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#54 「カレーと人間のニューノーマル」について語ろう(『カレーZINE Vol.2』刊行記念イベント)

カレーが産声を上げたのがいつのことなのかは、カレーというものの境界線をどこに置くかによって変わってくる。ポルトガル人がドラヴィダ人とふれあい、「curry」という言葉が生まれたタイミングがカレーの誕生なのだろうか?イギリスによってカレー粉が生み出された瞬間?もしくはカレーの概念とカレーパウダーが日本に取り入れられたとき?

いや、もっとさかのぼってみて、こうは考えられないだろうか。人類がかつて、料理という営みを始めたとき、土器で貝や肉を煮たり、焚き火で食物を加熱するようになった。当初、そのような行為は生存のために行われ、飢えた腹を満たすためのみを目的として行われていたはずだ。しかし、そのうち暮らしに余裕が出始めると、食べられるだけでなく少しでも美味しいものを追求するようになる。例えば、川原に生えていた香りのよい草だったり、刺激的な味のする種を混ぜ合わせたりする。

そういうスパイスは最初は食欲を刺激したり防腐効果をもたらしたりする「役に立つ」薬用植物であったかもしれない。ただ、有用性から離れて純粋に「遊び」として様々な香りの組み合わせを楽しむ、ということも始まっていたはずだ。そういう暮らしの中の「遊び」がスパイスを生活に取り入れるということであり、ゆくゆくはカレーという文化に発展していったのではないだろうか。

カレーは人間とともに発展してきた。いや、人間がカレーによって発展してきたのかも知れない。カレーという大きなうねりを作り出しているのは本当に人間なのだろうか。それとも、人間はカレーという大きな恐ろしい生き物に、コバンザメのようにくっついて生きているだけなのだろうか。

カレーと人間とのあり方は、ここ1年半ほどで大きく変わった。我々は、今までのように人が密集する状況でカレーを作ることがなくなったし、以前のように気軽にカレー店に訪問してカレーについて語り合うようなこともできなくなった。

しかし、制約が逆に新たなものを創り出すこともあるということをまさに身を持って体感することにもなった。自然と触れあえなくなった人々はキッチンの中に小さな自然を作り出すために今まで縁がなかったスパイスを生活に取り入れ始めた。テイクアウトや冷凍カレーの販売を始めたお店も増え、こちらから出向かなくてもカレーの方からやってくるようになった。

『カレーZINE』もそんな制約の中で生まれた本である。もともとは一度きりの対面企画だった哲学対話イベント「カレーのパースペクティブ」がコロナのせいで逆に場所の制約がなくなり、多くの人を巻き込んだ連続企画に発展することができた。その成り行きで、寄稿者を集めてスピンアウト的にZINEを制作することになったのだった。

ヒリヒリした先行きの見えない日々の中、カレーに導かれるように物事がひとりでに展開を見せていく。やはり人間に自由意志なんてなくて、人間はカレーの乗り物にすぎないのではないか、とそのころ思い始めていた。

当時は初めての緊急事態宣言発令直後であり、みな時間を持て余していた。不安と退屈をぶつけるように、またたく間に原稿が集まった。荒削りで、どこに需要があるのかもわからなかったが熱い思いだけはありったけふりかけて、勢いをたもったまま『カレーZINE Vol.1』は完成した。レシピも食べ歩き情報もほとんど載っていない。「心のカレー」だったり「カレーの旅」をトピックに、自由に連想されることを綴ってもらった。思い思いにカレーのことを見つめるだけの奇書は「スピード感がすごい」などという高評価(?)をいただくことができ、部数なんて微々たるものだが、刺さる人には深く刺さったのだと思う。

そこから紆余曲折を経て、調子に乗った我々は今年の4月に『カレーZINE Vol.2』を刊行した。相変わらずレシピも食べ歩きも乗っていない奇書であるが、カレーというものをそれぞれの距離感から見つめている。今回は2回目ということもあり、人選にも装丁にもこだわり抜いた、物質としてよいものに仕上がったと思う。

テーマは「カレーとニューノーマル」。何のひねりもないタイトルだが、日常は簡単にひっくり返って、普通もどんどん変わっていく。それでもカレーはいつも変わらずある。

そこから紆余曲折を経て記念すべき9月30日クミンの日、なぜか下北沢の本屋B&Bさんで刊行記念イベントを開催させていただけることになった。本当にカレーに導かれるまま準備を進めてきて、あっという間に前夜となってしまった。どういう事情『カレーZINE』を店頭に置いてくれることになったのかわからなかったのだが、B&Bのカレー担当舟喜さんのInstagramの投稿を見て少し目頭が熱くなった。勢いのまま作った半分自己満足の粗削りのものだったが、それでも届く人には届いて、生きる上でのささやかな助けになってくれたのだと。


明日は『カレーZINE Vol.2』刊行記念イベント!

そんなこんなで明日は佐々木美香さん、タケナカリーさんとカレーについて過去、現在、未来の視座から縦横無尽に語り合います。

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内容は三部構成になっており、それぞれに寄稿していただいた文章を元に、問いかけを交えながら対話を繰り広げていきます。


対話①「今から百年後、君はどんなカレーを作るのか」

・ダッカ大学にステイした際のベンガル料理の思い出
・女子学生がパーティーで田舎のお母さんに電話しながら作ってくれたビーフカレー
・教授の家のお手伝いさんの台所仕事の話
・高熱を出した際に食べたキチュリ
・STAYHOMEのなか、今は会えない人を思い出しカレーを作ること
・タゴールならきっと、「今から百年後、君はどんなカレーを作るのか」と言っただろうか


対話②「カレーという冒険」

・日本におけるカレーの生態系について
・現地のレシピに忠実に作りたい「再現派」とアレンジしたい「表現派」の共存
・型を守る人と、型を破る人のバランス
・コロナ禍における「不要」と「不確実」の区別を混同してはならない
・「不要の選択に疲弊し、不要を名目に不確実の海に飛び込まなくなった」
・角幡唯介による「冒険」の定義:危険性、主体性、無謀性の重なり→ 「不確実な現在に対する冒険」としてのカレー
・現在のカレーは先人の冒険の結果生まれたもの


対話③「カレーは我々を利用して繁殖している」

・「ミーム(meme)」(リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』 )
文化を形成する情報。生物の遺伝子のように、コピー/増殖していく。
・カレーミームの特異性:カレー作りの「発症者」になる様々な道
・幼少期から「カレーキャリア」となり、あるきっかけで発症する。
・カレーを直接食べることによる「経口感染」
・最近ではオンラインでの「空気感染」も
・ネットやSNSでカレーミームに触れる機会も増加
・カレーに突き動かされるように生きてきた人生


視聴はこちらから。まだ間に合うよ!
最後に、重大発表も一つありますのでお楽しみに。


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カレー哲学|東京マサラ部
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