高円寺はなぜ「日本のインド」と呼ばれているのか。大江カレーさんに聞いてみた #高円寺印度化計画
高円寺はなぜ「日本のインド」と呼ばれているのか。「高円寺×インド×カレー」をキーワードにしつつつながりの深い人のところを辿りながら、高円寺をもっとインドにするにはどうしたらよいのか考えていく。
今回は高円寺で人気のカレー店である「大江カレー」さんに、なぜ高円寺でカレー店を開業したのか、またどのような考えで日々のカレー作りに向き合っているのかを聞いてきた。
大江カレーはJR高円寺駅から南口へ数分歩いたところ、古着屋が多いエリアに位置している。赤レンガ風の趣のある建物で、カウンターで5席程度、奥に2席程度のごく小さな箱で営業されている。
大江カレーのレシピは開店当初から何度もレシピが変更され、上書き保存されている。初めて訪問した時、その場でもう一杯おかわりして食べたのはいい思い出だ。
カレーはチキン・魚介・野菜の3種類から選べ、魚介と野菜は毎週内容が変更される。
今回食べたチキンカレーはわからない程度にココナッツミルクが足され、ニンニク生姜の量のバランスも変更されていた。そういった地味なアップデート、いわゆる「ジミヘン」を日々繰り返しているのも大江カレーさんの特徴だ。
「高円寺は日本のインド」と呼ばれていることに対してどう思いますか?
「20年前くらいからしか知りませんが、昔の高円寺にはカレー屋さんは別に多くなかった。なので、『高円寺は日本のインド』というのはカレーからスタートしているわけではなく、漠然としたカオスな街の状況を指して言っているのかもしれないですね。概念としてのインドというか。あと、確かに大槻ケンヂの影響はあると思うんですが、あの曲は実は高円寺だけでなく中央線カルチャー全般について歌っている曲なんじゃないかな」と大江さんは考察する。
確かに、「日本印度化計画」の歌詞には高円寺以外も登場する。ただ、あまりにキャッチーなので筋肉少女帯を知らなくても「高円寺=インド」のイメージが染みついてしまったのかもしれない。中央線沿線に住んでいるヒッピー世代のミュージシャンも多かったため、そのイメージも影響している可能性もある。
カレー屋を開業してから高円寺に対するイメージが変わった
開店の経緯
大学で写真を専攻した後、大江さんは新宿の画材屋、「世界堂」に就職した。職場の先輩によくカレーを作る人がいて連れて行ってもらったのが新宿にあるカレー店の「草枕」。
「外食でスパイスから作ったカレーというものを食べたのはその時が初めてだったので新鮮な体験でした。玉ねぎがたくさん溶け込んでいる草枕のようなカレーは今まで食べたことのないタイプで、直感的に『舌に合う』と思ったんです。」
勤務先から近かったこともあり、大江さんはランチでお客さんとして頻繁に食べに行っていたという。その後世界堂を辞めカメラマンのアシスタントとして沖縄でしばらく生活した後に、独立を前提として草枕で働き始めることに。
「カレーは食べるよりも作る方が好きで、これから何をしていこうかなと思った時に真っ先に思い浮かんだのがカレーでした。実家がケーキ屋ということもあり、飲食店の勘所というのはなんとなくはありました。生々しい話ですが、今後食っていくためにまず大好きなカレーをやってみようかなと」
草枕では従業員の独立を支援しており、同店出身のカレー店も多くある。大江さんも数年働いたのち、空き店舗を探しながら間借りカレー「ロマンセ」の試験営業を開始して腕試しを始めた。今の店舗で出しているカレーも、間借り時代に開発したカレーのレシピが元になっている。
音楽ライブが好きでよく遊びに行っていたこともあり高円寺と下北沢の二択に絞って店舗物件を探していたところ、縁があったのが今の店舗だった。
高円寺で飲食店をやるなら2年は耐えてください
開店してすでに4年目になるが、営業しているうちに高円寺の客層の意外な姿がわかってきたという。
お店を始めた時に地元の方に言われた「高円寺で飲食店をやるなら最初の2年は耐えてくださいね」という言葉が印象的だったと大江さんは語る。尖ったものや新しいものが受け入れられやすいイメージがあるが、地元の客層は案外保守的で、普通すぎても特殊すぎても難しい街だとわかった。
「地元の人たちにとって『カレー』といったらまずはタブチやタロー軒のような老舗のお店になる。高円寺で他のカレー屋さんを知らないというお客さんもたまにいるので、カレー屋はまだまだ伸び代があるはずです」
営業を続けるうちに、メインとなる地元のリピーター客層に合わせて一皿のボリュームを増やし辛さを控えめにするなど、カレーの内容も徐々に変えてきた。新進気鋭のスパイスカレー屋というより、どちらかといえば老舗のカレー屋さんに並べるような仕事を意識してやってきたという。
カレー作りに対する基本的な考え方
うちのカレーは「イカ飯」
カレー作りに関してはどう考えているのか。カラフルなスパイスカレーや副菜がたくさん乗ったミールスが全盛期の時代に、大江さんはなぜ「カレーライス」を突き詰めたようなシンプルなカレーを提供し始めたのだろうか。副菜もごちゃごちゃ乗せず、カレーで日本米を食べさせることに特化したボリューミーな一杯は、とても潔い。
草枕とエチオピアにいたこともあり「ご飯とカレー」が基本的にセットだったということもあるが、3年前流行っていたスパイスカレーのお店と同じ世界観でやりたくなかった、というのが大きな理由だ。「他のお店の真似はしたくなかったので、露骨なくらい逆方向にしたかった」というところに大江さんの反骨精神が垣間見える。
「日本人はおかずがたくさん乗ったミールスみたいな幕の内弁当が好きだけど、うちのカレーはどちらかというとイカ飯とか鰻丼のイメージ。一品で食事が完結して、ガッツリご飯を食べさせるようなものが好きなんですよね。外食も中華料理で一品ものとご飯ということが多いです」
日本の食材でインドカレーを作る
確かに見た目と方向性は地元の方に愛される昔ながらの「カレーライス」としてまとまっている。「地元の人たち向けにやっているからマニアの人にはどう思われているのか少し心配」だと語るが、そのルーツにあるのはあくまでインド料理。スタートはインド料理でありながら、日本のご飯に合わせて食べる前提でレシピを組み立てている。大江さんは、インドカレーだからといって無闇にインドの食材を使うのも違うと考える。
「当たり前ですが、インドも土地によって気候も違うしカレーも違う。だとしたら日本でもその土地でとれる材料を使うのが自然だと思います。マトンカレーは作らないのか、と聞かれることもあるんですが、マトンには日本の食材というイメージがないし、メイン客層からずれてしまうので使っていない。青梗菜と筍や旬の魚だったり、日本で普通にとれる食材でカレーを主に使っています。魚介カレーはカレーというより『魚の煮物』を作るようなイメージ。」
高円寺はまだインド化する余地を残している
最後に、高円寺をもっとインドにするためにはどうしたらいいと思いますか?と質問してみた。
「カレーというか、インド料理のお店がもっと増えていったら楽しいなと。意外と現地志向のお店がないので。実はあまり被っているカレー屋はないので棲み分けはされているし、カレー屋さんが増えても競合にはならない。デパートとかで、同じジャンルのお店が固まっている方が集客しやすいのと一緒だと思います」
高円寺に本格的にカレー屋が増え初めてから実はまだ5-6年。何気ない小さな八百屋さんが創業70周年だったりする歴史の深い街なので、ラーメン屋や天ぷら、街中華など長年続いている老舗は地元に溶け込んでいる。「高円寺のカレー」といえばタブチ、タロー軒などの老舗のカレー店が先にイメージされ、まだまだ新しいタイプのカレーは街に浸透していない。
個性的だけど最新ではない街、それが高円寺。東京で独自のカルチャーが育った街はいくつもあるが中央線カルチャーはその中でも特殊だ。中央線沿線では遊び場と住む場所が近かったおかげで、人々が夜な夜な集まり文化を育むサロンとなるような喫茶店や場所がたくさん存在した。高円寺も同様に、そウヤってカルチャーが育まれたという歴史がある。
そう、高円寺はまだまだインド化する余地を残している。
2023年夏から高円寺印度化計画を徐々に進めていきます。前回は高円寺のカレー屋さん「かりい食堂」さんにお話を伺いました。
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