記録集「セントラル劇場でみた一本の映画」をふりかえる
「セントラル劇場」閉館から5年
仙台の映画館「セントラル劇場」が閉館してから、2023年6月30日で丸5年になります。
1979年に開館した「セントラル」は、大手映画館の二番館(新作を少し遅れて上映する)として運営されていましたが、2002年からはミニシアター系の作品を上映する劇場として、あわせて40年ちかくも仙台の映画文化の一旦を担っていました。
わたしは小学生のころから親に連れられていった記憶があるのですが、特に高校生になって以降は、当時やっていた「土曜レイトショー」という、非常にコアかつ独自のラインナップを上映する企画を楽しみに通っていました。
昔ながらの赤いビロードの座席が印象的な劇場でした。座席指定は最後までなしで自由席。「映画泥棒」の先付け映像もありませんでした。
閉館することがわかってから、わたしはなにか記録を残したいと考えました。
わたし自身が震災以降の仙台にいて、さまざまなかたちで「記録すること」に携わる仕事をするようになっていたというのも、ひとつのきっかけでした。
自分は映像を仕事にしているので、まずは映像でなにかを残せないかと考えましたが、最終的には「セントラル劇場でみた一本の映画」という本、観客たちによるエッセイと、上映された全作品のリストによる記録集というかたちになりました。
閉館から5年が経った今、あらためてこの「セントラル本」についてふりかえってみようと思います。
「映画館」を記録する
「なにか記録をつくりたい」と思った時、はじめに相談したのはセントラルの元スタッフだった村田怜央さんでした。
村田さんも映像をやっていたので、セントラルに通ってビデオで劇場を撮影したりしていたそうなのですが、「やっぱりなにかちがう」という話になりました。
閉館の決まった映画館をビデオカメラで撮ってみても、それが「セントラル」を残すことになるという実感がなかったのです。
そのうちに、記録を作るのであれば、やはり映像でなく「本」のかたちがよいのではないかという話になり、最初は当然のように、いわゆる郷土資料的なものを作るイメージで話が進んでいました。
年表があって、関係者インタビューや館内を撮った写真のページがあって……というようなよくあるフォーマットのものを想定していました。
しかし、それはたしかにセントラル劇場の歴史をまとめたものではあるだろうけれど、それでわたしたちが通っていた「セントラル」を残したことになるのか? 映像に映らなかったと感じた「何か」がそこにあるだろうか? ということになると、すこし違和感がありました。
「セントラル」を残すためには一体何を、どのように記録すればよいのか。わたしたちはもう一度考えました。
そして、それを問うためにはまず「映画/館」とはなにか、「上映する/見る」とはどういうことか、そもそも「記録」とはどんな行為かについて、考え直す必要がありました。
そのような試行錯誤のなかで見えてきたのは、映画というものが、必ずしもその場所だけでなく、ほかのどこかでも見られるものだということです。
ごく当たり前のことですが、映画はフィルムを複製して、さまざまな場所で繰り返し上映することを前提に成り立っているメディアです。
セントラルで上映されている作品は、セントラルでない場所でも見ることができます。
その作品は、セントラルだけでしか見られないわけではないので、作品だけを記録しても、セントラルを残すことにはなりません。
しかし逆に、劇場の物理的な場所についてだけの記録をしても、そこには、どこかほかのところでも見られる映画が上映されているという、映画の没場所的な肌感覚がありません。
映画の本質は、他の場所・時間でも見られうるという可能性のなかにあるものであり、郷土資料的な劇場の歴史だけでは、土台にある「映画」自体を取りこぼしている感じがあって、映画館の記録に「映画がない」というのはやはり違うだろうと思いました。
「映画館」とはそのふたつの感覚、どこでも見られる「作品」と、そこでしかありえない「場所」が、ひとつに重なり合うところに立ち上がってくる何かなのではないか。
他所(よそ)でも見られる映画を此処(ここ)で見る、その「機会」自体が「映画館」であり、どこでも何度でも見られる映画を一回きりの体験として生きることで、「何度でも」と「一度きり」が出会う場所、それこそが「セントラル」なのではないかとわたしたちは考えました。
編集から出版まで
ではその「出会い」を残すために、一体どのような記録を作るべきか?
自分ひとりでは到底抱えきれないこの大きな問いについて、村田さんやデザイナーの伊藤裕さん、協力してくれたさまざまな方々と話し合っていくうちに、おぼろげながらあるひとつのかたちが見えてきました。
それは、かつてのセントラルの観客たちにそこで見た映画を一本選んでもらって、その作品を通してエッセイを書いてもらうというものでした。
映画館自体についての思い出ではなく、あくまでそこで見た映画作品について書いてもらおうというのが、基本的なコンセプトです。
映画館とは、建物のことでも映画自体のことでもなく、「何度でも」と「一度きり」が出会う空間でなのであれば、その「出会い」を記録する、映画を見た「体験」自体をアーカイブするようなものが作れれば、「セントラル」のひとつのかたちを残すことができるのではないかと思ったのです。
そして、わたしたちはそれぞれのつながりをたどりながら、33人の観客たちにエッセイの執筆を依頼しました。
在仙の作家であるいがらしみきおさん、伊坂幸太郎さんや佐伯一麦さんをはじめ、かつてセントラルの観客であった方々の文章が並ぶ本が、だんだんと出来あがっていきました。
こちらからの不躾なお願いにも関わらず、みなさん快く執筆をお引き受けくださり、あらためて「セントラル」という場所に対する観客たちの想いの強さを感じました。
本には、セントラルで上映された全作品のリストをつけました。
開館から最初の20年ぶんほどは、劇場にも記録が残っていなかったので、図書館で当時の新聞から上映スケジュールを調べて、一本一本タイトルを確かめながらリストを作りました。
できあがったリストを眺めていると、ただ映画タイトルが並んだだけの文字列から、一個のストーリー、時代の証言のようなものが浮かんでくるようでした。
そして、写真家・志賀理江子さんが以前作品として撮影していた劇場の写真を、ポスターとしてつけさせてもらうことになりました。
志賀さんの、よく知っている場所や人を撮っていてもまるで見たことのないどこか・誰かに見えるような独特の匿名性が、特定の映画館の記録でありながらどこでもない場所の記憶であるような、この本が帯びているある両義的な性質とも合致するように感じられました。
本の題名についてもさまざまな案が出ましたが、映画館自体ではなく、あくまでも映画作品を通して書かれた本であることをあらわすために「セントラル劇場でみた一本の映画」というシンプルなものにしました。
また、書名に「仙台」を入れるかどうかについても議論がありましたが、最終的には入れませんでした。
それは、この本がいわゆる「郷土資料」のようなものとは少し違う視点で作られているということ、また具体的な映画作品を通して、仙台以外の土地にも届くものになるかもしれないという思いから、そのような判断をしました。
わたし自身、書籍をつくるのはまったくはじめての経験で、「編集」というのが何をすることなのかもよくわかっていませんでしたが、自分たちが何を記録しようとしているのか考えることが、そのまま本の編集方針に、自然とつながっていったように思います。
結果的にですが、いくつか意識して「編集」した点をあげてみると……。
「エッセイのタイトルはなしで、選んだ映画の題名をタイトルにする」「劇場スタッフも区別せず、観客として一本の映画を選んでもらう」「見開きのレイアウトに収まるよう、全員の文章量を統一する」……など、どれも、文章を寄せてくれた方々それぞれの体験に「優劣」がつかないよう読んでもらいたい、という意図があったように感じます。
そんなこんなでなんとか本を出版し、まずは身近な仙台の書店などに置いてもらいました。セントラルの閉館から一年が経ったころでした。
それから「仙台以外の土地にも届く」ということをただコンセプトにとどめておくのではなく、実際のものにするにはどうすればよいかということになって、東京・大阪・新潟・富山など、各地の書店にかけあって販売してもらったり、実際に自分たちも現地に行ってトークをおこなったりしました。
本を作り、さまざまな人・場所に届けることによって、「何度でも」と「一度きり」が出会う映画館という場所がどの街にもあったということを実感し、具体的な「どこか別の場所」から身体全体でセントラルを見返すような、とても貴重な体験でした。
「セントラル本」のこと
右も左もわからないまま、はじめての本づくりの日々は過ぎ去っていきましたが、セントラル閉館から5年を機にこの文章を書くことで、「セントラル劇場でみた一本の映画」を、あくまでわたし自身の視点からですが、振り返ってみました。
興味を持ってくれた方がいればぜひお読みいただきたいのですが、残念ながら「セントラル本」は、版元在庫売り切れで重版の予定もありません。
ただ、仙台以外の書店には在庫が残っていることろがあるかもしれません。
※7/1追記 仙台・花京院のボタンに在庫がありました。
本のWebページに、販売書店のリストがあります。
また、仙台市図書館・国立映画アーカイブにも所蔵されていますので、そちらでもお読みいただけます。
執筆者、および本を読んでいただいたみなさま、販売してくれた書店やトークに関わってもらった人々、そして「セントラル劇場」とその場を作ってくれたすべての方々に、あらためて感謝申し上げます。
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