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(閑話)発車メロディと学生時代の思い出

こんにちは。

えーっと、コロナになりまして、先週と今週は自宅隔離されることに。ということで、(やるべきことは他に山ほどありますが)とても暇で暇で仕方ないので、音と記憶について、モニョモニョと書き連ねます。

音楽と記憶

唐突ですが、音楽って記憶とものすごく結びついていると思うんですよね。特に、感情とか、感覚とか、そういう、言葉にしにくい部分の記憶と密接に繋がっている気がします。

例えば、あるアニメのOPを聴くと、リアタイで視聴していたときのエモがよみがえってきますし、あとは、とても個人的ですが、お風呂が沸いた音(ノーリツのやつ)を聞くと、実家で家族とともに暮らしていた頃の感覚を思い出します。どちらもかなり昔のことなのに。

まぁ、匂いとかでも、昔の気持ちがふと沸いてくるときがあるので、たぶん音楽だけじゃなくて、五感と記憶というのは、脳のどこかでよく結びついているんでしょうね。

電車の思い出

ところで、私は大学時代を京都で過ごしました。

京都には、京阪電車という、京都の出町柳駅から大阪の淀屋橋駅を結ぶ、ニッチ路線が走っています。この電車は変な電車で、主要なターミナル駅(京都駅と大阪駅)を通らずに、京都と大阪を結んでいます。

ただまあ、そのおかげさまで、僻地にあるうちの近くにも駅があったので、大阪に出かけていくとき、私はきまって京阪電車に乗りました。

バイトのために、早朝から眠たい頭を引きずって乗って始発電車で爆睡したり、かと思えば、深夜に眠りこけているところを車掌さんに起こされたり、はたまた親類が病気をしたと聞いて急いで電車に飛び乗ったり、時にはデートのために、はやる気持ちを抑えながらひらパーに向かったりしたこともあります。

とにかく何かにつけ頻繁に乗っていたわけで、苦楽を共にした京阪電車は、それはそれは、大学時代の少なくとも1ピースではあったわけです。

車内チャイム

さて、京阪電車では、車内アナウンスの前に流す、車内チャイムが用意されており、なんと上りと下りで計3種類ずつあります(始発駅でのアナウンス用、出発直後の次駅アナウンス用、到着直前のアナウンス用)。

上り(京都方面)は、なんとなく京都っぽい、はんなりした(?)感じのメロディーが、下り(大阪方面)では、元気っぽいメロディーがアナウンス前に流れます。

久々の京都

さて、話がどんどん飛びますが、もうしばらく前のこと。久しぶりに京都に帰った時、もうすっかり京都が「自分の街」ではなくなっていることに気づいて、愕然としました。

というのも、住んでいる時には、帰るべき自分の家があり、仲の良い友達がおり
、行きつけの店があり、お気に入りのクラブもありました。もちろん、それらの場所が、久々に訪れたらなくなっていたという話ではなくて、寸分変わらず、当時の雰囲気のまま、そこにありました。

ただ、久々に京都に降り立ってみると、私はもう「訪問者」であり、あんなに時間を過ごした、あの場所も、この場所も、既に「自分の場所」ではなく、ただ単に「知っている場所」に成り代わっているような感覚に襲われました。

どこを訪れても、なんとなく現実感のない、というか、他所行きの感じがある。久々に友人と顔を合わせつつも、そんな少し寂しい心持ちを、どこか抱えた訪問でした。

京阪電車

さて、最終日、関西空港から飛行機に乗って帰るために、京阪電車に乗りました。

当然、車内チャイムも聞くことになるのですが、その時ふいに、自分が京都で過ごした4年間のことがフラッシュバックしたかのような感覚に襲われました。

その音を聞いた瞬間、大阪に出て行く時の、なんとなくソワソワとした高揚感が急に体を包み、続いていろんな思い出が蘇ってきた、というわけです。

なるほど、これまで色々な場所を訪れても、なんとなく虚しい気持ちになっていたけれど、自分の思い出のスイッチはこんなところにあったわけか、と妙に納得したのを覚えています。

街中の音楽

さて、私はこうやって、普段からアルバムレビューを投稿しているわけですが、何も「曲」として商業的に販売されているものだけが音楽なのではなくて、世の中には、いろんな音楽が溢れているわけです。

「ジングル」とでも言うのでしょうか、こうした断片的な音楽は、日々の生活の中で絶え間なく流れています。そして、私たちの意識に潜り込んでいるという意味では、「曲」よりももっと身近に溢れているものと言えるかもしれません。

だからなんだ、という訳ではないのですが、こうした「ジングル」のようなものが「音楽」の持つパワーに欠けているかというと、決してそうではない。きちんと、人々の心に残っているし、時に感情を揺さぶることもある、ということに気付かされた出来事でした。

終わりに

ちなみに、京都での学生生活がどれほど素晴らしいものであるかについては、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を交えて書いたエッセイがあります。

同旨の記事やnoteも散見されますが、公開日を見るに、おそらくこれが初出でしょう。すごく好きな文章なのですが、京大卒ブロガー、pha氏が執筆したという点だけが癪に触る。

ところで、こうして昔聴いた音楽に想いを馳せるのもいいことですが、人間はおっさんもしくはおばさんになると(40代以降)、思春期の時期に聴いた音楽を好むようになり、新しい曲を受け付けなくなってしまうそうです。

これは困った。無理矢理新しい音楽を聴き続けて、音楽的思考を若く保っていたいというのが、このディスクマガジンの目的でもあるのです。


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