エッセイ | 小説のリアリティについて
絵画ならば「写真のようですね」、小説ならば「リアリティがありますね」と言えば概して褒め言葉になる。しかし、写真のような絵ならば、写真を見ればいいし、リアリティがあることを経験したいならば、ニュースや人の話を聞けばいい。
リアリティを求めるならば、自分自身の仕事や衣食住の充実について考えればよく、小説や映画などはいらない。
私小説のようなジャンルはあるが、優れた小説は、少なくても私の生活のリアリティから乖離したもののほうが多い。
小説を読みたいと思うとき、自分自身のリアリティを直視したいときではなく、現実から離れて、ものを見たい・考えたいということのほうが多い。
私は女性ではないし、死ぬほど不幸というわけではないが、「マノン・レスコー」「椿姫」「ジェインエア」「テス」を読むと感動する。
私は人を殺したことはないが、「罪と罰」の中で、ラスコーリニコフが二人の女性を殺し、殺害現場から逃げようとする場面や、ポルフィーリーに追い込まれていく場面では、とてつもない恐怖を覚えた。
小説の「リアリティ」というとき、それは、たとえ自分自身の生活上では決してありえないようなことでも「臨場感」をもって読めるということなのだろう。
そして、「臨場感」というリアリティのある小説は、私自身の普段の価値観を揺さぶる。
人を殺すのは良くない、というのは誰でも分かることだが、「罪と罰」を読むとき、殺人者ラスコーリニコフに感情移入して読んでしまう。ポルフィーリーこそ悪者のようにさえ思う。
よい小説には、普通の意味でのリアリティはないが、一種の思考実験として、とても臨場感があるものだ。基本的に小説はフィクションだが、優れた作品は「現実の私」を変えてしまうほどの力を持つ。大きな傷を負うこともある。そういう意味で、優れた小説には「リアリティがある」。
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記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします