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ルソーとカント(2)名誉への欲望
このシリーズについて
2024年3月に知泉書館様より『スキャンダルの狭間で』が刊行されました。
著者はジェレマイア・オルバーグ先生で、私は翻訳を担当しました。
この本は、ルソーがカントの哲学に与えた影響をテーマとする研究書で、
特に『純粋理性批判』への影響を詳しく論じているユニークな一冊です。
このシリーズでは、宣伝も兼ねて、この本の議論を読み解きながら、
ルソーとカント、そして人間と学問の関係を考えていきたいと思います。
さらに詳しい議論や典拠が気になる方は、ぜひ原著を読んでみてください。
第2回
名誉への欲望
彼は自身に定められた持ち場にいることに満足せず、人間の領域の外に踏み出しているために無そのものなのであり、彼の作り出す隙間が彼自身の堕落を近隣の構成員たちに広げるのである。
カントの「覚え書き」には「ルソーが私を正した」という言葉を含む有名な文章がある。この文章の中には、知識と名誉についてのある洞察が記されている。知識を求める人は、知識の獲得に人間としての名誉を覚えることで、無知な人々を軽蔑するようになる。言い換えると、人間は知性の名誉を求めることで自他の不平等を信じ、自他の不平等を信じることで他人を軽蔑するようになり、他人を軽蔑することで人間の不平等を実現するのである。こうして、人間はその本来の名誉を失うことになる。「ルソーが私を正した」という言葉は、この名誉に関するカントの意識が正されたということである。しかし、カントのこの経験は、知識欲に囚われずに人間を尊敬しましょう、という単なる教訓で済むものではなかった。知識欲も尊敬も独立した静止的な心理現象ではないからである。この出来事は一つの学問の堕落と回復、そして一つの名誉の堕落と回復であり、「この悪い心情からは離れて、この良い心情に近づきましょう」という単純な解決の通用する出来事ではないのである。そこでカントが取り組んだのは、人間に敬意を払っていない知性が人間に敬意を払うようになるこの転換はどのようにして可能になるのか、という問いである。言い換えると、カントは、「ルソーが私を正した」という自分自身の経験そのものがどうして成立したのかを問うことで、それ以降の著作のための重要な洞察を獲得していったのである。
この問いを考える上でカントが手がかりとしたのは、引力と反発力(斥力)という二つの力である。カントは「覚え書き」の中で、ニュートンとルソーを並べて称賛している。この二人が並ぶ理由は、ニュートンが自然における引力と反発力を解明し、ルソーが社会における引力と反発力を解明したからである。カントは自身がルソーに見出した引力と反発力を「統一への衝動」と「平等への衝動」という言葉で言い換える。統一への衝動とは、他人に近づこうとする共同への衝動である。そして、平等への衝動とは、他人から遠ざかろうとする自由への衝動である。カントはこの二つの衝動が常に働いている状態で人間の社会は作られていると考えた。そして、人々の共同生活の最初の段階に生まれるのは「比較」と「名誉」である。他人と暮らす人間は、自分の状態を認識するための努力として比較を行うようになる。こうして人々は他人の判断を尊重するようになり、他人によく判断されることに対する人為的な欲望として名誉への欲望を抱くようになる。この名誉への欲望は、人々の共同生活を変質させるものとなる。単なる人間同士の共同生活ではなく、名誉を求める存在同士の共同生活が成立するのである。名誉への欲望は、他人の判断を尊重するという意味では他人を尊重するものである。しかし、他人の判断を渇望し、他人よりも評価される人間になろうとする競争が成立すると、名誉への欲望が他人を軽蔑するための衝動として働くようになるのである。こうして、統一への衝動と平等への衝動の不幸な相互作用は、他人を求めながら他人を退けるという名誉欲の背理として現れる。そして、この背理は生活のあらゆる細部に浸透し、道徳的な判断や論理的な判断にすら影響を及ぼす。言わば、他人が持たないものを持つことを目的とする非自然的な「妄想」(Wahn)が人間の生活の中心になるのである。その先にあるのは名誉をめぐって競い合う人間同士の対抗関係であり、その果てにあるのは人間の人間に対する抑圧と暴力である。
この問題について、自然への回帰を唱えたのはルソーである。ルソーが目指す自然とは、人の手の加わっていない状態としての自然状態ではなく、人の手で作り直された状態としての自然状態である。私たちは自然からさらに遠ざかる努力によってしか自然を回復することができない。私たちは文明化をさらに推し進めることでしか文明を正せず、学問にさらなる認識を追求させることでしか学問を正せない。さて、この文明の進展による自然への回帰という構想の中で、ルソーがカントに教えたのは「人間の場所」という思想だった。名誉への欲望に囚われた人間にとって、自分の場所とは他人の上や下、他人の前や後ろといった順位のことであった。人間は自己自身をより良く知るためにそうした社会的な場所に足を踏み入れ、やがてそれ以外の場所を失ってしまうのである。そして、これは引力と反発力の相互作用の結果だった。すなわち、自然への回帰とは、私たちが何らかの仕方でこの二つの力の正しい均衡のうちに身を置き、人間としての自己の本来の場所を手に入れるということなのである。
そして、二つの必然的な力の間に新しい空間を作り出す方法に関して、カントが最初に試みたのはルソーの著述法の模倣であった。この点について、カントの「覚え書き」にはルソーの著作を読むという経験に関する興味深い記述が残されている。カントによれば、ルソーの著作を読むという経験には、鋭い知性と豊かな感性に魅力を覚える経験と、不可解な見解に反発を覚える経験という二つの相反する経験が含まれる。興味深いのはその先であり、カントはこの二つの経験とは異なる非常に希少な第三の経験があると言う。この経験は明らかにカントが経験したことであるのだが、驚くべきことに、この文章は第三の経験を説明することなく途切れているのである。さて、この文章の重要な点は、カントがルソーの著作自体に引力と反発力を認めている点にある。つまり、カントの解釈によれば、読者がルソーの著作に覚える魅力と反発はルソー自身によって意図的に組み込まれたものであり、その目的は先の第三の経験を作り出すことなのである。そして、次の章で扱う『視霊者の夢』は、カントが学問主体の浄化という目的のために同じ著述法に挑戦した著作だと言える。
(続)
書誌情報
著者 ジェレマイア・オルバーグ
書名 スキャンダルの狭間で カント形而上学への挑戦
出版社 知泉書館
出版日 2024年3月25日
各種リンク
知泉書館 書籍紹介ページ
http://www.chisen.co.jp/book/b643354.html
紀伊国屋書店 書籍紹介ページ
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784862854063
Amazon 商品ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/4862854060/