歴史小説 | 恵みの雨 Re
(1)
おそらく、幕府の要人も、はじめてペリーと相対したとき、同じような気持ちだっただろう。彼のまわりにはなにか、常に人を寄せ付けないオーラが漂っていた。
パイプを咥えながら、タラップを下りてくるサングラス。「お前たちは敗者なのだ」と威圧するような風貌。様々な外交交渉をおこなってきた私ではあるが、その圧に押し潰されそうになることが度々あった。
戦争には破れたが、この男に負けてはならぬ。私は自分自身に言い聞かせ続けた。なんとしても、国益を守らねばならぬ。とはいえ、心が折れそうになることもある。はからずも、私は一国の首相になった。自分にできる精一杯の力をふり絞って、職責を果たそう...
外交交渉とは、いつもいつも、相手との腹の探り合いである。言葉だけでなく、相手の表情も読まねばならない。だが、彼はいつも、それを隠すかのように、サングラスをかけている。なかなか表情を読むことが難しい。
私は、昔から愛用している透明なレンズの眼鏡をかけていた。こちらも表情を悟られぬように、黒のサングラスにしようか、と思ったことがある。しかし、負けた身の上。こちらの誠意を伝え続けるためには、目元の表情が分かりやすい眼鏡のほうがよかろう。
彼と私との会談には、必ず通訳をつけていた。私の英語力を「国宝級」と褒めてくださる方は大勢いる。もちろん、通訳なしでも、一通りの意味は理解できる。しかし、たった一語でも取り違えると、大きな過ちにつながる。だから、国益と国益がぶつかり合う外交交渉の場では、必ず通訳をつけていた。
「しかし」と私は思った。「国益と国益がぶつかり合う」とはいっても、最終的な合意の場面では、「人と人とのぶつかり合い」である。彼と私は、長い間交渉を続けているうちに、「さしで」話したいと思うようになった。もちろん、彼の気持ちを通訳のいる前で尋ねたことはなかったが... ...。
(2)
常に衆人環視のもとにある私たちだが、阿吽の呼吸で、二人きりになる時間をもてる間柄になることができた。
「国益」ということを暫し忘れて、二人で語り合う時間は、貴重なものであった。
こんな事があった。
「幣原さん。あなたの英語は、決してアメリカ人の話す英語のようには聞こえない。しかし、日本人にしては、お上手です。どこで、その英語力を身につけたのですか?」とマッカーサーが尋ねた。
「ロンドン勤務のときに、英語の個人レッスンを受けました。その頃、寝る間も惜しんで、ひたすらシェイクスピアの暗唱をやらされたのです」とこたえた。
「そうですか。では、シェイクスピアの作品の中では、何が一番お好きですか」
「『ベニスの商人』ですかね」
(3)
私はこの時、マッカッサーのサングラスの隙間から、彼の少し微笑んだような目元を垣間見た。私は「チャンスだ」と思った。『ベニスの商人』第4幕の一節を諳じてみせた。
"The quality of mercy is not
stained,
It droppeth as the gentle rain
from heaven
Upon the place beneath...
「慈悲は強いらるべきものではない。恵みの雨のごとく、天よりこの下界に降りそそぐもの。そこには二重の福がある。与えるものも受けるものも、共にその福を得る。これこそ、最も大いなるものの持ちうる最も大いなるもの、王者にとって王冠よりふさわしき徴となろう。手に持つ笏は仮の世の権力を示すにすぎぬ。畏怖と尊厳の標識でしかない。そこに在るのは王にたいする恐れだけだ。が、慈悲はこの笏の治める世界を超え、王たるものの心のうちに座を占める。いわば神そのものの表象だ。単なる地上の権力が神のそれに近づくのも、その慈悲が正義の風味を添えればこそ... ...」
「プライム・ミニスター。いや、幣原喜重郎さん。あなたの英語は本当に素晴らしい。こんなに心をうたれたのは、久し振りです。いや、はじめてかもしれません」
私たちは、この時、はじめて声をあげて笑った。
また、新しい明日が始まる。
フィクションです。
シェイクスピアの引用は、シェイクスピア(福田恆存[訳])「ヴェニスの商人」(新潮文庫、p111)を用いました。感謝申し上げます。
(参考文献)
幣原喜重郎「外交五十年」(中公文庫)
Oxford," concise dictionary
of Quotations"
シェイクスピア(福田恆存[訳])
「ヴェニスの商人」(新潮文庫)
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