一万回のコンプレックス
1万枚くらい自分の写真を撮ったら
見えないものが見えてくる。
コンプレックス、とか
そういうわかりやすいもんじゃないものが見えてくる。
1万枚くらい自分の写真を撮り続けてから
「写真うつりが悪い」って言って欲しいわぁ。
わたしのことですけどね。
大体の人は
数百枚撮ってなんか違う、で
写真嫌いになる。
数枚撮って
その中の自分が嫌になって
写真嫌いになる。
わたしは成人式の前撮りがどすこいすぎて
傷ついたタイプですが
ほんと昔から極端で。
そこから
写真の仕事をするようになって
写真写りを学ぶため
写真嫌いを克服するため
どんな時も自分の写真を撮ってきた。
が、
1万枚撮っても、
ポージングやら研究しても、
プロに撮ってもらっても
わたしの写真うつりはよくならなかった。笑
もう、「それ」がわたしなんだろうなと。
コンプルックスの言葉を借りるなら
「歪曲」させて心に届けてるのは自分。
写真には、事実がうつる。
写真にうつるブスなあなたは
残念ながらあなたの一部です。
否定したから
見ないふりしたから
なかったことにはできないし
自分の中が穴だらけになっていく。
ほんとの意味で
それをずっと認められてなかったことに
ようやく気づけました。
ずっと
見てるようで
見てなかった。
こっちはいい、こっちはダメ。
そんな選別を繰り返しては
自分の一部を捨てたきた。
それを、写真にうつる事実を
捻じ曲げて受け取り続けて20年。
何になった?それ。
ハンドパワー🫱🤩🫲
とか言ってる場合じゃないよ。
自分の価値観が
浮き彫りになってきた。
20年かかるかー。
視野の狭さ。
ひとつ「こう」だったらすべてを「そう」みる偏った世界観。
美しいものは正義。
醜いものは悪。
わたしを脅かすもの。
存在価値を決めてしまうもの。
そんな戦いを
ずっと繰り広げてきたんやな。
おつ。
自分のことが大好きで
しあわせでいてほしくて
というかそうでない自分はおかしい!!
そんな思いで生きてきた。
だけど
目に見えるわかりやすい「見た目」に惑わされて
「わたしはしあわせにはなれないんだ」
「劣っている部分があるから、ダメなんだ」
そんな呪いを
自分にかけ続けた。
一点の曇りもなく
完ぺきでいたかったんだよね。
完ぺきに美しくありたかった。
許せなかった。
そういう高みに挑む過去の自分を
とても愛しく思う。
何も間違ってなかった。
めちゃくちゃ人間楽しんでるよな。
それで得られたものって
どれだけあるのか。
わたしだから、
得られた豊かさ。
溢れ出したそれを
周りの人たちに
分けていくことが
これからやっていくことなんやろうな。
そんな自分に気づいて
これからますます楽しいことに。
美しさは、
未来への光。