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大学院生をやるということ・京都で暮らすということ・料理について人類学的に研究すること #カレーだいしゅき手記

京都で約3ヶ月の大学院生をやってみて研究計画もひと段落つき、この後やりたいことがなんとなく決まってきたので「大学院生をやるということ」、「京都で暮らすということ」、「料理について人類学的に研究すること」に関して雑に書き散らしてみたい。

大学院生をやるということ

最近、ある人類学者が30年前に書いたフィールドノートやメモを頼りに研究の材料にしているというものを読んで「なんて几帳面な人なのだ…」と思った。いや、研究者に求められるのは頭の良さとかではなくて、そういったきめの細かさ、マメさ、粘り強さ、正確さだと思う。メモの取り方の技術や脳みそのメモリの問題もあるだろうが、自分にはそういう芸当は厳しい。どちらかと言えば書くことは辛いことだし、すぐに何に関するメモなのかわからなくなってしまう。

大学院生というのはフィジカルには端的にいって会社員よりもブラックだが、精神的には辛くない。自分のやりたいこと(少なくとも意味を見出せていること)に全力で没入でき、周りもそれも応援してくれるというのはとても幸せなことだと思う。

4月からガラッと生活が変わった。京都の生活はシンプルだ。毎日チャリで爆走して大学に行き、授業に出て、並行して自分の研究を進める。この2ヶ月半の間に自身の研究計画についてゼミで3回発表させられたが、そうやって不完全だろうとなんだろうと締切を区切られ、無理してでも強制的に前に進めていく。これこれ。これこそが人間社会だ、と思う。

研究というのもやはり一種の仕事であって、それなりのコミットと説明を日々求められるのだが、会社の仕事とは全然違う。やりたくないことはやらなくていいが、もし自分が死んだら自分の研究を代わりにやってくれる人はいない。金銭的な保証も将来の展望も何もない。

この前、研究機関に属さずに在野研究を続けている人たちの本を読んだ。組織に属そうが属さないが、研究をする上で大切なことが書いてある。

「研究」という言葉自体はどんどん軽率に使った方が良い。形から入ってとりあえず「カレー研究家」を名乗るのも、それはそれでいいと思う。ただ、大学院に入ったことで一気に文献へのアクセスや環境が良くなったことを実感している。地域研究の大学院なので大抵の人の関心領域は食べ物ではないのだが、今まで読めなかった文献に容易にリーチできるようになった。

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