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【映画の中の詩】『脱出』(1944)

「用があったら口笛を吹いて」

監督
ハワード・ホークス Howard Hawks
原作
アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway
出演
ハンフリー・ボガート Humphrey Bogart
ローレン・バコール Lauren Bacall

『脱出』(1944)。原題は「To Have and To Have Not 持つものと持たざるもの」。
ローレン・バコールはこれが映画デビュー作で鮮烈な印象を観客に与え、その印象を『映画の心理学』(ウオルフェンスタイン, ライツ 著)は、

ローレン・バコールが、みすぼらしいホテルの階段のところに現われる。ハンフリー·ボガードを見下ろして、おちついた、低い声で、「火を貸してくれない?」と聞く。
後のエピソードで、彼女は、彼にキスして彼の無神経な態度に文句をつけるが、素気なく嘲られる。こんなことなら、マッチを借りる方がよっぽどいいわ。
こうして、彼女は新しいタイプの映画女優となった(「脱出」)。
彼女は、男のようなテクニックで、男に近づく女だ。

『映画の心理学』ウオルフェンスタイン, ライツ 著, 加藤秀俊, 加藤隆江 訳

と書いています。
でも、本当はこのような女性像はバコール自身の実像とはズレがあり、

このわたしがスリムという世慣れた女、何もかも知り尽した女、経験たっぷりのセクシーな女の役をやるのは相当おかしなことだった––––わたしはまだ十九歳で、ほとんど何も知らない、まったくのうぶだったのだから。

『私一人』ローレン・バコール 著, 山田宏一 訳

と書いているように、監督のハワード・ホークスによって作られたものでした。
彼女のあの低い声も訓練(山の上に行って谷底に向かって低い声で本を朗読した!)のたまものなのでした。

『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』という本にこの映画の撮影準備中の時期のバコールの素顔を伺わせるエピソードがありました。

パーティーが終っても、彼女(バコール)はそこに立ったまま帰ろうとしない。私(ホークス)は家まで送ってやらなければならなかった。「君は自分で車に乗って行けないか。そうすればオレは手をわずらわせて、君を送っていかなくてもすむ」と私は言った。

「男の人たちとは余りうまく行かないんです」と彼女は言う。「何だって、男に優しくしてやらないのか」「私なりには優しくしているんですが …… 」「それが良くないのかもしれない。優しくしないようにしたらどうだ。男どもをオドしてやれ」。

次の土曜日、彼女はカナリアを食った猫みたいな顔をしてやって来た。「送ってもらえました」と言う。「どうしたんだ」と私が言うと、「男をオドしたんです」「そいつに何と言ったんだ」「そのネクタイどこで買ったの、って訊きましたら、彼はそんなこと聞いてどうするというので、そこへ行って買わないように皆に教える、って言ったんです」「その男ってのは誰だ」と私がきくと、「クラーク・ゲーブルです」と彼女は答えた。

『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』ハワード・ホークス著、梅本洋一 訳

バコールとボガートは撮影中に恋に落ち、やがて結婚し、ハリウッドの伝説的なカップルの一組となりました。

「用があったら口笛を吹いて」

というのはこの映画の名セリフとして有名なものですが、これを詩としてハナシをしようというのではなく、今回はこの伝説的なカップルのエピソードに登場する詩のハナシです。

〈「さよならを言うことは、ちょっぴり死ぬことだ」という歌の文句がいまはよくわかる―だって、このあいだ、きみと別れて去っていくときに、立ちつくすいとおしいきみの姿を目にして、わたしは心のなかでちょっぴり死んだんだよ。
          ―― スティーブ 〉

『私一人』ローレン・バコール 著, 山田宏一 訳

ボガートからバコールへの最初のラブレターだそうです。スティーブは『脱出』のボガートの役名。

歌の文句、の歌というのは「Ev'ry Time We Say Goodbye」 (コール・ポーター作詞・作曲)で、スタンダード・ジャズナンバーとして有名なもの。
Every time we say goodbye,I die a little, さよならを言うことは、ちょっぴり死ぬこと
というのが、歌いだしですが、これには元詩があります。フランスの詩人アロークール「別れの唄」。

「別れの唄」アロークール(西條八十訳)

出発するということは、いくらか死ぬことである、
愛するひとに対して、死ぬことである、
人間は一々(いちいち)の時間の中に、一々の場所の中に、
自分を少しずつ残してゆく。

それはいつも願望の喪失であり、
詩の最終の言葉、
出発するということは、いくらか死ぬことである。
出発なんか、至高の別離すなわち死の別れにくらべれば
遊びのようなものであるが、
その死の時まで、人間はさよならを言うたび、
自分の死を、そこに植えてゆく、
だから、出発するということは、いくぶん死ぬことである。

『愛の名詩集 世界編』西条八十, 三井ふたばこ 編

ここで別の名セリフ(小説)を思い浮かべる方もいるかもしれません。レイモンド・チャンドラーの『長いお別れ』の終わり近く、名前は明記されませんがアロークールの詩が引用される場面、

私たちは別れの挨拶をかわした。車が角をまがるのを見送ってから、階段をのぼって、すぐ寝室へ行き、ベッドをつくりなおした。枕の上にまっくろな長い髪が一本残っていた。腹の底に鉛のかたまりをのみこんだような気持だった。
こんなとき、フランス語にはいい言葉がある。
フランス人はどんなことにもうまい言葉を持っていて、その言葉はいつも正しかった。
さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ。

レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』清水俊二訳

この清水俊二訳の『長いお別れ』では
「To say goodbye is to die a little」は
〈さよならを言うのはわずかのあいだ死ぬことだ〉
と訳し、「わずかのあいだ」では元詩のニュアンスとは違ってしまっています。

アロークールの詩の「いくぶん」は量的なものですが、この清水訳(長らく定番だった)では時間的なものとしてあつかっているようです。小説の題名は『長いお別れ(The Long Goodbye)』ですから、それとの対比で「わずかのあいだ=短い」とあえてしたのでしょうか?

二人の結婚は映画公開の翌年の1945年。ボギーは45歳、バコールは20歳。ボギーは1957年1月14日、57歳で亡くなりました。
和田誠の『お楽しみはこれからだ』には、ボギーの墓には

〈用があるときは口笛を吹いてくれ〉

と刻まれているそうだ・・・という粋なエピソードが紹介されていて「かっこえー!」と思っていたのですが、『落語長屋の知恵』(矢野誠一 著)という本によると、これはデマなのだそうです。
いかにもボギーらしいので騙されてしまいました・・・。

参考リンク
映画の心理学 (現代科学叢書 ; A 第3)』ウオルフェンスタイン, ライツ 著, 加藤秀俊, 加藤隆江 訳
『私一人』ローレン・バコール 著, 山田宏一 訳 https://dl.ndl.go.jp/pid/12437973/1/80
『監督ハワード・ホークス「映画」を語る』ハワード・ホークス著、梅本洋一 訳
https://dl.ndl.go.jp/pid/12438011/1/100

「別れの唄」アロークール(西條八十訳) 『愛の名詩集 世界編』西条八十, 三井ふたばこ 編 https://dl.ndl.go.jp/pid/1348238/1/25 
レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』清水俊二訳『世界ミステリ全集 5 (レイモンド・チャンドラー)』
https://dl.ndl.go.jp/pid/12445054/1/264
『落語長屋の知恵』(矢野誠一 著) https://dl.ndl.go.jp/pid/12438430/1/130
『脱出』ブルース・F.カウィン 編 https://dl.ndl.go.jp/pid/12437981/1/3

Ray Charles & Betty Carter -〈 Ev´ry Time We Say Goodbye〉


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