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墳活 | 天神山古墳

 前回の記事のつづきです。
 一記事にしようかとも思いましたが、ページを開きにくくなるので分割しました。
 前回の記事の「姉妹編」(というか夫婦[めおと]編)です。
 前回の記事はこちら(↓)。

https://note.com/piccolotakamura/n/nb5986d07fd44


天神山古墳の雄姿(↓)


古墳内を道路が突っ切っている。
太陽がまぶしい。
天神山古墳から撮影。
通りの向こう側(奥の白い柵)までが
古墳の一部分。
古墳が大き過ぎるから、
古墳敷地内を突っ切るように
道路を走らせたのだろう。
墳丘ふもとから、
墳頂を撮影。
古墳のへりを歩く。
落ち葉が多くて滑りそう。
古墳内から古墳外側を撮影。
住宅の手前までが「古墳」。
古墳入り口から墳頂を撮影。
古墳は「神社」として
利用されていることが多い。
天神山古墳の「祠」(ほこら)
もう少しで墳頂。
墳頂より撮影。
墳頂より撮影。
墳頂より撮影。
墳頂から下り始める。
もと来た道を戻る。
古墳の外へ動く。
住宅の手前までが古墳の敷地内。
広い。
振り返ってみる
古墳が大き過ぎて
一枚の写真におさまらない。
古墳の前の畑のような箇所も
古墳の敷地内。

古墳の大きさは、古墳本体(前方後円墳)そのものの大きさか、堀まで含めた大きさで比較されることが多い。
大きさの基準が複数あるので、なにを基準にするかで、古墳の大きさランキングは異なる。

しかし、いずれの基準をとるにせよ、天神山古墳は、大阪や奈良の巨大古墳群を含めても確実に全国30位以内にはいる

朝廷が北九州にあったにせよ、畿内にあったにせよ、いずれにしても、ヤマト政権から遠くへだったところに巨大古墳(巨大前方後円墳)があるということから、この地に絶大な影響力を誇った豪族がいたと強く推定される。

また、天神山古墳には複数個の「陪塚」(ばいちょう、ばいづか)がある。
東日本に住みながら、陪塚まで自由に見学できる古墳は少なく、東日本住民にとっては朗報と言えるだろう。

 車がないとアクセスしにくいが、街中にあり、古墳初心者向けの巨大古墳として、強く推薦したい。

 見に行っても、たいてい誰もいないので心ゆくまでのんびりと古墳探訪できるのも嬉しい。1人で考え事をするにも最適の場所と言えよう。


Geminiによる陪塚の説明はこちら(↓)


陪塚(ばいちょう、ばいづか)とは、日本の古墳時代に築造された古墳の様式の一つです。
意味

  • 大型の古墳(主墳)に付随して築造された小型の古墳のこと。

  • 主人の墓に従う家臣や親族の墓、あるいは主墳の副葬品を納めるために作られたと考えられています。
    特徴

  • 主墳の周囲に、ほぼ同時期に築造されることが多い。

  • 主墳と合わせて古墳群を形成する。

  • 墳形は、円墳や方墳など様々。
    その他

  • 陪塚の築造は、当時の社会や文化、埋葬の習慣などを知る上で重要な手がかりとなります。

  • 古墳時代後期に多く見られる。

  • 代表的な例として、大阪府の百舌鳥・古市古墳群にある陪塚が挙げられます。
    関連情報

  • 主墳:古墳群の中心となる大型の古墳。

  • 古墳時代:日本の歴史区分の一つで、3世紀中頃から7世紀頃までを指します。
    ご不明な点がございましたら、お気軽にお尋ねください。


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします