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当たり前の「記憶術」

 詰め込み教育というと、ネガティブなイメージがある。
 丸暗記というと、独創性がないように思われがちだ。
 暗記科目と言えば、社会科、特に歴史の人物名・出来事を覚えることを連想する人も多いだろう。
 日本の歴史を学んで、織田信長も徳川家康も知らなければ、確かにちゃんと勉強していないと言える。
 しかし、時代の流れを知ったり、ある建築物の建築様式の沿革を知りたいのならば、必ずしも人物の名前を挙げなくてもストーリーを作ることはできる。

 社会科と比べると、数学という科目には、暗記科目というイメージはない。確かに、たとえば、二次方程式の解の公式だって暗記していなくても、答えを導き出すことができるだろう。
 しかし、解の公式を覚えていなければ、解法あるいは公式を導き出すだけの力が備わっていなければ、なかなか解くことは難しい。公式を覚えていれば、a、b、cの値を公式に代入するだけで、誰にでも解くことができる。数学が苦手な人ほど、公式を覚えていないと、答えを導き出すことが難しくなる。

 逆に、数学が得意な人ならば、たとえ公式を忘れてしまっても、公式を導き出すことは容易だろうし、もっと楽に解ける方法を見つけ出すこともできるかもしれない。
 歴史でも数学でも、「理解」がちゃんと出来ていれば、「暗記」することは少なくて済む。逆に「理解」がきちんと出来ていないと、「暗記」することが多くなる。

 たくさんのことを暗記することが苦手ならば、その代わりに、深い理解が必要になるだろう。暗記することが得意ならば、理解度が低かったとしても、何とか答えを導き出すことができるだろう。
 およそどんな学問であっても、なすべきことは、みっつだけ。

「理解すること」
「覚えること」
「使いこなすこと」

この3つの要素は、どれも大切だから、バランスよく時間配分するのが理想だ。しかし、覚えることが本当に苦手ならば、「理解する」練習や「使いこなす」練習をすることで、「覚えること」の負担を小さくすればよいのではないだろうか?
 「理解すること」と「覚えること」。どちらかに不具合があるとき、残り1つの機能をフル活用すれば、お互いにバックアップ機能が働く。どちらもキレイに分割できるわけではないのだが、理解することと覚えることとのバランスを、念頭に置いておくとよいだろう。

 
 




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