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8/11 | #理解はしてほしいこと
個人企画「#理解はしてほしいこと」。
8月11日にお預かりした記事をご紹介いたします😃💕。
あやとりりいさん
あやとりりいさんの記事を読んで思い出したのは、ショーペンハウアーの「ヤマアラシの比喩」でした。
2匹のヤマアラシがいる。お互いの温もりを感じるためには、なるべく密着したい。けれども、お互いにトゲを持っているから、近づき過ぎるとお互いに傷つけ合うことになってしまう。
傷つけ合うことなく、温もりを感じるには、適切な距離感が必要である。
たしか、このような話だったと記憶しています。
人間関係でも、同じことが言えるかもしれませんね。
仲が良いからといって、ベッタリしすぎると、傷つけ合うことになってしまいます。かといって、離れ過ぎるとお互いの温もりや気持ちが伝わらない。
コミュニケーションというものは、なかなか一筋縄ではいきません。人によって快適に思う距離感が異なることも多々あります。
あやとりりいさんの記事を読んで感じたことです。
あやとりりいさん、企画へご参加いただき、どうもありがとうございます😃💕
くーや。さん
noteでは「スキ」や「コメント」で悩んでしまうことがありますね。
くーや。さんの記事を読んで思ったことを書きます。
私は、ちょうど1年くらい前にnoteをはじめましたが、最初の頃「スキ」ひとつ付くことがとても嬉しかった。はじめてコメントを頂いたときのことは、今でもハッキリと覚えています。
しかし、次第に「スキ」の数や「コメント」の数が増えてくると、「まだ相手の記事を読んでいない、読みに行かなければ」というプレッシャーを感じてしまう。その気持ちは良く理解できます。
しかもせっかく読んで「スキ」しようとしたら、「スキ制限」になってしまった😱。最悪😱。今でも、そういうことがあります。
楽しくてやってきたことが、次第に義務感のようなものに変わってしまうと、少し嫌気がさすことがあります。
私自身、まだ十分にnoteのことを理解できているか自信はありませんが、noteに発表する作品は「新聞記事」のようなもので、「書籍」のようなものではないかもしれない、と思っています。
1日過ぎれば、読めなかった記事をあとで無理に遡って全部読もうとしなくてもいい、と。
もちろん、実際の紙の新聞とは異なり、記事を削除しない限り、いつでも読めますが、1日過ぎてしまったら仕方ない、と諦めることも、時には必要ですね。真面目な人ほど、申し訳ないという気持ちになってしまいがちだと思います。
これがTwitterだとあまり(まったく)気にならないのですが、noteの「スキ」や「フォロー」は、なぜか気になってしまう。みなさんはどうでしょう?
くーや。さん、企画へご参加していただき、どうもありがとうございます😃💕
(イラストも使わせていただき、ありがとうございます😊)
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