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エッセイ | 私は思う

 作文やエッセイを書くときに「~だ」「~です」と書く代わりに、「~思います」を使ってしまうことが多々あります。とくに読書感想文を書くときには、やたらと「~思います」を連発してしまいます。

 私が書いていることは、どんなことであれ、私が「思っていること」ですからいちいち文末に「~思います」を書かなくても本来意味が通じるはずです。

 「~である」「~だ」のような断定を避けるために「~思います」を使うときがあります。けれども「~思います」を使わないように気をつけると、今度は「~かもしれない」「~気がする」「~だろう」「~でしょう」という言葉のたぐいが増えてきます。

 文章の流れ上「~思います」が1番しっくりとくることがありますが、たいていの場合は、言い切ることが憚られて「あくまでも私の個人的な意見ですが」というニュアンスをこめるために「~思います」が使われることが多いでしょう。あるいは単に、口癖になっているだけだったりします。


 私はなるべく「~かもしれない」や「~思います」を使わないようにしているつもりです。本当は断定口調で書くほど自信がないことであっても、「~思います」には実質上なんの意味もない言葉ですから。

 「~かもしれない」「~気がする」「~思います」という言葉を使うのは、たいていの場合、私の書いた文章を読む人に対するエクスキュースに過ぎません。

 だから、多少誤解されるおそれがあっても、なるべく断定口調にしたい。いちいち「こういう場合はこう思うけど、そういう場合はそう思う」なんて書いていたら、聞く人には「この人、なにが言いたいのだろう」と思われるのが関の山です。

 小・中学校あるいは高校の頃だったか、作文や小論文の書き方を学ぶときに、「『すごい』『~思います』という言葉は使わないで書こう」と指導されたことがありました。それ以来、日常会話でも、『すごい』や『思います』という言葉は、極力使わないように心がけています。

 しかし、それでも無意識のうちに「~思います」「~かもしれない」という言葉を使っているようです。

 note記事で、自分自身のコンテンツを「思います」で検索してみると、たくさんの記事が出てきます。
 『思います』という言葉を使うことを一概に悪いとは言いませんが、多用すると稚拙に響きます。
 『かもしれない』を多用すると、読んでいる人には、「この人はなにが言いたいのだろう」と思われるかもしれませんね


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします

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