世界遺産 パリ 「セーヌ川クルーズ」大全
いくつかあるクルーズの選択は、天気にもよりますが、寒くなく雨が降ってなければガラス越しではなく、直に見てみたいものです。特に写真撮影となると青天井が必須です。そうなると限られますが、1949年創業の老舗、バトー・ムッシュ(Bateaux Mouches)は2階デッキがフラットで天井がありませんので、これに乗ることにしました。
パリの世界遺産は、意外にも一つだけです。ただし、「パリのセーヌ河岸」として登録されており、シュリー橋からイエナ橋までの約8kmが登録対象で、一帯の歴史的建築群がまるでタイムスリップしたテーマパークのような感じです。
これら一帯の歴史的建築群を効率よく見学するには、まずはセーヌ川クルーズです。乗り場は、アルマ橋の脇にあるスロープを下ったところです。
事前に日本でオンライン・チケットを購入してプリントアウトしていましたので、QRコードをかざすだけですが、うまく読み取ってくれませんでした。
ポケットに手を突っ込んで一見態度の悪そうな強面の係員(船会社の制服を来ていないので、乗客なのかよく区別ができませんが・・優しいお兄さんでした)に機械操作してもらいました。。チケットは予約制ではないので、いつでも乗ることができます。
丁度、団体旅行の観光バスが何台も到着したばかりで、乗船を開始した時には既に半分ほど席がうまっていました。
無事、端の席に着席できました。後で思ったのですが、周囲の人が立ち始めますので、反対側は写真が撮れないということです。船は往復しますので、端に座って片側ずつ集中して撮ることになります。
考え方によっては、窓の無い一階席の方が良いかもしれません。立つ人もいないし空いていますので、反対側は一切見えませんが、二階席で端っこが確保できないリスク(左右両側に人がいていずれの写真もまともに撮れなくなる)を考えると、写真撮影のためには一階が適していると言えます。
この建物はAmerican Church in Parisです。初めての国外にあるアメリカの教会のようです。日本の米軍基地にも当然あるはずですが、ここは第二次世界大戦時、アメリカ軍がパリを解放した時の記念なので、やはり最初なのでしょうね。アメリカ教会というだけあって、ティファニーのステンドグラスがあり、日本人のカップルも結婚式を挙げるようです。
最初に見えてきた建物はグラン・パレです。2024年パリ五輪の競技会場にもなっていましたね。
一つ目の橋は、1856年に架けられたアンヴァリッド橋です。彫刻は、まずは下流側に「海上の勝利」、橋をくぐり反対側の上流には「地上の勝利」の像があります。
橋の下では、子供たちがワーっ大声を出す番組を見たことありますが、何事かと思えば、声が反響するらしいのです。自分もワーっと思わず叫んでみたくなりましたが、あいにく大人ばかりで誰もそんなことをする人はいませんでした(^-^;
アレクサンドル3世橋は、パリで一番豪華で美しい橋と言われています。
橋の四隅の石柱には、金色の女神とペガサスの彫刻があります。
寄贈したのはロシア皇帝のニコライ二世。父親のアレクサンドル3世とフランス大統領サディ・カルノーとの友好の証として、1900年に開催されたパリ万国博覧会にあわせて建設、寄贈。鋼鉄製。
プティ・パレ(Petit Palais)が見えます。
この彫刻の下を通る瞬間の数秒で思ったこと。
何だかこの女性たち、いや女神でしょうか。脚が男性のように筋骨が非常にしっかりしています。
当時は乗り物など無かったので脚の筋肉が発達していたり、ギリシャ・スポーツで鍛えられた腹筋などが普通だったからでしょうか。
こんな素朴な愚問に自問自答しながら、アレクサンドル3世橋の下を過ぎて行きました。(^-^;
4女神は、それぞれ芸術、農業、闘争、戦争を意味しています。
コンコルド広場とブルボン宮を結ぶコンコルド橋は、ルイ16世の命により1787年に着工されましたが、その後のフランス革命により、襲撃されたバスチーユ牢獄の石も使われました。1791年に完成し、ルイ16世橋と名付けられましたが、その後革命橋、コンコルド橋、王政復古によりまたルイ16世橋になり、最終的にまたコンコルド橋に落ち着いています。
ブルボン宮殿(Palais Bourbon)は、ルイ14世の庶子ルイーズ・フランソワーズ・ドゥ・ブルボンによって建てられ、現在、国民議会(下院)の議事堂として使用されています。内部は普段は非公開ですが、年に一度のヨーロッパ文化遺産の日に公開され、食事の間や会議室、議場、図書館などを見学することができます。
コンコルド広場に立つオベリスクが見えます。このオベリスクは、エジプトのルクソール神殿から運んできたLuxor Obelisk(クレオパトラの針)です。なお、エジプトから贈呈されたもの。
ルーヴル美術館が見えてきました。
オルセー美術館とテュイルリー庭園を結んでいる歩道橋は、レオポール・セダール・サンゴール橋(Passerelle Leopold-Sedar-Senghor)、またはソルフェリーノ橋(Pont de Solferino)と呼ばれ、鋼製アーチ式です。
ソルフェリーノ橋とは以前ここに架けられていた橋の名称で、ナポレオン三世のソルフェリーノの戦いの勝利に因んでのもの。
現在の橋はかなり新しく1999年に完成。レオポール・セダール・サンゴールとは、セネガルの初代大統領の名前です。
ソルフェリーノ橋のたもとのカップル。女性が男性に足をのせていい感じです(^^♪
オルセー美術館の建物は、もともと1900年のパリ万博覧開催に合わせて建設されたオルレアン鉄道のオルセー駅。
19世紀美術を展示する美術館として改装され1986年、オルセー美術館が開館。
原則として2月革命のあった1848年から、第一次世界大戦が勃発した1914年までの作品を展示。それ以前の作品はルーヴル美術館、以降の作品はポンピドゥー・センターという役割分担がなされています。
バトー・ムッシュは30分おきに出発するので、サン・ルイ島から折り返して来た船と途中すれ違います。
ロワイヤル橋は、ルーヴル美術館とオルセー美術館をつないでいて、石造アーチ橋でポンヌフ、マリー橋に次いでパリで3番目に古い橋。設計したのはヴェルサイユ宮殿と同じ建築家マンサールで1689年に完成。
翌日、ルーヴル美術館に行く予定にしているのですが、数時間で全部観て回れるだろうと自信を持っていたものがもろくも崩れ去りました。こんなにも巨大であったことに驚くばかりです。
ルーヴル美術館と左岸国立美術学校を結ぶカルーゼル橋(Pont du Carrousel)は、珍しくコンクリート製で1939年に架けられました。カルーゼルとは騎馬パレードという意味で、1662年にルイ14世誕生を記念してパレードが行われたことに由来します。
カルーゼル橋の下を通過中のやや小型の船は公共水上バスのバトビュスです。移動手段としても利用でき乗り降り自由です。ガラス張りなので雨天にも寒い時にも利用できますね。
この船はバトーパリジャンです。乗り場はエッフェル塔近くのイエナ橋付近です。屋根があるので雨天には良いですね。また両側の席が確保できれば写真撮影もOKです。しかし、この便は非常に混んでいますね。
こちらのバトー・パリジャンは比較的空いています。団体客と重ならないようにしないといけませんね。
ルーヴル美術館の前をパリ・オープンツアー・バスが通ります。
フランス学士院(Institut de France)は、現在はアカデミー・フランセーズ(1635〜)、碑文・文芸アカデミー(1663〜)、科学アカデミー(1666〜)、芸術アカデミー(1816〜)、倫理・政治学アカデミー(1795〜)の5団体で構成されています。
ポンデザール橋(Pont des Arts)は、セーヌ川左岸のフランス学士院と右岸のルーヴル宮殿を結んでいて、ルーヴル宮殿はPalais des Arts(芸術の宮殿)と呼ばれていたため、Pont des Arts(芸術橋)とも呼ばれています。
現在の橋は1984年に架けられたもので、愛の南京錠で有名です。ごく最近からのことですが、恋人同士が永遠の愛を誓い、南京錠に二人の名前を書いて金網に取り付けて鍵をかけることが流行しました。
ところが錠の重さで2014年6月に金網の一部が崩れて橋が一時閉鎖されてしまいました。愛の重みは凄いということでしょうか。
シテ島の西端にあるヴェール・ギャラン公園が見えてきました。
この公園の名称が実に面白いです。直訳すると「女たらし公園、好色爺公園」という意味で、愛人の多くいたフランス国王アンリ4世のあだ名がそのまま公園の名前になっています。妾が56人もいたそうですが、日本にも徳川時代にオットセイ将軍と言われ55人も子供を残した女好きがいたようなので、どこの国でも同じなのかと。。。
大谷選手のホームラン数かと思ってしまいました。。
名称は別として、セーヌ川を眺めながら沈む夕陽を眺めるのは非常にロマンチックです。
滑り落ちるとそのまま一気に川まで行きそうでちょっと怖いかも。
ポンヌフは、ノートルダム寺院のあるシテ島の西端にかかる橋で、1578年に着工、1607年に竣工された、パリの現存最古の橋です。ポンヌフとは新しい橋の意味ですが、実はその逆です。400年以上も頑丈に耐えています。
ポンヌフ橋の彫刻が面白いです。人の顔のようでもあり、何か鳥か動物がミックスされた顔のようでもあります。ギリシャ神話に出てくるものでしょうか。
ふと仮面ライダーを思い出しました。仮面ライダーはご承知のとおり、人間とバッタが掛け合わされたものです。同じ発想が中世の人にもあったのでしょうか。
船はシテ島の南側を進みます。車と同じ右側通行ですね。サン・ミッシェル橋( Pont Saint-Michel)は、シテ島と左岸を結ぶ橋で1857年に建設されました。Nマークはナポレオン三世のNです。
ノートルダム大聖堂が近づいてきました。ゴシック建築を代表する建物でシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂。「我らが貴婦人」の意味で聖母マリアを指します。ナポレオン・ボナパルトの戴冠式が1804年12月2日に行われた場所でもあります。
2019年4月15日夜に大規模火災が発生し尖塔などを焼失しましたが、今年12月8日に一般公開が再開される予定です。
その手前にかかる橋は、左岸をつなぐプティ・ポンです。小橋という名前の通り短い橋で1853年建造。
赤茶色の橋は、ドゥブル橋(Pont au Double)です。
ドゥブル橋の意味は英語ではダブルで2倍の意味です。何が2倍かというと通行料が2倍だったとか、2ドゥニエ必要だったとか諸説あるようです。
この橋は病院につながる橋で、私有地のようなものだったことから有料でした。橋の名前から歴史が伝わってとても興味深いです。
ノートルダム大聖堂の横顔です。横や後ろ側からも壮大ですね。1225年に完成したものです。
船上では、この辺りから興奮して立っていた御仁たちも疲れて着席し始めました。
アルシュヴェシェ橋(Pont de l'Archeveche)は、パリでもっとも狭い橋です。アーチの高さも低く船の航行が大変のようです。1828年築の石橋。
アルシュヴェシェとは大司教館という意味でかつてこの辺りに大司教館があったとのこと。この橋にも南京錠がいっぱい飾られていました。
シテ島とサン・ルイ島を結ぶサン・ルイ橋。鋼鉄製、1970年建造。
トゥールネル橋の塔が見えます。パリの守護聖人である聖ジュヌヴィエーヴ像です。橋の名前は、12世紀ここにフィリップ2世の城壁の見張り櫓tourelleが建っていたことに由来します。
シュリー橋(Pont de Sully)は、サン・ルイ島の先端にかかる橋で、左岸はアラブ世界研究所、右岸はバスティーユ広場につながるアンリ?通り上の橋です。鋳鉄製、1876年建造。
鋳鉄は枠組みだけで、道路は木でしょうか。
ノートルダム大聖堂は後ろ側からの方が威厳を感じます。
マリー橋(Pont Marie)は、パリで最も古い橋の一つで1635年建造。橋の上には住居やお店があり、洪水の度に流されたようです。
他の橋にも同様に住宅や店舗があったらしいですが、これは日本人にはちょっと理解不能です。橋は人や馬が通るものであり、住居が建つと道が狭くなります。それ以上に、洪水で流されるのに何故わざわざ家を建てたのか、当時はいくらでも土地があったはずなのにと考えてしまいますね。
露天商の規模がだんだんと大きくなり、納屋を建て、ついでに住んでしまえ、となったのでしょうか。
ルイ・フィリップ橋(Pont Louis-Philippe)は、元々王の即位記念で名前が付けられたものです。
ナポレオン失脚後、1830年の7月革命(ドラクロアの自由の女神で有名)によって一旦王政が戻りました。現在の橋は1862年建造のもの。
ルーヴル美術館に似た屋根はパリ市庁舎(Hotel de Ville)です。現在の建物は1892年に再建されたものです。
アルコル橋(Pont d'Arcole)は、シテ島と右岸のパリ市庁舎をつなぐ橋で、1856年建造。名前の由来は、フランス7月革命でここに倒れた若き共和主義者の名前であるという説が有力のようです。
セーヌ川にかかる橋の由来を知るだけで、フランスの歴史が断片的ですが学習できてしまいますね。
ノートルダム橋とその向こうに見えるのは、パリの商事裁判所です。
ノートルダム橋は、元々ローマ時代大橋(グラン・ポン)と呼ばれていました。ノートルダム橋に変わったのは、1413年で、橋の上には美しい家が建ち並んでいたそうです。現在の橋は、1914年の鋼鉄製です。橋の上に建つ家を見てみたいものです。
パリの商事裁判所の建物は、時々学士院と間違えます。この丸窓は、なんだか海洋の乗り物のようで、思わずTDSの海底2万マイルを連想してしまいました。
シャンジュ橋(Pont au Change)は、名前を英語読みすると、チェンジです。つまり、この橋には両替商があったため、この名前となりました。Nマークはサンミッシェル橋と同様、ナポレオン三世を意味しています。その向こうに見えるおとぎの国の城みたいなのがコンシェルジュリです。
コンシェルジュリー(Conciergerie)は、最初は王の宮殿として建てられ、10世紀から14世紀にかけて使用されましたが、1370年に牢獄として使われるようになったようです。
門衛をコンシェルジュと呼んだものが、いつしか建物自体をコンシェルジュリーと呼ぶようになった由。
マリー・アントワネットが処刑される前に2か月半過ごした独房が観光スポットとなっています。
ポンヌフまで戻ってきました。国王アンリ4世の騎馬像があります。
ヴデット・デュ・ポン・ヌフ (Vedettes du Pont-Neuf) の乗り場はこちらです。
学士院とポンテザール。南京錠でいっぱいです。
青い船は、Le Calife。ディナー・クルーズ船です。パーティ等で貸し切りもできます。
オルセー美術館が見えてきました。
オルセー美術館の時計の内側からモンマルトルのサクレ・クール寺院が見えるようです。
バトー・ムッシュとすれ違います。
お互い手を振っています。
ブルボン宮の向こうにエッフェル塔が見えてきました。
バトビュスがすれ違います。
Vedette de Parisがすれ違います。
エッフェル塔の第3展望台で、276mです。
緑の橋は、アルマ橋(Le Pont de l'Alma)です。
クリミア戦争のアルマの戦いにちなんで命名されました。現在の橋は鋼鉄製で1974年建造。
ドゥビリ橋(Passerelle Debilly)は、1900年の万国博覧会のために架けられたものです。
歩行者橋で、ナポレオン時代にイエナの戦いで戦死したジャン・ルイ・ドゥ・ビリーの名を取ってドゥビリ橋と名付けられました。
バトー・パリジャンのディナークルーズ船です。
イエナ橋(Pont d'Iena)は、1806年のイエナ・アウエルシュタットの戦いの勝利に由来します。橋の四方に4体の彫刻が据えられています。
ビル・アケム橋 (Le Pont de Bir-Hakeim) は、旧名をパッシー橋 (Pont de Passy) といいましたが、第二次世界大戦で自由フランス軍がドイツ軍と北アフリカ戦線(リビア砂漠)のビル・アケムで戦ったことを記念するために改名されました。
1906年完成。二層構造で一階が歩行者、自動車用。二階部分にはメトロ6号線が通っています。因みにパリの地下鉄メトロが最初に開通したのは1900年の万国博覧会の時です。
下流側には、「科学」「労働」を象徴するレリーフ彫刻が飾られています。
そろそろ接岸です。
世界遺産「パリのセーヌ河畔」に所在する歴史的建物とセーヌ川に架かる橋の由来を通じて、パリの地理や歴史を概括的に把握することができました。
クルーズの所要時間はわずか1時間で、非常に効率的に学習できたおかげで、その後の移動や街の位置関係の把握に大変役立ちました。
もしこれから初めてパリに行かれる方は、これを読み終えて十分な事前学習ができたと思います。全く知識なしでクルーズ船に乗るのとでは大違いだと思いますので、ぜひ楽しんで行ってきてくださいね。
クルーズで見られなかった他の主要な観光スポットは、サクレ・クール寺院、凱旋門、ベルサイユ宮殿、美術館等の館内見学になります。
このあとセーヌ川に沿って観光しながら、一旦ホテルに戻り、陽が落ちてから夜景散策に出掛けます。
To be Continued
最後までお付き合いいただきありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしています。
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