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素顔のわたし⑤ | 基本的に人間嫌い

 私はみんなとワイワイ・ガヤガヤするよりも、ひとりでボーッとしているほうが好きだ。基本的に人間嫌いなのだと思う。

 自己紹介するなら最初に「私は人間嫌いです」と宣言したいところだが、その言葉を聞く人には「誰とも関わりたくありません」と聞こえるだろうから敢えて言うこともない。

「なるべく放っておいてね」と言ったらいいのではないか、とも思うが、気を失って倒れるような、本当にヤバい時に放っておかれるかもしれない。だから、「放っておいてね」とも敢えて言わない。


 「人間嫌い」は英語で「misanthrope」と言う。「mis-」と「-anthrope」という部分から成り立つ言葉。
 「-anthrope」は「人間」を意味する。「misanthrope」の「mis-」は「間違い」という意味だと思っていた。だから、「misanthrope」は「間違った人間」「出来損ないの人間」なのだと。
 しかし、「misanthrope」の「mis-」は「mistake」の「mis-」(間違う)とは異なる語根で、「嫌い」を意味するギリシア語の「misos」由来の言葉だそうだ。


 「だから、なに?」の話なのだが、「人間嫌い」だからといって「出来損ないの人間」とは必ずしも言えない、と知って、少し安堵したりする。


 誰とでも仲良くしようとして、自分の気持ちを知ってもらいたいという思いが強すぎて、急速に距離を縮めようとする人がいる。
 聞いてもいないのに、個人情報や過去の印象に残ったエピソードを次から次へと語る。自分語りばかりする。
 そして、「これだけ私のことをしゃべったのだから、私と同じように、個人情報や過去のエピソードをあなたも語れ!」みたいな高圧的な態度に出る。
 こういう人が私の1番苦手なタイプであり、だから私はますます人間嫌いになる。


 相手に聞いてみたいことって、関心を持った人に対してならば、聞いてみたいな、と思うことはある。
 けれども、タイミングってあるし、相手の住所だの本名だの家族構成を知れば、その人に近づくことができた、なんて考えるのは、とても愚かなことだ。

 何気ない言葉とか、ちょっとした相手の表情だとか、黙って観察したり考えたりして、「このタイミングなら聞いてもいいかな?」って考えたほうがいいんじゃない?

 文脈を無視して、今すぐに相手のことを探るような言葉を相手に浴びせかけるような人は、相手のことが好きなのではなく、「相手のことが好きな自分が好き」というに過ぎない。

 そういう時は誰にでもあるかもしれないが、グッとこらえるのも大切ですよね。


 …とここまで書いて気づいたのは、私は「暑苦しい人が嫌い」なのであって、「人間すべてが嫌い」ということではなさそうだ、ということ。

 暑苦しい人は、自分が熱くなっていることに気がつかないから、私は熱気がこちらに届かぬように、自主的に避難する。

 人間関係は「ちょっと物足りないなぁ」と思うくらいの距離感がいちばん心地よいのだろう。少し切ないくらいがちょうどいい。押す潰されるくらいの切なさは嫌だけどね。



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