私の「こだわり」の正体
#熟成下書き という面白そうなお題を見つけたので、最古の下書きを引っ張り出してきました。
最終更新が2021年3月13日で、内定は出ていたと思いますが、ホットリンクの入社前に書いたものですね。まさかこの数年後、山口さんにお会いするとは思いもせず…!
(ホットリンクのオウンドメディアの記事で、下記対談のMCを担当しました。いま読み返しても濃厚且つ贅沢な内容です!)
では、熟成下書きを。
I am こだわりのある人間
私は「なんとなく」で何かを選ぶことが、あまりありません。そういう意味で、私は「こだわりのある人間」なのだと思います。
特に、お金を払って物を買ったりサービスを受ける時が顕著で、自分なりの価値基準をもって「良い」と思ったものを選択しています。こだわりがあるからこそ、きっと「これが好き」「ここが良い」「私って"お気に入り"がたくさんあるな~」と感じられるのだと思っています。
さて、先日「初めてブランドバッグを買った話 #こだわり消費インサイト 」というnoteを書きました。きっかけとなったのは、こちらの記事のこの部分でした。
この言葉を目にして真っ先に浮かんだのは、最近買って良かったものや、受けて良かったサービスのこと。
でも、筆者である山口さんは単に「あなたがこだわって購入したものを教えてください」とおっしゃっているわけではありません。こうも書かれています。
「良いもの買ったんですよ~」という思い出話をするだけではなく、そこに至るまでの心情を分析することで、気付きと言語化のレベルをあげるのだ…と。
では、改めて。
語れるくらいこだわって消費したものって、最近何があったっけ。
…
読んでおもしろかった・学びを得た本は何冊も浮かびました。可愛い服や靴も買いました。週4で通う、お気に入りのランチのお店もあります(サラダが最高に美味しい)。
今年から自炊を始めたので、Francfrancと無印良品で食器を買い揃えました。引っ越したタイミングで洗濯機を新調したり、加湿器も購入しています。気になっていた美術展やマッサージ、パン屋さんにも行ったし、2月末にはアート系のワークショップにも参加しました。
でも、それらを選ぶ前の段階で「比較検討」までした覚えがありません。
ないことはないかもしれないけど、せいぜい価格くらい…? noteとして書けるほどのエピソードが、パッと浮かんでこない。単に「おもしろそう」「似合いそう」「可愛い」という、直感だけで選んだものが多いような気がします。
私が私に抱いていた「自分なりの価値基準をもって選択できる、こだわりのある人間」という感覚はなんだったんだ…?
むしろ、
「インスタやTwitterで話題になっていたから」
「周囲から褒めてもらえそうだから」
「友人が使っていたから」
「恋人が"これ好きなんだ"と言っていたから」
なんて、理由で選んだものばっかりじゃないか……
私のこだわりって何だ?
私がこだわって選んだつもりになったいたものたちが、実は「他人ありき」や「自分ではない他者の好み」ありきだったことに気付いてしまいました。私の言う「こだわり」ってなんだったんでしょう。
こだわりって、どうやって出来上がっていくんだ…?
自分の感覚とかセンスだと思っていたものが、実は他者の感覚に支配されているだけだった……私のものではなかった。そんな気持ちになり、#こだわり消費インサイト の記事を書き終える(むしろ書き始める)までに随分と時間を要しました。
結局、あの記事では20代前半の頃に手にしたFURLAのバッグについて書きました。記事が完成したのは嬉しかったのですが、「私が持っていると思っていた"こだわり"ってなんだったの? 人に作られただけのものだったの??」というモヤモヤは残りました。
私ってこだわりがある人間なんです~☆なんて思っていながら、本当はただ他人の影響を受けているだけの「自分」を持っていないツマラナイ人間なのでは…?なんて感覚にも、ちょっとだけなりました。
そういえば、私はLOUIS VUITTONが大好きでした。可愛いしかっこいいし憧れもあるし、眺めるだけでウットリするし、ブティックに行くと気分が高揚するし、実際購入して身に着けると「無敵感」みたいなものも与えてくれます。
では、なぜヴィトンが好きなのか。
その答えは分かりきっていて――完全に、過去に憧れていた人の影響でした。私はその方が大好きで、その方が好んで身に着けていたのがヴィトンでした。
キーケース、iPhoneケース、財布、ポーチ、ブレスレット、リング、ネックレスなどなど、思い返せばあの頃、小物は大体なんでもヴィトンでした。カバンは高値すぎて、一つも持っていませんでしたが……
でも、その人への憧れが消えてしまった途端、ヴィトン愛も落ち着きました。Xやインスタでヴィトンのアイテムを見かけると、今でも素敵だな…という感覚にはなるのですが、欲しいとは感じなくなりました。理由は明らかに、"憧れの人の愛用ブランド"ではなくなったからです。
自分、薄っぺらい女やなぁ。
「夢をかなえるゾウ」のガネーシャがいたら、絶対そう言いそうです。
前回と前々回の記事に引きずられてハイブランドのことを書きましたが、例えば食べ物だって、「これ〇〇さんが美味しいって言ってたな」という理由で手に取ることが多いです。売り手からしたら、いろんな切り口で思い出されたり、買う理由ができるのは喜ばしいでしょう。
でも、私は、自分の中にある「○○を買った理由」が、そんなのばっかりで悲しい!!!!
という思いでこの記事を書き始めたのですが、書きながら、ちょっと思ったことがあります。
私たちは日々、いろんな刺激を受けています。いろんな情報もキャッチしています。数えなくても、それらが膨大であることは容易にわかります。ということは、すべての刺激や情報を必ずしも自分の中に取り込んだり、記憶しているわけではないと思うのです。
きっと、意識的でも無意識にでも取捨選択したり、それまでの自分の経験や価値観・感覚に合致したものだけが、自分の中に強く残るのではないでしょうか。
そう、そこ。そこにちゃんと「自分の感覚」ひいては「自分らしさ」が盛り込まれている……と、思っていいんじゃないかって気付きました。
きっかけは「他者」だったとしても、結局その情報を脳に留めて、留まっている情報から「これにしよう」と選んでいるのは「自分」。だからそこに「こだわり」を構成する要因である「自分の感覚」「自分らしさ」が息づいていると思っていいのではないでしょうか。
むしろ、たくさんの人からたくさんの情報を得たうえで、いちばん良いと思ったものを自分で選んでいる――!
そう考えたら、ちゃんと私、こだわりをもった人間なんじゃん!って前向きになれました。よかったよかった。
自分で発信することも好きなので、良いもの・素敵なものに出会ったら、それを伝えたり広めたりする存在でもありたい。原稿書きますね…😊