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深夜に釣り糸を垂らす

 妄念は夜に現れる。記憶の底に沈んでいるものが浮上しやすい。それこそが自分の真の欲望に違いない。

 小説が真実を忠実に書く器であるならば、白昼に書くよりも、この深夜に目覚めた私が書く文章のほうが小説らしい小説になる。

 私はこの信念に従って、深夜に起きた時に小説を書くことが癖になっていた。白昼の私が読むと、変質者が書いた文章と見紛うばかりである。

 脳裏に浮かんだ妄想を忠実に描写してゆく。一気呵成に書き上げて、白昼の私が深夜の私を静止することがないように、すぐに投稿ボタンを押した。

 深夜の私は、小説を読む人のことなど何も考えない。いかに変態であろうと包み隠さず、妄念そのままに忠実に描写するだけだ。そして、脳裏の妄念を1つ残らず描ききり、投稿し、眠った。

 目覚めたあと、いつものことであるが「あぁ、また夜中に妄念を書き散らしてしまった」と後悔した。しかし、私の小説に食い付く常連はたくさんいる。

「あなたは余程、変態のようですね。痺れました。これからも書き続けてください」
「とても共感しました。あなたの書くものは最高です。これからも書き続けてくださいね」

 いったい私は何を書いたのだろう?
 恐る恐る自ら投稿した小説を読み返してみた。白昼の私は、嘔吐しそうになった。とにかく気持ち悪い。こんなに気持ち悪い小説に賛辞をおくる読者は、いったい何者なのだろう?
 もう小説など二度と書きたくない。心底そう思った。しかし、私は投稿を消すことはなかった。自らの戒めにするために。
 気がつけば、私は1年以上、グロテスクな小説を書き続けていたようだ。白昼に釣り糸を垂らすより、夜中に釣り糸を垂らすほうが読者が多い。だからやめられない。どこの誰だか知らないが、私の妄念に共感するなんて。頭がおかしな人が白昼の世界にこれほどいるなんて。

 
~おわり~


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山根あきら | 妄想哲学者
記事を読んで頂き、ありがとうございます。お気持ちにお応えられるように、つとめて参ります。今後ともよろしくお願いいたします