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ゆらゆらぐるぐる (唾玉録 五)

いつもより、少し長くなってしまった。『川』ノート完結編ということで、ご容赦願う。


井伏鱒二『川』ノート

第十六日

前回、第十一日から第十五日までは、地蔵と立札の由来のお話に費した。これは、四部作の二作目「川」の前半に当る。今日は、この「川」の後半に当る部分と、第三作「洪水前後」に当る部分を一気に見るつもりである。
それというのも、実は、昨日井伏の「谷間」と『多甚古村』とを読んで、どちらも私の興味を刺激したので、私は井伏の作品をもっと読みたい、『川』以外のものもたくさん読みたいという気を起こしたばかりか、もしかすると『川』はかねて思っていたほど私の興趣をそそる作品ではないのではないかという疑いまで起こしかけているのである。結局のところ、私は『機械』に十一年費した宮沢章夫氏のような忍耐も、詮索癖も持ち続けられなかったと言っていい。
一遍にすすめるもう一つの理由は、面白いからである。ここまで読んできたことで、井伏の『川』に伏流する目論見は何となく分かってきたし、ここまで流れてきた川のイメージはすでに元手としてあるから、今までより気楽に楽しむことができるようになっている。

「川」の後半と「洪水前後」に当る部分をまずは要約してしまおう。
川は流れ、ある場所では馬蹄型になる。そこでは両岸に仲の悪い老人が住んでいるが、ある時その一人がジュウシマツを捕まえると、もう一人が仕立屋を使いにやって、それは自分のだから返してくれないかと伝えた。すると彼はジュウシマツを逃してしまったので、一層仲が悪くなった。
それから川は二列に並んだ山脈の間を抜けて、山の峯が低くなるに従って川幅を広げた。「山脈の片れつぱし」にぶつかると、その丘陵を半分ほど削り取って流れる。そこに住む貧乏人の内に、澤田伍一というのがいて、彼の盗人常習の息子がときどき監獄から帰って来ると、近所に戸締まりをするよう触れ回る。ある日息子が帰ってきていた時、川の水が氾濫した。水が引いた後で、澤田伍一は息子と抱き合って死んでいるのが発見された。
川がある丘を迂回した時、五倍も川幅の広い川と鉢合わせをした結果、川幅は八倍にまで広がった。広い川の真ん中には二つの洲が出来ている。それぞれ一戸づつ家が立っているが、一方の家のものが、洪水があったからと堤防を作ると、それに気づいたもう一方の住民がやってきて、それでは洪水の時こっちによけい水が来ると迫ったが、住民は取合わず、別れた。

こう見ると、どこの住人を見ても、人間関係の不和と、人の死ばかり描かれているように思う。これはしかし、人間社会の常態であって、別におかしなことではない。
この部分で、特に私の感動したのは以下の部分である。洪水が起こって、ボートに乗る警察官が流れてきた藁屋根をかわせず、座礁させてしまった。

そこでボートのなかの三人の幼な児は悲鳴をあげ、警察官は興奮した声で怒鳴りつけた。
「妨害してはいけないぢやないか!」
 ところが藁屋根のてつぺんから一人の男が顔を出して、やがて彼は屋根棟にまたがり、威勢よく叫んだ。彼は裸体姿のまま、両手で赤んぼを抱へてゐたのである。彼は次のやうに叫んだ。
「家がこんなところへながれて来たので、私はきまりが悪くていけません。これは私の家であります。」
 警察官は両手で二階建ての家の欄干をつかみ、彼のボートを運河の岸にくつつけて、藁屋根を通過させた。藁屋根は乳児を抱へた裸体の男を載せたまま水のながれる方向に進んで行かうとした。二階からのぞいたり屋根に登つたりしてゐた人びとは、ながれて行く藁屋根の上の男にむかつて、さまざまな質問を試みた。お前は末広通りの曲り角の家の乾物屋ではなかつたかとか、末広通りの誰それの家ではみんな無事に避難したであらうかとか、お前は抱いてゐる赤んぼの牛乳を切らしてはゐないかとか、その方向へ漂流して行つても危険ではないかとか、お前の藁屋根はわれわれの家の壁や軒にぶつかつて、われわれの家は破損して困るとか、さういふことをいつたのである。
 しかし藁屋根の上の男は、家なみの窓や屋根にむかつて簡単な答へをしたにすぎなかつた。
「私の家だけ、どうしてこんなにながれてしまつたのかと思ふと、わけがわからん。屋根と柱との継ぎ目の細工が悪かつたのだらうか?」

警察官の理不尽、流される男の自己主張、人々の矢継ぎ早の質問、そして自分の不幸な境遇が不条理だと嘆くこと。ここではすべてが説得力を持ち、共感を喚ぶ。人の不幸な境遇一般に通ずるものが描かれているのだ。何故私は苦しまなければならないのか。屋根と柱の継ぎ目の細工が悪かったのだろうか?

第十七日

昨日も宿酔で倒れていた。本当は昼頃には平気な顔を取り繕えるくらいにはなったけれど、惰性のため、養生としてすべての用事をすっぽかした。私は胃が弱いので、酒を飲むと脳髄や表情の方は素知らぬ顔をしているのに胃腸の方は重労働を覚悟せねばならぬ。その上、酒だけでなく辛いものも好物であるから、それらが同盟を組んで胃腸が音を上げることもしばしばである。もう一つの好物である発酵食品の面目も立ちかねる。人間は肉体を持っていて、意識は自分の足元を支える肉体の有難味を忘れがちで感謝を怠るものだということを、私は主に胃腸の申出によって知る。

さて、今日は水門と乗合自動車の待合との番人を兼ねた男の話である。川は随分流れてきて、川幅も大いに広がり、今や街並の周囲を迂回する川となった。その堤防には水門の番人の小屋があって、乗合自動車の待合を兼ねるようになった。しかし、川の向かいにも同じような小屋ができて、並行した路線で乗合自動車が通り始めた。そこで、やはり人間関係上の問題が発生するのである。
私はこの老人が好きである。地球儀の老人と同じくらい好きである。彼は、乗合自動車の十回乗車券が四枚も売れたからと言って組合の経営者から賞与として一日の休暇が与えられたが、それを自慢したい気持ちが我慢できなかった老人は、競争相手の対岸の若い女の子にこう言う。

「お前のところは、向ふ側の青ペンキの家なのか?それならば訊ねるが、お前のところでは、もう寝たか!」

老人が話し続けると、電話は切れたので、彼は尚も話す。

「こちら側の土手では、もう何十回分となく切符が売れたから、その賞与に今日一日ぢゆう非番になつたが、それでもこの本人は辞退した。さういふわけだから、謂はゞ私といふこの本人は、今でもまだ大事な賞品それ自体のやうなものぢやらう。」

そう言うと、間もなく日が変わり、自分が賞品でなくなると気づいたので、また電話をかける。

 「この電話は、さきほどの電話のつゞきであるけれど…………」
 「もしもし、失礼ではございませんか! お互の会社と会社との競争は激烈ですけれど、深夜にさういふ無意味な電話をいたゞきましては、あたくし迷惑いたします。」
 そこで年よりは、
 「それならば電話を切らう。」
 と言つた。
 年よりは満足のあまりどうしても眠れないで、今度は思案にくれてしまつた。眠らうとしてもこんなに眠れないのは、ふしあはせな人間みたいで心配になつて仕様がなかつたからである。

何と愛すべき人間であることか!出し抜けに電話をかけて、もう寝たかなぞと尋ねる。それは一応気遣いのつもりかもしれないが、向こうにとっては迷惑に決まっている。しかし、当人は浮足立っているのでそんなことには気づかない。賞与の休暇を辞退したからいまや俺自身が賞品みたいなものだ、などという抽象的な理屈を、果してこんな無邪気な爺さんが練り上げるものだろうかと疑問に思うけれど、嬉しさのあまり喜ばしい事態を色々な観念で以て見てみようといろいろに考えたのかもしれない。向こう岸の女に言われてすぐに電話を切るところもおもしろい。相手の言うことがもっともだと思って切ったのか、相手の語勢の余りの強さに驚いたのか、何にせよ、その時の老人はやはり莞爾としていたに違いない。嬉しいことがあったために却って日常が乱されて、困ってしまうというのも、興味深い人間心理である。これも、過ぎたるは及ばざるが如しということであろうか。
翌日、向うの待合室の女は売上を持って逐電した。直前の深夜に電話をかけていた老人は怪しまれて乱暴な取り調べに遭った。帰ってきた彼の容子の描写も良いのだが、あんまり長くなるのは嫌だからこの段の最後だけ引く。

……彼は堤防の水門のところまで近づいて行き、無雑作に水のなかにとび込んだ。彼は出来そこなひの逆立ち姿でとび込んだが、水面に刻まれてゐる大きな渦の助力によつて、完全な逆立ち姿で水のなかに消えて行つたのである。

自殺の原因はやはり明らかでないが、直前の長時間に渡る取り調べが無関係でないことは疑いを入れない。ともかくこの川が呑み込んだ人間の数がまた一つ増えたわけである。
四人の警察が彼の身柄を拘束しにやってきた時、彼は「家の横のせまくるしい地面に花壇を作る計画で、幾本もの野薊を植ゑてゐるところであつた」。そうして、警察に捕まえられた時、彼は自分で植えた野薊を踏んでしまっていることに気がついて「これは、とんでもない。」と呟く。この踏まれた野薊は、老人の暗い未来を暗示していると思われるが、野薊という植物が選ばれていることが、私には面白いのである。私は野薊をノアザミと読むことすら知らず、その花や葉の形と色も知らなかったが、調べるとたしかに見覚えがある。青みがかった赤色で、ふわふわとした花を咲かせるその植物は、なぜだかこの愛らしい老人にぴったりだと思う。

第十八日

昨日、殆ど寝ていないくせについ遠出をしてしまったため、帰って井伏を読んでいると、気付くとまぶたが閉じていて、何も読めなかった。
野薊を植えていた老人の死体は翌々日の朝、疎水の排水口で発見されたが、結局例の騒動の犯人ということにされ、当局によって丁重に埋葬の手続きがされるそうである。死骸を発見した男は卑怯な男であって、うまい金儲けの話はないだろうかと考えていたところ、たまたま見つけたのであった。そうして彼は、縁起が悪いと言って仕事を休むことにして、堤防の上で汗を乾かしていると、通りすがりの男から水死体の報告がもたらされた。それで初めて聞いたような気になって行ってみると、もう片付けられていたので、うまい金儲けの口はないだろうかと考えながら通り過ぎて行った。これは卑怯でものぐさな人間が世の中に無関心であることを描いた話だと言ってよかろう。
発見者の男によって樋の閉められた排水口の暗渠には、水溜りの魚を取ろうと学齢に達したばかりの二人の子供が入っていった。排水口のところには一羽の小鳥がいたが、子どもたちが暗渠に入ったときには二羽のセキレイと一羽のカワセミが飛び出した。小鳥は、「しきりに羽ばたきをしたり尾を振つたりする小鳥である。排水溝の樋は塞がれたまゝになつてゐたので、その小鳥は暗渠の中の水に濡れた石だゝみの匂を嗅ぎつけて飛んできたのであらう」。また、「鶺鴒は濡れた石の上で遊びまはり、カワセミは石垣の隙間にとまつて、この小鳥たちは濡れた石の匂にうつとりとしてゐるところであつたのにちがひない」。ここで語り手が、暗渠の濡れた石のイメージ、特にその匂いを印象付けようとしていることは間違いない。暗渠の濡れた石の匂いという着眼点は面白い。今度から暗渠を見たらついしゃがんでしまいそうである。
魚は見つからなかった。

「帰らうかのう、どうしようかのう。」
その子供の顔は間もなく顰め面になつて、さうして泣き顔になると同時に彼は大声で泣き出してしまつた。癇癪を起こしてゐた方の子供は、
「泣くな!」
と言つて𠮟りつけ、相手の背中を撫でゝやらうとしたが、直ぐにこの子供もいつしよになつて泣きはじめたのである。そしてそれぞれ胸のところまでまくり上げてゐた子供たちの着物は、肩のあたりまで水に濡れ、互に背中を向け合つて泣いてゐる二人の姿は、図案模様みたいにどちらも同じ格好に見えたのである。

この部分は文が詰まっていて面白い。最初読んだときには、ここは要約だけで終わらせてしまおうと思っていたのだが、要約しながら読む内に、面白さに気が付いてきた。すでに、石の匂いは提示されているのだから、我々の意識は石の匂いを嗅いでいる。石の匂いを嗅いでいるということは、暗渠の中にいる。そうして我々は、起こったり泣いたりする子供たちの姿を間近で見ていることになる。それゆえここは暗く、狭く、ジメジメしているのだが、語り手ははっきり語らない。その代わり、小鳥と鶺鴒とカワセミを描写しているのである。もう一方の子供も泣き出したのは、狭くてジメジメした暗渠の石に反響した泣き声が大きくてびっくりしたので、その拍子に寂しさやら悲しさやら怖さやらがこみ上げてきたものであろう。水が肩まで浸かってしまったのは、彼らが泣くのに夢中になって、思わず体を曲げたりしたのに気が付かなかったからであろう。互いに背中を向け合っているということは、背中を撫でようとした子供は、もらい泣きしたときに、背中を撫でるどころではなくなって、くるりと反対を向いたのである。そのおかげで、「図案模様みたいにどちらも同じ格好に見えた」わけである。そしてここで彼らが肩まで浸かりながら同じ格好で泣いている水溜りも、川の一部であることは忘れてはならない。
もっと書くつもりであったが、今日はここまでにする。第十六日のところで、『川』は思っていたほど面白くないのではないかという疑いを書いたが、今回のところを見るに、そう思ってしまうのは私の読み方が生半可であるせいだろう。他の、人間心理を主眼においた作品とは別だが、ゆっくり染み渡ってくるような面白さがこの作品にはあるのであろう。

第十九日

川はそれから、ずっと前から改築しかけたまま完成しない劇場の裏を通る。毎日午後七時になると、太鼓とクラリネットの演奏者が出てきて入場料を受け取る。クラリネット吹きは染色工場の職工、「太鼓たゝきの男は、昼間は空瓶や古雑誌類を買ひ集めて歩く仕事をしてゐるが、彼は商ひ先で雑談するときには自分は失業中であると言ふ慣はしである」。舞台では二人を中心として、他の座員は斬られ役だが、他の座員も昼間は工場や鍛冶屋で働いている。だから舞台稽古などない下手な芝居だが、入場者は減らない。彼らは、たいてい女や子供で、舞台を見ながら麦稈真田(不勉強で知らなかったが、麦わらを編んだものらしい)を編む。

彼女たちが舞台の演技に退屈して麦稈細工をしてゐるものでないことを誰しも了解できるであらう。けれど観客席におけるかういふ内職作業の風習は、彼女たち観客大衆に関する美談として取扱ひかねるものである。彼女たちは行儀の悪い観客であると非難されても仕方がないだらう。
「はあ、はあはあ!」
こんな大きな笑ひ声で、彼女たちは舞台の滑稽な場面を見ると笑ひ出す。真に無作法な笑ひ声であるが、人間はどんなに暮らしむきのつらいものでも、場合によつては笑ふことができるのである。

そうして次に紡績工場の女工合宿所のところを通る。ここでは「ドイツ語はどことなく機械と縁がふかさうに見える」と考える工場主が、事務員に謝金を払ってドイツ語講師をやらせている。工場主を含めた二九人の受講者は、ドイツ語講師が怠けると満足を感ずる。
最後に、川と海とが区別できないくらいのところの様子が描かれて、この小説は終わりである。やはり、人物に焦点が行きがちで、川の印象はそれほど判明ではない。人物についても、スケッチ風に描出されることが多くて、判然としない部分を残す。結局、これは苦渋の手段による作品であって、それは十分成功しているとまでは言えないであろう。私としては、数年前好い加減に通読したとき以来の未練が晴らせて良かったと思う。また、他の作品を読むほどに、この作品の印象も変わるのだと思う。

今あらためて振り返ると、最初の岩と松のところとか、地球儀の老人にまつわるところとか、二人の子供を失くした父親の錯乱ぶりとか、石地蔵のところの渦の動きとか、無邪気な爺さんが野薊を踏んで、帰ってきて扉に背中をぶっつけて、躊躇いがちに最後の歩行をするところとか、何となく面白い場面は思い出されるし、それらは皆川に関する出来事である。
結局十九日で終わってしまったのは、細かくコメントを加えていくのが野暮ったくてつまらないように思われてきたからで、後半では私の読んだ感じを開陳するというよりも、よく咀嚼しながら読み進めるために、つまりは自分のために書いているようなことになってしまったわけで、こんなことならはじめから宮沢章夫のことなど言わずともよかったし、こんなものを公開するのも気が引ける次第ではある。しかし、宮沢章夫のことを書いた高橋源一郎の文章がなければ、こんなことをやろうなどと思わなかったのもまた確かである。詰まる所、これは私自身が『川』を読むために作った習慣の痕跡に過ぎず、評論としてはかなり気抜けている。私は先だって、漸くのことで横光の「機械」を読んだが、これは確かにあれこれと言葉を挟みたくなるような小説だと思った。『川』の場合も、登場人物のその後のことなど、想像力を刺激させられる部分もないではないが、それは文字にするようなことではない気がする。
こうして『川』を全部読み終えてから、あらためて一本評論を書くということも考えたが、どうもそんな気になれない。本来は、手元のノートにこういうものを書いて、それを元手にまとめるべきなのだ。もし都合が許せば、漱石か、秋声か、百閒か、宇野浩二か、横光か、再び鱒二か、何かそのあたりで、もっと周到な準備の下に、再びやりたいと思っている。

書くということ

大学で卒業論文を書く時に、書くことは難しいと思った。その後も、書く機会があるごとに、難しいことだと思う。小林秀雄でさえ、晩年まで書くのは少しも楽にならないと言っているし、作家はみな、そういう事を言うものであるらしい。「書いた」経験のある人には当たり前なことで、わざわざ言うほどのことでもないのであろう。
私の経験から言えば、小説(というのは『灯台』に載せた習作一本のみだが)は、清々しい感動の経験を元手として書くものであり、批評も純粋な感動が無ければ始まらない。その感動に出会う感性を曇らさないでいることも難しいのだが、出会えたところで、それを書くことがまた難しい。それはまず、書く気を起こす困難である。先日軽井沢に滞在したときも、せっかく持参した万年筆が光を浴びることはなかった。人と会い、木々の緑を眼で抱擁し、野鳥の声を聞く時、とてもそんな気にはなれない。後で書く気になったとしても、その時その印象は時間の流れに洗われて、随分合理的に整理されている。そこから何とか感動の実感らしきものを書いたとしても、それはもう全然別のものになっている。遠い感動の実感に狙いを定めても、それは狂わざるをえない。

だがこの誤差こそが、書くということの恵みではないのか。田山花袋は「事実ありのまま」を作品の一部に取り入れた。しかし正宗白鳥に言わせればそれは全然「事実ありのまま」ではない。それに、敢えて書かずに隠し通した「事実」もあるだろうと言う。つまり、そのまま書こうとしても歪みが生まれるし、そもそも書く中身に選別が加わっているのだから、「事実ありのまま」を書こうとした小説は、やはり創作にほかならないのだ。さらに、白鳥の花袋評には続きがあって、それは、そういう歪めたり隠したりする花袋、その上なおも「事実ありのまま」にこだわり続ける花袋が、白鳥にとっては面白いというものであって、この点には我々も素直に同意させられるのだ。真実を描く時に生じる誤差は、肉肉しい真実である。それは、「実はね……」と話す人の語調や些細な表情に宿る魅力のようなもので、その魅力は話自体の面白さにさほど左右されない。いわゆる私小説は、虚構を狙って書いたものに比べてこの魅力が見やすい。そこからその身振りをも創作しようという複雑なものも出てくる訳だが。とにかく、書くという行為は、その結果書かれてしまったものの一歩先へ進んでしまう。その一歩が書くという行為の恵みであろう。ヘーゲルなら、その歩みは最後には元いた場所に戻るというが、それはやってみないとわからない。

象徴と揺動

金曜午後の「雪舟伝説」展は混み合っていた。しゃくった顎を流暢な蘊蓄に乗っ取られた中年男や、ウィンドウショッピング然とした「すごーい」「かわいー」というご婦人らに囲まれて、「お客さまー、止まらないで御覧下さい」ときた日には、これはもう鑑賞どころではない。あれほどの絵画鑑賞者が一体どこから湧き出てきたのだろう。普段どうやって鳴りを潜めているのだろう。日本画見たさにあの大騒擾を乗り切るだけの穏やかな心を持ちうる、それほどの人があんなにいるのなら、日本は意外と救いがあるという気もするし、それだけの趣味が普段すっかり隠匿されてしまう世の中なら、最早どうにもならぬという気もする。いずれにしても、あんな慌ただしくごみごみして不愉快な状態にもかかわらず絵画を鑑賞しようという人々は、一体何を思っているのか不思議に思う。入館料は払ってしまったのだから全作品を網膜に入れておかねば損だということか、誰かに話を振られた時に困らぬようにということか、いい絵だからぜひ見たいということか。

むろん人波ばかり鑑賞していたわけではない。「雪舟伝説」展は、「主に近世における雪舟受容をたどることで、「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきたのかを考え」ることに主眼が置かれているらしいのだが、私には、これを企画した人の気が知れない。多くの後進の画家たちが雪舟に学び、雪舟に賛辞を尽くしていることの、一体何が面白いのか分からない。何より、それらの画家たちの魅力が半減しているのが面白くなかった。雪舟に似た構図やモチーフや、雪舟の模写だといって、それらが並べられると、並べられたのは多様な画家たちであり、それに対するは雪舟一人なのだから、どうしても雪舟の魅力ばかりが浮き出てくる仕掛けになる。雪舟の評価の形成などという中途半端な美術史愛好家の好奇心を満たすに過ぎないものは、それだけの犠牲を払ってまで展示するようなものだとは思えない。邪推すれば、雪舟はたかだか一六点しか集まらぬ、それだけでは成り立たぬとなった、その窮余の策でこういう企画を立てたのではないかと思う。もし正気でこの企画を考えていたのなら、嘆かわしいことである。

雪舟についてはその名声しか知らないから、陳腐な感想かもしれないが、実に凝縮された、象徴的な絵だと思った。線はあるべきところにきちんとあり、そのことがその線に生命と神秘と不気味さとを授けている。しかもその芸当が極めてさり気なく仕組まれている。実は、この緊密な象徴的な印象が深かったために、他の画家の作にはその象徴性の無さばかりが目についたのである。不埒なことだ。

雪舟を見たその足で、五度目の鉄斎を見に行った。やはり感想は変わらない。一対一でじっくりと対峙してみないことには、あの作品の魅力がすとんと来ないに違いない。ただ、一つ分かったことは、鉄斎の魅力は作品の各部分が各々動きを孕んでいて、しかもその動きが描かれた花やら人やら鬼やらを包みこんでいるような仕方で動いているところにあるということだ。動かぬ線で動きを描き出し、その動きで以て包み込まれた安静なる境地を描き出すので、不動の動にして動の不動であるとでも言えよう。
平安神宮の真正面の鳥居の下で見上げた東山が青く霞んで水墨画のように見えた。

そうしていつしか京都の鉄斎展の期間は終わっていたので、私は、それからもう一度鉄斎に会うべく清荒神にある鉄斎美術館に向かった。うちからは540円で行けるのである。よく調べずに行ったが、今年は没後百年のために出突っ張りで、各地を回っているところだから、本館は閉まっているということであった。それで、別館の展示で満足することにした。結局、作品が多かろうが少なかろうが、鉄斎には違いないし、鑑賞できる体力も同じなのである。だから、五人いても窮屈そうな狭い展示室から受けた喜びは、広い国立美術館の場合より劣るというわけではなかった。さらに、これは私が遠方まで足を伸ばしたおかげかもしれないが、私の鉄斎について抱く思いは、単に愛好とか感動とか言うよりも、愛慕というのが相応しいように思われた。知友の、彼よりずっと若い人々ばかりに囲まれた写真がいくつかあったが、それを見ると、鉄斎翁も、周囲に映る人々も思い思いに寛いでいるように見えた。鉄斎という人は、捻くれたり拘ったりした所のない、無邪気な人なのだと思う。これは作品からも読み取られることであって、知人が彼を喜ばせるために頼山陽の印を、彼の生きている間だけ、贈呈した振りをしたのを、彼はまんまと大喜びで「これは頼山陽が手づから刻した印であって私が蔵している。珍蔵しているのだ。」などと画中に書いているのなど、何とも微笑ましい。

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