【教養ペディア】①「共産主義」とは?
共産 意味 共産主義とは?
参院選を前に各党の公認候補状況を確認しようと、Google検索をしていたときのことです。自民党の三原じゅん子氏やSPEED今井氏を確認し、共産党の番となりました。「共産」と入力した途端、いつもの検索候補がたくさん出てきました。
Googleが収集した膨大なデータに基づく候補キーワードです。要するに、<いま><多くのひと>が、《 》(←このキーワード)を検索しているのです。Google検索を行うと、検索ボックスの下や、Webページの最下部に現れます。
この推測検索ワードは、眺めているとなかなか興味深いものです。ひとびとがなにに関心を寄せているのか、<いま>が分かったような気になります。
共産……と検索ボックスに入力して、スペースを入れた途端、自動的にあれこれの過去に検索された語や文が出てきました。「共産 意味」、「共産とは」など。国政の影響で、おそらく若い人が、「共産党」や「共産主義」について、知りたいと思っているのでしょう。
最初、「共産 意味」にぎょっとしたものの、時代は変わり、世代も交代、学校でも習わないのでしょうから、<おとな>たちが教えなければなりません。
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<ココ!>「共産」とはなにか?
「共産」とは、文字通り、<共同で生産する>ことです。
いまでも、自動車メーカーや家電メーカーでも、共同で、自動車やテレビ、冷蔵庫を共同で汗水流して組み立てているではないか、と言われるかもしれません。
部品を造る町工場から、各パーツを組み立てる直系の工場、それらを売る販売店まで、たくさんのひとが働いています。でも、それは「分業」であって、「共同の生産」ではありません。
近代以降の経済では、<誰/何が><誰/何を使って><誰/何を生産する>のか? このことをしっかりと踏まえなければなりません。
生産する主体<誰/何>は、<資本>。生産されるものは<富(カネ)>です。<資本>が<富(利益)>を生産します。
自動車やテレビは、<富(利益)>を生み出す道具です。自動車やテレビの部品を造ったり、組み立てたり、セールスしている人びとも同じです。窮極の目的は、いつでも<富(利益/カネ)>を生み出すことです。
<資本>とは、まず(1)<カネ>であり、(2)利益を生み出す商品=道具を製作するための機械や設備類です。(2)は、難しい用語では「生産手段」ともいいます。
各部門、分野、ツリー状の下請けや元請けの段階で働いている人びとも、そこに含まれます。
カネ(1)がなければ、(2)生産手段を用意できません。雇用もできないし、雇用した者に給与を支払うこともできません。
商品を売ると富(カネ)が入ります。設備や給与の精算をして、なおあまりが出ます。利益(利潤)です。生まれた利益(カネ)は、A)資本に追加され、資本がますます大きくなる、B)一部は税金として国など行政に収められる、C)上記「精算」の手数料。
いや、雇用されている者は、道具ではない。機械と同じ生産手段ではないと資本主義のあり方を批判したのが、19世紀ドイツ国籍の哲学者カール・マルクスです。
給与で雇われている者は、自らを自動車やテレビの商品と同じように、身心と時間を労働力商品として売っている。これだけが、被雇用者の唯一の財産(資本・資源)であり、オフィスや工場で働いている時間だけではなくて、家でも街でも日々、<働ける状態>の身心を維持(再生産)するため、食べて、寝て、家から生活用品、食品までを揃えて、唯一の資源となる自分自身、労働力商品を養っている。それなのに、「給与」として戻ってくるのは、オフィスや工場で働いている「時間」により計算された分だけだと、近代の市場経済システムを批判しました。
利益と(全従業員)給与の総体との間に、税金の上納だけではなくて、(i)雪だるま式で増えてゆく「資本」の増加に回る分(企業の資本金、内部留保)、(ii)事業(企業)を始めた個人資産家や株主、投資家たちが利益から手にする富(カネ)の差がある。富が差し引かれているので、被雇用者はいつまでも貧乏なんだというわけです。
だから、<生産手段>(設備や労働力、販売経路)を自分たちで<共同で所有>すればよい。<資本>を働く者たち自身で共同所有すればよい。<共同で生産>して、相応の富の分を<自分たちの間で分配し合う>。これが共産主義です。
19世紀という文脈もあり、理想主義的にすぎると思う人もいるでしょう。
共産主義や共産党は、暴れて秩序を乱す、おっかなくてあぶない輩だと思う人もいるでしょう。
実際に、マルクスが唱えた<生産手段を自分たち働く者たち自身で所有する>、<生まれた富を自分たちで分け合う>という「共産主義」は、歴史上まだ実現されたことがありません。
<生産手段を自分たちで所有する>には、まだ早い、われらエリートがひとまずは預かる。「前衛党」といわれましたが、マルクス主義を目指した国々は、ことごとく、この中途段階の社会主義で終わり、独裁国家となり、秘密警察による取り締まりが行われ……と残念ながらなってしまいました。ソ連がそうだし、共産党独裁資本主義国家となる以前の中国もそうでした。
フィデル・カストロとチェ・ゲバラが切り拓き、信念を貫き、腐敗に陥らないリーダーをもったキューバもそうです。
偉大な先導者を失うと、各国は迷走します。ホー・チ・ミン以降のヴェトナムなど、ましな方に思われます。
しかし、共産主義は見果てぬ夢に終わったと斬り捨てることはできないでしょう。いま、グローバルに市場が拡大し、もはや先進国vs.後進国(発展途上国)という図式も失われ、利益を独占する術を各国が失っています。儲ける者(国、企業、人)がいれば、必ず損をする者がいる。植民地時代が分かりやすいですが、安く買って、高く売る、これが経済の鉄則です。市場がグローバルに統一されれば、もうそれは賭場と変わりません。誰が貧乏くじを引くのか、各国が血眼になり、なりふり構わずに利益を争っています。資本主義の断末魔は、かつての先進諸国各国内の社会にも響き渡っています。
「働けど、働けど……」。日本も「もはや戦後ではない」から「また戦前かよ」と一気に時代が反時計回りした感があります。
こうしたなか、資本主義・市場経済を保管する改良や、代替となる経済システムを考え出すように迫られています。
その際に、マルクスが分析した資本主義の問題点は、いつでも考えるヒントとなるはずです。
ちなみに、「共産主義」は、英語では《communism》コミュニズム、《common/commun》共同・共用、《community》共同体といった意味が込められています。共同で生産し、共同で富を分配するからです。
20歳代の若者を中心に、助け合いながら、自分が造りたいものをつくり、売る。オーガニック・カフェ、農家のごく一部、観光地や商店街の青年団の一部など、すでに市場のお仕着せから逃げて、工夫し、苦労はしても心を満足させながら生きているひとびとも出てきているようです。彼女、彼らは、おそらくマルクス主義も共産主義も、自分とは縁がないものと思っていることでしょう。意識したことすらないかもしれません。
(原閑)
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蛇足
ついでなので、もうひとつ誤解を取り払っておきましょう。
彼に右翼=資本主義・市場経済・競争主義
左翼=共産主義・社会民主経済(社会保障)・再分配重視
とします。
右翼は、政治的にもナショナリズムであって、対外強硬路線、
左翼は、平和外交、「自虐史観」云々、
という誤解が、いまの日本で蔓延しています。
これは戦後日本(や米国史)の特殊事情に過ぎません。
ソ連や中国ほどの、ナショナリズム国家、対外強硬でいえば小国キューバだってそうです。
1955年以降、日本社会党は「憲法9条を護る<護憲政党>」、かつての日本共産党や公明党もと、左翼に分類される政党が、日本では平和外交路線であったのはたまたまに過ぎません。「改憲」を党是とする自由民主党が、同時に「対共産主義運動」(レッド・パージ)の最前線であったことと無関係ではないでしょうけれども。
それでも、どこの政党が、より売国奴でないのか、どこの政党、どの政権が売国奴なのか、「自虐史観」が嫌いなひとこそ、どの政党が一番韓国と仲良しなのか、など検討した方がよいと思います。
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