した。結果として、1ヶ月という短期間では、冒頭以外の箇所に筆を入れることは叶わなかった。
いよいよ約束の日になった。私は半信半疑ながらも、文豪が現れることを待ち望んだ。
約束の時間から少し遅れたが、文豪は私の目の前に現れた。
「いや、大変申し訳ない。遅刻してしまって。言いつけの喫茶店に連絡しておいた。そこで、君の作品を読ませていただくよ」
予想以上の歓待だった。
少し古ぼけた喫茶店は、裏道の奥にあった。
「私と同じコーヒーでいいかね?」
文豪は静かにいった。
「ありがとうございます」
「では、さっそく読ませていただくよ」
私は夢見心地だった。文豪は私の原稿を読み始めた。
一心不乱に読み耽っている。なんという僥倖だろう。一枚一枚、文豪は私の小説を読み始めた。
しかし、冒頭部分を読み終えて、これから本題に差し掛かるという場面で、文豪の手が止まった。そしてこうおっしゃった。
「ここまでの部分がなければ、君はいい作家になれるよ」
私が最も力を入れて書いた冒頭部分を削除したほうがいい。それが文豪の出した答えだった。
「冒頭は最も力を入れて書いたのですが」
「だろうね。だが、読者は作家が一番力を入れて書いたところほど、読まないものだ。読者は、作り込んでいるということを悟った瞬間に、『これは作り話だ』という思いを心に深く刻み込んでしまう。それではダメなんだ。たしかに物書きはウソを書く。しかし、それは魂のこもったウソだ。君の書いた冒頭には、魂を感じない」
私は頭を思い切り殴られたかのように感じた。納得できない思いを抱えながら、文豪に別れを告げた。
家に帰ってからも怒りと無念さが交錯していた。
「なにをエラそうに!」
だが、せっかくいただいたアドバイスである。ひとしきり時が経ったあと、自らの作品を冒頭部分なしで読み返してみた。
少し物足りない感じがしたが、「なるほど」と思った。あれほど力を入れて書いた冒頭は、私の物語の幅を確かに狭めていた。
この時になってはじめて私は「君は君自身でいなさい」という別れの際の文豪の言葉を思い出していた。
~おわり~
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