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[創作大賞2024応募作] 短編小説 | それを愛と呼びますか?
(一)
「なんかがっかりしたよ。結局、私の話を聞くとき、あなたは選別して聞いてるってことだよね?大事な話とそうじゃない話みたいに」
どうやら僕はまた彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。二週間前に、二人で夜に散歩したときのことを思い出せなかったからだ。
言い訳するわけじゃないけど、「この前、手をつないで歩いた時さぁ」といきなり言われても、いつのことを言っているのか、僕には即座に分からなかった。「二週間前、二人で食事をした後に歩いた時さぁ」とか言ってくれたら、「あぁ、あの時ね」と思い出せたかもしれないのに。
「いちいち覚えようって意識しないと覚えられないものかなぁ。私に興味がないから、話に乗ってこれないのよ」
「何でも興味があれば覚えられるわけでもないだろうに」と言いたい気持ちをグッと抑えて、いつも僕は彼女へ謝罪ばかりしている。
こちらの理由なんか彼女は聞きもしないのに、彼女自身の理由はきちんと聞いてくれと言う。女ってそういうところが面倒くさい。
こちらとしては、グダグダあぁだこぅだと理由は言わずに、私に何をしてほしいのか言ってくれればいいのにと思う。「こうして!」と言われたら「そうする」から。
いきなり愚痴から話してしまったけれど、恋愛ってなんだろうね。自分がやりたいことをするなら1人でいたほうが気楽だ。悩み事を聞いてくれる人がいるのは幸せだけれども、相手が悩み事を抱えているときは、聞きたくなくても聞いていなければならない。自分に都合のいいことだけ、いいとこどりすることは出来ない。
簡単に言っちゃえば、プラスマイナスはゼロ。いやむしろマイナスのほうが多いのではないか?
なのに僕は彼女から離れられないでいる。これは愛情なのか?それとも単なる依存に過ぎないのだろうか?
(二)
彼女とは数年前にたまたまジムで出会った。その頃はお互いに毎日のように通っていたから、自然に顔見知りになった。すれ違えば互いにあいさつを交わすような関係に過ぎなかった。
いつの日だったか、たまたま二人並んで走っているときに、「どこかジム以外のところで、ゆっくりお話しませんか?」と彼女に言われたのが交際の始まりだった。
「いいですね。お互いにジャージ姿しか見たことがないですしね」
「じゃあ、近いうちに一緒にお出かけしましょうか?」
それからLINEや電話でやり取りするようになった。1ヶ月くらいたった頃、僕たちは一緒に海を見に行くことになった。
「じゃあ、9:00の電車の1番後ろの車両に乗って待っていてください。私もあとから合流しますから」
僕は1番後ろの車両に乗って彼女を待った。本当に来てくれるだろうか?、という不安を抱えながら。約束を破るような人じゃないけど、いつもジムでしか会わない彼女が僕と二人きりの時間を過ごすことが、リアリティを持って感じられなかったから。
僕が乗ってから2つ目の駅で、彼女が電車に乗り込んで来るのが見えた。顔はハッキリと分からなかったけど間違いなく彼女だった。もうすぐ会える。
しばらくして彼女が僕のいる車両にやって来た。可愛かった。ジムでは素っぴん顔しか見たことがなかったし、スカートをはいているのも初めて見た。
「こんにちは」
「こんにちは。すごく可愛いです」
嘘でも何でもなく、思った言葉がすぐに出てきた。
「ありがとう。嘘でも嬉しい」
「いえ、嘘なんかじゃなく、ホントのホントに可愛いです」
「なんかそう言われると、余計嘘っぽい。けれども『かわいい』って言われたら悪い気はしない」
ニコニコしながら彼女が応えた。
電車の中で、何を話したのか良く覚えていない。たぶん、車窓を眺めながら、「あれは何?」とか、そんな話をしたのだろう。
小一時間ほどして、目的地の海の見える駅にたどり着いた。二人で砂浜のほうへ歩き出した。
「久しぶりに海にやって来た!誰かと一緒に海を眺めるのは久しぶり」
彼女が最後に海を見たのは、いったいいつのことだろう?誰と一緒に来たのだろうか?
「元カレさんと一緒に来たんですか?」と聞こうとしたけど、野暮に思えてやめた。その代わりに「1人で海に来ることはあるんですか?」と聞いた。
「はい、たまに1人で来ますよ。ここの海じゃないですけど。海を見てると思いませんか?自分の悩み事なんて、ホントにちっぽけなものだと。海を見ても何も解決なんてしないんですけどね。心が洗われたような気持ちになる」
「あぁ、その気持ち、なんとなく分かります。視界を遮るものがない、どこまでもつづく水平線を見ていると、世界の大きさが実感できますよね。この広い地球の中で、自分の存在なんてホントに小さいものなぁとか、しかもその頭の中にある悩み事なんてとるに足りないと思えたり」
「そうそう、そんな感じです。悩むのがバカらしく思えてくるんです、海を見ているとね」
(三)
それから彼女とちょくちょくデートすることになった。デートといっても、ジムで一緒に汗を流したあとに一緒に食事に行くとか、見たい映画を見に行くとか、ホームセンターのペットコーナーをブラブラ歩くとか、その程度のものだったけれど。
付き合いはじめてから、1ヶ月ほど経った頃、「今日、私、帰りたくない。1人になりたくない」と言った。土曜日だったから、僕も時間があった。どちらから誘うでもなく、気が付いた時にはラブホの部屋の中にいた。そしてそのまま、初キスもそれ以上のことも一気に済ませた。
明くる日、彼女が言った。
「このまま、お別れしましょう」
「なんで?」
「私、思うんです。きっとあなたは私と一緒にいることに耐えられない日が来ると。だから、1番いい思い出ができた日にお別れしたいって」
「嫌いになった?」
「だから、今言った通りです。男の気持ちなんて、初めて手をつないだ時とか、初めてキスをした時、そして、初めて結ばれた瞬間が1番のピークで、それ以降は続いたとしても惰性でつづくだけだって、私、知っているから。だから、1番いいときにお別れするのが、お互いに傷つかなくて済む」
「嫌いじゃないのに別れるなんて、僕には理解できないよ」
「理解なんて出来ないほうがいいのよ。これは私の直感だから、分かってもらえないだろうし、分かってもらいたいとも思わない。あなたにとって私は、ほとんど初めての女だろうけど、私はこれまでに何人もの男と付き合ってきたから分かるの」
「そんなにたくさんの男性と付き合ってきたの?」
「そういうのウザい。私がこれまでに何人の男とセックスを重ねてきたのかなんて言うつもりない。だけど、あなたは優しい人だから傷つけたくないの。逃げるなら今のうちだよっていう気持ちがあるから」
(四)
それから、僕たちはホテルをあとにした。もうすでに、すっかり明るくなっていた。
「最後にもう一度だけ、二人で一緒に歩きましょうか?」
「『最後』にはしたくないけど、一緒に歩きたい」
僕たちは、手をつなぎながら、歩き始めた。
「あぁ、もう紫陽花の季節かぁ。早いね。ついこの間年が明けたばかりだと思っていたのに」
山道には、両脇に、色とりどりの紫陽花が咲き乱れていた。
「考え直してくれないかな。今日が恋愛感情のピークだなんて思っていない。これからも良い関係をつづけていきたい」
「良い関係って何かしら。嫌なことがあればお互いに愚痴を言ったり、暇な時には二人でどこかに出掛けてデートしたり。お互いに体が求める時にはセックスしたり、つまりはそういうことよね?」
「純粋にスキだからっていうのじゃダメかな?スキだから一緒にいたい。スキだから一緒に傷つきたい。そういう関係じゃダメかな?」
一瞬沈黙したあと彼女が言った。
「純粋なんですね。私、そういう気持ちを忘れていました。スキという言葉に、自分のエゴをのせて恋愛というものを考えていました。スキだからスキ。なんかそういう考え方っていいですね」
(五)
それから僕たちは本格的に付き合うようになった。ほとんど彼女の言ったような結果になった。互いに愚痴を言いあったり、暇があれば二人でブラブラして、やりたい時にはラブホに行ってセックスするみたいな。でも、それでお互いに満たされていたように思う。
そしてお互いに、結婚しようとか、それ以上の深い関係になろうだとか、そんな気持ちは特に起こらなかった。
けれども何度か「結婚って、考えたことはありますか?」と聞かれたことがある。
「ありますが、束縛に繋がるんじゃないかと思う気持ちもあって」
「私もね、どっちが別れたいと思った時、身軽に別れられるほうがいいかな、と思っていて。結婚すれば、少ないながらもどっちの財産がどぅのこぅのということで揉めたりするし。子供の教育をどうする?とか、二人のことなのに二人だけでは決められないことも多くなりますしね。それは『結束』と言えば結束と言えると思うんですけど、ただの『束縛』じゃん、とも思う。結婚って、お互いに別れられない理由を増やして、繋がっている口実を作るだけだとも思っちゃうんです。それって、ホントに愛と呼べるんだろうかって」
彼女も僕も、結局のところ、結婚には何も魅力を感じていないということなのだろう。愛っていうのは、束縛する条件を増やして無理やり相手を繋ぎ止めることではなく、その時々の一瞬を分かち合うことの積み重ねだという意識を、僕たちは共有していた。だから、結婚をしないまま、今日の日まで関係が続いてきたのだと思う。
(六)
それから7年経った。僕たちの関係はいまだに続いていた。時々「結婚」というワードが会話の中にあらわれたことはある。けれども、結婚しよう!という話になったことは一度もなかった。
「私たち、付き合い始めてから長くなりますね。最初に結ばれた日の朝、あなたと別れようと思っていた。だから。ここまであなたと今も繋がっていることは不思議。これで良かったのかな、と今では思ってる」
「そうだね。僕は初めてデートしたときから、一度も別れたいと思ったことはない」
「そう、だろうね。でも、私からさんざん嫌な目にあわせられてるんじゃないかなぁ。結論のない愚痴を延々とあなたに聞かせたことが何回もあったしね。でも、とてもありがたかったよ。感謝してる」
それは僕も同じだった。あの朝、そんなに強い覚悟があったわけじゃなかった。ただ、別れるのがつらかっただけだ。それに、たとえ付き合っていく中でつらいことがあっても、それ以上の喜びもたくさんあったから。「別れる理由が何もなかった」というのが、本当のところかもしれない。
(七)
「あの、冷静に聞いてほしいんだけど、今、時間は大丈夫?」
その日の夜、珍しく彼女から電話があった。
「どんな話?」
彼女は黙っていたが、電話の向こう側から、彼女の静かな声が聞こえるかのような気がした。
「本当ならね、生理が来るはずなんだけど、思ったより3日遅れてるの。たぶんそういうことだと思うの。あなたにとっても、とても大切な話だから」
僕がその話を聞いたとき、「嘘だ」とはまったく思わなかった。だけど、嬉しいという気持ちが頭をよぎることはなかった。
「いやだよね、私、堕ろそうと思ってる。あとで相談したいんだけど。その前にまず、ちゃんと確認しておくね。ただ他の理由で遅れてるだけかもしれないし」
(八)
それからさらに1週間が過ぎた。彼女からの連絡は途絶えた。僕からも連絡することはなかった。
「彼女からの連絡を待とう。今の段階では僕には何も言えないのだから」と自らを正当化したが、実を言えば、「厄介なことになったな」という気持ちしかなかったのだろう。僕はやはり、付き合い始めた時に彼女が言ったように、彼女に対して興味があったのではなく、ただ自分の寂しいという気持ちを満たすために付き合っていただけなのだろう。決断を迫られている状況になってはじめて自分の本心と向き合ったかのような気持ちになった。
(九)
「やっぱり間違いなかったみたい。病院にいって確認してきた。妊娠してた」
彼女がそういったとき、僕は何も言えなかった。
「嘘を言ってほしいわけじゃないけど、『産んでくれ』とは言ってくれないのね」
ふぅとため息をついたあと、本当の話をつづけた。
「せめているわけじゃないのよ。正直に言えば、私だって妊娠していることを確信した1番最初の瞬間に思ったのは、嬉しいという気持ちじゃなかった。あぁ、これであなたとの付き合いも終わりになるだな、と」
僕は思ってもないことを言った。
「僕たちの子供を産んでほしい」
彼女は嘲笑うかのように言った。
「じゃあ、絶対に産む。本当に産んでもいいのね」
自分でもバカだと思う。無責任だと思う。僕は沈黙するしかなかった。
「あ、ごめん。困らせるつもりはないの。最終的には、私自身が決めることだから。でも、堕ろすという決断をするときには、同意書が必要になるから、その時はよろしくお願いいたします。まだもう少しだけ、ちゃんと考える時間は残されているから」
(十)
その日は何の結論も出ないまま別れた。彼女が子供を産むと言っても、僕には何も困ることはない。仕事もしている。ある程度の蓄えもある。彼女にしても同じことだ。
ただ、お互いに今までのように、好きな時にだけ会い、好きなところへ行くという自由が制約されるだけのことだ。なのに、こんなに悩み込んでしまうのは、彼女を愛していないからだろうか?
(十一)
それから、彼女から何の連絡もなかった。こちらから連絡することもなかった。彼女のことを気にかけつつも、何の行動も起こさぬまま、1週間が過ぎようとしていた。
「ねぇ、聞きましたか?この近所の踏切で人身事故があったって」
「いえ、聞いていませんが」
嫌な予感が頭をよぎった。まさかとは思いつつ、彼女へLINEを送ったが返事は来ない。そして、電話もしてみたが繋がることはなかった。
事故のことを聞いてから2日後、自宅へ帰ると、少し分厚めの封書が届いていた。
(十二)
この手紙をあなたが読む頃、きっと私はもうこの世にはいないことでしょう。私はやはり、愛というものに束縛されることはイヤなんです。
私のお腹に宿った女の子には申し訳ないけど、この子と一緒に死ぬことにしました。
この子を産んで、あなたと一生幸せに生きるということを想像しようとしましたが、私には悲惨な末路しか想像出来ませんでした。
この子のことで、悩んだり、苦労する私とあなたの姿しか思い浮かべることが出来ませんでした。
どうあろうと生きていくことに、そんなに価値があるものでしょうか?幸せを感じる瞬間の数倍の苦労を背負いながら生きていくことは、苦行以外のなにものでもありません。
死よりも生に価値があると決めたのは、いったいどこの誰でしょう?
私たちには、生者の言葉しか届きませんが、死者の言葉を聞くことが出来たならきっと、生よりも死のほうが価値があるという意見を聞くことができるでしょう。
私はここ10日間、死者たちの眠る墓を回ったり、水子供養の神社を彷徨ってみました。
そして、私は彼ら死者たちの声を確かに聞きました。
「こっちの世界のほうがいいぞ」という声ばかりを聞きました。
生者たちは常に争い事に奔走している。相手より自分のほうが少しでも優れているところばかりを探そうとする。それに対して死者は、お互いに争うということがまったくない。
死んでしまえば人間はそれぞれ、魂だけを地球に残して、体はバラバラになって他の動植物の中に吸収されていく。肉体を持たない者は、人と比べるという愚かな考えを持つ者を軽蔑する。
死者は、どこへ飛んでいくことも出来れば、人の心の中に忍び込むことさえ自由にできる。だから、相手の虚栄心も真心もすべて手に取るように分かる。
私は生前、あなたの心も、私の心の中さえも、十分に覗き込むことが出来ませんでした。だから、私はこの子とともに死者となり、肉体を捨てることによって、人の心を覗き込み、すべての人の心の深淵を覗いてみたくなりました。
どんな地獄絵図が広がっているのか、想像も出来ませんが、今からワクワクしているところです。こんなに心がときめくのは、今まで生きてきた中では一度もありませんでした。
だから、私は死にます。私のことを探さないでください。
さようなら
「それを愛と呼びますか?」(完結)
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