教養講座 | 人間は考えるボットン便所🚻である。
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今回のИНК教養講座では、スラブ系哲学者の双璧をなす、「ウナジミール・ポコティンヤヤミギヨリヴッチ」と、「アレクセイ・チョイトコレモクセーヴッチ」の思想について、お送りいたします
m(_ _)m。
指南役は、無用之用研究所名誉教授の矢々返出寿男(ややへん・ですお)先生です。
では先生、よろしくお願いいたします😄。
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みなさん、こんばんは。矢々返出寿男です。最初に、アレクセイ・チョイトコレモクセーヴッチの有名な言葉
「人間は考えるボットン便所である」について、解説してみたいと思います。
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ボットン便所は、私もかつて使っておりました。しかし、現在は水洗トイレが主流ですし、ウォシュレットも当たり前になりました。現代に生きる私たちは、どのようにボットン便所🚻と向き合ったらよいのでしょう?
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ボットン便所に対峙するときは、そのまま、前を向いて気張ればよいでしょう😄。確かに水洗トイレに慣れた現代人は、反対方向を見てしまうかも知れませんね😄。まぁ、アレクセイが生きた時代は19世紀後半から20世紀初頭でしたからね。水洗トイレという考え方はなかったでしょうね。
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確かに。ウッカリしておりました(/-\*)
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ではここから、本質的なお話を始めますね。アレクセイ・チョイトコレモクセーヴッチは、人間を「考える」と「ボットン便所」という2つの要素から成ると考えました。
「考える」とは、文字通り解釈してよいでしょう。つまり、人間は…哲学の専門用語で言えば…「理性的存在者」であると。解釈が分かれるのは「ボットン便所である」という部分です。
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私には、何を意味するのかまったくわかりませんが。
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そりゃ~そうでしょうね。アレクセイが残した唯一の言葉は「人間は考えるボットン便所である」ですから。著作も一冊もありません。
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そ、そうなんてすか🐵?じゃあ、哲学者でも何でもないじゃありませんか?
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ば、バカもーーーーん👊。学問をなめてはいけませんよ。この哲学界の大御所である私でさえ、「ボットン便所」について10年以上考えてはじめて、アレクセイの偉大な思想の核心に、一ミリくらいは近づけたという感じなんですよ。
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し、失礼いたしました。
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分かればよろしい。
私は「ボットン便所」は何の比喩なのだろうかと考えに考えました。また、汗牛充棟のアレクセイに関する文献をすべて渉猟しました。そして、「これだ!」という核心に至りました。
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先生!、もったいぶらないで早く教えていただけませんか?
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よかろう。気になるじゃろう?
人間は、悪い生き方をしても、あるいはどんなに高潔な生き方をしても、ウソをつくことなく過ごすことはできません。自己愛によるウソはもちろんのこと、他人のためにウソをつくことは日常茶飯事と言ってよいでしょう。
ウソとはたいへん汚れたものです。喩えは汚いが、ウソはウンコ💩なのです。すなわち、「生きること=ウンコ💩を身に纏うこと」です。その事をどんな人間でも、心の奥底では自覚しています。にもかかわらず、日々、相手を傷つけないウソとは何か?、自分が傷つかないウソとは何か?と「考える」。
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なるほど。なんとなく分かってきました😄。
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コラッ👊。まだ、話の途中じゃけん、黙って、聞いておれ😠!
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も、申し訳ございません😣。
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分かればよろしい。えーっと、どこまで話したかな?
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「考える」までです。
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ということは、残すは「ボットン便所である」というところじゃな。
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さようでございます。
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ボットン便所では、ウンコは高いところから下へ落ちる。ちなみに、私が小さい頃住んでいた家のボットン便所は、三階から地下一階まで落ちるボットン便所だった。下を覗くと、つねに吸い込まれるような恐怖心を抱いたものである。落っこちたら助からないだろう。ぼくはウンコ💩にまみれて死んでしまうかもしれない。
しかし、人間はどんなことにも慣れてしまうものである。アレクセイの一世代前の文豪ドストエフスキーも、そう言っていた。
それはともかく、つまり、「人間は考えるボットン便所である」とはこういうことです。
「人間は日々ウンコを出しながら、かつそれを身に纏いながら生きている。本来、ウソをつくことは非常な恐怖であるにもかかわらず、次第次第に馴化してしまう。ウソをつく時には、『ボットン』と心の中に自責の念が響いているはずであるが、それに対する感覚も次第に麻痺してしまう」
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なるほど👀。深いですね💩(😄)💩。
ところで、放送時間が。。。
残りの「ウナジミール・ポコティンヤヤミギヨリヴッチ」の思想について、30秒で❗よろしくお願いいたします。
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忙しいのう。わかりました。
ウナジミールは「女の二の腕の柔らかさは、その女のオッパイの柔らかさである」というテーゼを残しています。
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先生、申し訳ございません。時間が来てしまいました。
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まだ、言いたいことの十分の一も話していないのだが。。。
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今日の教養講座はこれまで。みなさん、ごきげんよう。さようなら👋。
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さようなら、また来週👋
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先生は、今日で終了です。ありがとうございました😄。
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えっ、そうなの?聞いてないよ。、。。
先週の番組が表彰されました😄。
なんで火曜日の朝に届くのか謎のままです。